明治時代に酒造りに革命が起きていた! 明治を生きた一人の越後人が「誰もが酒を呑めるため」にと情熱をかけて行った酒造り革命。その手法を細かく残した専門書が存在した。 時を超えて世界中の人に日本酒の原点を伝えたい。 120年前の醸造業界に旋風を起こした専門書「醸海拾玉」の再生チャレンジ。

プロジェクト本文


はじめまして。

新潟県長岡市に住んでいる樺沢と申します。

先日、122年前に書かれた世界最古の日本酒バイブルを発見し、そこに書かれている内容を現代語訳して世に出すことで、世界に誇る日本酒のルーツを見つめなおせるのではないかと思い、幻の日本酒バイブル復活プロジェクトを立ち上げました。

私の住む新潟県は全国でも酒蔵の多い地域で有名で、古くから続く大小合わせて90ほどの蔵があり、全国で最も酒蔵の多い県となります。

雪国で米どころという酒造りに最高の条件を満たし、世に知られていない幻の名酒が隠れていると、今世界中から注目を集めています。

 酒造巡りなどをしながら日本の酒造りのルーツについて調べており、世界で愛される日本酒のつくりそのものに興味を持ちました。

 

そんな中、山間地域にある酒蔵である書物に出会いました。

豪雪で有名な山古志村の玄関口にあるお福酒造という蔵で、そこの創始者が122年前に発行した「醸海拾玉 酒造のともしび」という日本酒の専門書です。

蔵に現存しているのは30年前に再発行されたレプリカ版だったのですが、国会図書館に保管されている122年前の原本をそのまま復刻製本したものだといいます。

 

蔵の方に聞けば、これは日本初の酒造り専門書だといいます。

しかもなんと、現代の酒造りを世に広めたきっかけとなる革命的な醸造方法を発明した研究者が書いたというのです。

本が書かれた明治時代の当時、酒造りは菌との戦いで、ちょっとした環境変化であっというまに腐造してしまい、清酒になる前にダメになってしまっていたのだとか。

それを防ぐために、乳酸を活用した酒母「速醸酛(そくじょうもと)」を発明・実用し、酒造りの腐造を劇的に減らしたのだそうです。

現在では、日本の酒造メーカーの大半がこの「速醸酛」を使い、安定した酒造りを行っています。(温度管理ができるようになった最近では江戸時代の手法である生酛や山廃酛で仕込む酒蔵も出てきている)

 

それを

「日本酒がもっと多くの方に届き、杜氏の苦労も減るように」

と、権利もとらず、このような書籍まで書いて全国の酒蔵に広げたという人物にとても興味を持ちました。

それが、この「醸海拾玉」の著者である岸五郎(当時の名前は関五郎松)氏です。

 

(岸五郎さん-画像はお福酒造HPより)

まさに酒造りの風雲児だったのだと思います。今の日本酒があるのもその方の考え方が生きているものと捉えて、いろいろと調べさせてもらいました。

 

書物や当時の新聞、取材記事などを探しいろいろと調べましたが、偉業を成し遂げた人だということしかわからず、人物像が浮かんできません。

(参考:お福酒造HP-岸五郎さんについて

 

酒蔵の方に相談すると、岸五郎さんの元で実際に酒造りを任された杜氏さんが住んでいらっしゃるということで、直接お会いしてお話を聞きに行きました。

その方、お歳は92歳になる吉井民夫さんといい、20代のころに岸五郎さんの元で酒造りをはじめ、なんと5年前までこのお福酒造で杜氏として酒造りをやっていたというのです。

(お福酒造3代目杜氏・吉井民夫さん-2002年黄綬褒章受賞 )

人生60年以上を酒造りに費やしてきた吉井さんから、まるで昨日のことのように当時の酒造りや岸五郎さんの人物像などについて、じっくりとお話を伺いました。

その中で、岸五郎さんの人間性や、全国からの腐蔵の相談に対する対応など、いろんなお話を聞くことができ人物像が浮かび上がってきました。

お話の中で印象に残った吉井さんの言葉で「全国広く杜氏がいるけれど、あの人の下で働いた自分が一番幸せな杜氏だった」断言していたことです。

さらに、「酒の好みも千差万別。この酒が好きな人もいればあの酒が好きな人もいる。だからいろんな酒が出てきていいし、誰かに評価されるためにではなく、飲んでくれる人がいるお酒を造ろう」と教わったと話します。

 

正直、聞いていて鳥肌が立ちました。

日本酒のすばらしさは、こういうところにあるのではないかと感じました。

 

ぜひ当時のその思いを風化させないためにも、この本を広く多くの方に読んでいただくものにしたい。そう思ったのですが、さすがに120年以上前に書かれた業界の専門書、正直1ページを解読することも困難な昔の言葉で書かれています。

これをなんとか現代の人や世界の人にも読める状態で広げていきたい。

そのために、今回クラウドファンディングで皆様から現代語訳および製本の費用を集めさせていただきたいと思っております。

日本酒は、今や世界に認められる日本の宝。その日本酒のルーツがここに隠されている。そう思うと興奮を隠せません。

通り過ぎてしまえば過去は風化していきます。

ですがそれを書き留めて日本中や後世に残そうとした人が120年前にいた。

そのバトンをつないでいかなければいけないと感じています。

またひそかに「122年前の手法で作った日本酒を飲めるようになるにではないか」と思っています。

今回のプロジェクトではそこまでできないですが、いつかそれができる日を待ち望んでおります。

 

そのはじめの一歩として、まずは「醸海拾玉」を現代語訳として再出版したいと考えています。何卒お力添えいただきますよう、心よりお願い致します。

 

 

【参考リンク】

お福酒造について

醸海拾玉の著者・岸五郎氏が執筆後に創設した酒蔵「お福酒造」について。今なお受け継がれる精神から生まれる絶品の酒造りが新潟県長岡市で行われています。

→詳しくはこちら

 

岸五郎について

明治時代、醸造技師を務める傍ら酒造りの研究を続け、その集大成として明治27年、酒造りについての専門書「醸海拾玉(じょうかいしゅうぎょく)」を発刊。杜氏の勘ではなく科学の観点から酒造りを見つめなおして全国の酒造りの苦悩を改善させた人物です。代表的な研究成果に速醸酛があります。

→詳しくはこちら

 

速醸酛(そくじょうもと)とは

日本酒を作る際に元となる酒母の製法の一つで、江戸時代から続く生酛という手法では菌の管理に高度な技術が求められ、温度によっては酒母がダメになってしまうこともあったといい、今なお全国のほとんどの酒蔵で使われる手法。

→詳しくはこちら

 

「醸海拾玉」原本閲覧(国会図書館HP)

国会図書館のデジタルコレクションの中に、明治時代に発行された醸海拾玉の原本コピーが電子データとして全ページ確認できます。

→醸海拾玉の前頁データはこちら

 

岸五郎インタビュー記事(昭和36年)

 昭和36年、新潟県酒造組合が「酒造史」を残そうと、明治時代の酒造りを知る岸五郎氏をインタビューした対談記事。
岸五郎氏92歳当時の生の意見が残る貴重な資料です。

→記事内容はこちら

 

●プロジェクト起案者

樺沢 敦

新潟県長岡市に生まれ、地域NPOとマーケティングの観点から地域の魅力を見つけ出し、社会とつないでいくコーディネータ―として活動。
(株)FARM8の代表として、地域資源を活用した商品開発や企画コンサル、各種プロジェクトを実施。
社会価値と経済価値の両立を目指した事業展開で、次世代につながる新しいスタイルの事業を展開。
CAMPFIRE×LOCALの新潟県域パートナー。

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