はじめに・ご挨拶
NARAYA CAFEオーナーの安藤義和と申します。
箱根登山鉄道宮ノ下駅前に足湯カフェをオープンして13年になります。
開業からこれまで、箱根の自然と足湯の温泉に癒されながら、世界中から来た旅人が交流を楽しめるカフェとして多くのお客様に来ていただきました。
昨年秋には台風19号の被害により登山鉄道が運休し、さらに今年に入るとコロナウィルスが追い討ちをかけ、開業以来最も困難な1年間でした。
ですがその間、自分たちの足元をみつめる良い機会となりました。
これから先の地域の未来を考えた時、温泉や森林資源という恵みが「当たり前」に存在するのではなく、「有り難き」ものなのだということを自覚し、ともに手を携えながらそれらを守り発展させていく活動が必要なのではないでしょうか。
NARAYA CAFEの空間は地域で活動する若き職人たちとオーナーや友人たちとの協働によって、プロに任せる部分は任せ、素人でもできる部分はセルフビルドで作り上げてきました。その後も雑貨店・ブックカフェを併設し、コロナ緊急事態中の今年4月〜5月には厨房のリニューアルも行いました。
この「職人+セルフビルド」による協働の手法をまちづくりや地域資源の保全活動にも拡張できないか、、、、、
それが今、私の考えていることです。
このプロジェクトで実現したいこと
NARAYA CAFEより宮ノ下駅に近い、駅の改札目の前に「宮ノ下あじさい坂上 森メシ」があります。
ここのオーナーは私の同級生でビジネスパートナーであり建築士の石井君です。
この春、住民の移転によりNARAYA CAFEと森メシの間に空地が出来ました。
(もともと地権者はNARAYAだったのですが借地権者が移転し、建物があまりに老朽化していたため解体しました)
どちらの店舗にとっても重要な場所のため、活用を相談しているのですが、我々はどちらも「囲い込む」タイプの開発は好きではないので、お互いの店舗の席数を増やすのではなく、それぞれの店舗とオープンに繋がって、なおかつにぎわいを生み出すパブリックな場所を作りたいと望んでいます。
<Onsen Terrace予定地の現況>
そこで、私の以前から考えていた、職人+セルフビルドの協働作業によってここに「広場」を整備しようと職人仲間たちを集めて相談をはじめています。
NARAYA CAFEと同じ急な斜面に建物が建っていた場所なので、通常の空き地のように一筋縄にはいきません。土留めやウッドデッキを作るための枠組みなど、セルフビルドを多用するにしてもある程度の資金は必要です。とはいえコロナ渦をなんとか乗り切ったばかりで我々どちらの店舗も手元に資金は残っていません。
そこで今回、NARAYA CAFEとしては初めてのクラウドファウンディングに挑むことにいたしました。
これまで、NARAYA CAFEは多くの方に利用していただき、SNSなどで情報発信をしていただいていますが、直接1人1人のお客様に支援をお願いしたことはありませんでした。
今回、クラウドファウンディングという形で1人1人の支援者の方と繋がることで、ただ店で接客するだけでは味わえない出会いもあるかもしれません。そして我々やスタッフにとっても、日々お客さんが来ることが当たり前ではなく「有り難き」ことだということを実感する良い機会にもなるのではないでしょうか。
今回のプロジェクトでは「温泉」がキーになります。
NARAYA CAFEの足湯に使われる温泉配管は、これまで横に家が建っていたため迂回して足湯に注がれていました。
今回、ここが空地になったことで温泉配管のルートを見直し、新たにタンクを設けますが、せっかく温泉が流れているのだから、その流れをヴィジュアルでも見せたいと思っています。
庭師のメンバーを中心に石を運んで地ならししながら、階段状の広場を作り、源泉タンクからオーバーフローした温泉を流します。
石を敷き詰め、現場合わせで作るので、どんな形になるかは出来上がってみてのお楽しみです。
唯一決まっているのは「誰にでも開かれた広場」であること。
(「誰でも」は鳥や動物たちも含みます)
宮ノ下の玄関口にふさわしい、明るくてオープンな広場を目指します。
NARAYA CAFEの客席とも廊下で繋がる予定です。
私たちの地域のご紹介
ここ宮ノ下は幕末から明治・大正時代にかけて、西洋人によりリゾートとして見出され賑わってきました。私の実家であった奈良屋旅館は江戸時代中期から続く温泉宿でしたが、幕末の頃から西洋人も受け入れるようになりました。
その後、富士屋ホテルが開業し、奈良屋も西洋館を建設し「NARAYA HOTEL」を名乗るようになり、両者はライバルとなりました。
このライバル関係はエスカレートしたため、のちに「外国人は富士屋・日本人は奈良屋に宿泊する」という紳士協定を生んで共存をはかっていきました。
その後、関東大震災で奈良屋西洋館は崩壊したため、富士屋は現在の姿で残り、奈良屋は日本旅館としての道を歩みました。
その奈良屋旅館も2001年に相続税の負担から閉館し、現在は私たちがNARAYA CAFEとして宮ノ下駅前に場所を移して営業しています。
今も街に多く立地する骨董品店や英語の看板、それからなぜか80代以上のおばあちゃんたちが流暢な英語をしゃべるということがこの街の特徴です。
プロジェクトを立ち上げた背景
NARAYA CAFEが出来てから10年あまり、コロナ渦に見舞われるまでは外国人観光客も多く、足湯では日々国際交流が行われ、階下のブックカフェでは本を片手に山を眺めて1日ゆっくりと過ごす方も増え、「まちの交流拠点」として思い描いていた夢は実現されてきています。
けれど、日々店を回すことに忙しく、カフェを始めた頃のわくわく感、協働して何かを作り上げることのライブ感は日常の中に埋もれてしまってあまり感じることができなくなってしまっていました。
コロナ渦は良い意味で日常を断ち切ってくれて、先行きへの不安こそはありますが、立ち止まって考える機会を与えてくれました。
今後もNARAYA CAFEはわれわれの商売の中心となるとは思いますが、もっと身近な自然との関わりを生かした活動、地域エコノミストの藻谷浩介さんらが提唱する里山資本主義を実践するような試みをしていきたいと考えています。
これまでの活動
身近な自然との関わりをということで、数年前からはじめている活動に「NARAYA 男衆(おとこしゅう)」というのがあります。
山に登って枯枝を集めてきて、それを薪ストーブでパチパチと燃やすのを楽しみ、それを囲んでみんなでご飯を食べるというとてもシンプルな活動です。燃料の調達と里山の整備、そしてアウトドアアクティビティの楽しみという一石三鳥を目指しています。
そんな遊びの一環のような活動をする中で見つけたのが山の中腹にある朽ちた祠でした。
地元の人に聞くと、それはもともとは浅間講といって富士山への信仰から建てられた祠だったようです。石碑には「富士浅間神社 明治10年建立」と彫ってありました。
この祠が朽ちてしまっているのは地元の方々も気になってはいたけれど、なにせ山道を登って40分かかる道のりなので、手をつけられないままでいたとのことでした。
そこで「これこそは男衆の出番ではないか」と我々から協力を申し出て、昨年3月、この祠の改修工事が実現しました。
今回のプロジェクトでもこの経験を生かし、プロにお願いするところはお願いしつつ、みんなで力を合わせて作業をしていきたいと思っています。
資金の使い道・実施スケジュール
集めた支援金は広場を整備するための材料費(石材・木材・温泉配管など)および労務費(庭師・大工・設備)に使用します。
作業スケジュールは資金が集まり次第着手します。
4月〜7月頃までの工期を予定しています。
リターンのご紹介
¥1000からの「シンプル支援コース」ではお礼のメッセージに加えて来店時に使えるコーヒーチケットを支給します。
さらにNARAYA CAFE食事券の付いた「NARAYA CAFE堪能コース」、森メシ食事券の付いた「森メシ堪能コース」、その両方を味わえる「NARAYA CAFE&森メシ はしごコース」があります。
「NARAYA SHOPオリジナル雑貨コース」ではSHOPで販売しているオリジナル雑貨に奈良屋旅館時代に使われていた徳利を加えたセットをご用意しています。
それから実際に作業に参加してもらい、我々と一緒にセルフビルドのライブ感を味わえる「男衆体験コース」もご用意しています。
最後に
このプロジェクトを通して新たな出会いが生まれ、宮ノ下という街の魅力がまたひとつ増えることを祈っています。
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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