「其阿彌家の起こり遠く今を距ること1千1百年天平年中に在り、尾道唯一の旧家と称する亦宣なりとす。」これは、明治の初め頃の其阿彌家のうたい文句です。初代正家は、天平時代に「一芸に秀でる 」という精神を刀鍛冶という仕事に求め尾道に住みました。それから、鎌倉末期の刀匠六代正家(三原正家のこと)へと続き、その長男である正廣を祖とする刀匠其阿彌の末裔が私、其阿彌秀文です。江戸末期の安政生まれの曾祖母から祖母に、明治中期生まれの祖母から私に口述で子供の頃に先祖の歴史が伝えられましたが、このままでは伝承と歴史的な遺構が途絶えてしまう恐れがあります。私としては歴史を残していくために、近隣で文献を調査し自身のWebサイトにまとめるという活動をしてきました。
現在、コロナ禍 により思い通りに活動出来ない状態が続いています。今後も活動していくためには、皆様の御支援が必要です。なお、先祖が残した刀剣で有名なものに、豊臣家が秀吉の逝去後四十九日を経た十二月下旬、伏見の前田利家邸に諸大名を集めて盛大に形見の刀分けをし、その席で浅野紀伊守幸長が“大三原”の太刀を賜ったと伝えられています。また、鐔では浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」に因み、梅・松・桜を主題とした図柄の“菅原図透鐔 ”があります。
このプロジェクトで実現したいこと
備後国三原城二之丸鍛冶曲輪にあった六代正家の後裔が刀作りに使用した井戸は、昭和47年(1972年) 頃になくなり駐車場になりました 。また、令和3年(2021年)の年明けから、重要文化財の松山城や高知城、そして岡山城、さらに国宝の吉備津神社の拝殿に鋭利なものを使ったとみられる傷が相次いで確認されるという残念なことが起こりました。このような文化財は数百年の歴史を経て、先人たちが守り伝えてきたものです。ほんの少しの出来事で、歴史的な遺産がだめになってしまうことがあります。そこで、もっと多くの方に日本が誇るべき日本刀大和伝三原派の歴史を知ってもらいたいと思います。
特に、天平時代(729年から749年 )に始まる初代正家と、その中興の祖で鎌倉時代末期(1313年頃)に始まる六代正家(三原正家)を中心に、さらに江戸中期に其阿彌藤右衛門から始まる其阿彌派の鐔をより深く文献を調査したいと思います。また、かつての刀鍛冶の居住区などの遺跡の調査などを早急に行い、世界中に発信していきたいと思います。
私たちの地域のご紹介
正家と末裔のゆかりの場所
・広島県世羅郡世羅町大字甲山152
備後国に大和伝の刀作りが伝わった理由は、文治2年(1186年 )後白河法皇から紀州高野山に大田の庄が寄進され、以後室町時代に至るまで高野山領荘園の広大な荘園でした。高野山は、当時荘園を維持管理していくために、政所としての性格を併せ持つ寺院兼役所たる「今高野山」を当地に建立し、多くの方が大和国から移住してきました。そして、備後国に大和伝の日本刀作りがもたらされました。
・広島県尾道市
天平時代に、初代正家が尾道に住んで刀作りを始めました。鎌倉末期に六代正家が尾道の中の段(広島県尾道市東土堂町18)あたりに住んで、刀作りを始めました。正和2年(1313年) 4月15日、尾道で刀作りをしていた六代正家が時宗の真教上人に出会い、一芸に秀でた証の其阿彌(ごあみ)の法名を賜りました。
・広島県三原市
鎌倉末期に、六代正家が備後国御調郡東野村(現在の三原市糸崎3丁目)にある井戸を使って刀作りを始めました。また、この水は、水質がいいので一時期、酒造りの水に使用されました。
・広島県福山市草戸町
草戸千軒町(くさどせんげんちょう)はかつて鎌倉時代後半~室町時代に芦田川河口で栄えた港町で、遺跡の調査により鍛冶屋の跡が見出され刀剣や鍛冶道具が出土しました。
かつてに芦田川中洲にあった草戸千軒の刀匠一乗屋敷について、
「草戸住の刀鍛冶法華一乗が稲荷を信仰し、草戸の自宅の傍に之を祀ると云う 」と記録にあります。
・広島県福山市鞆町
広島県福山市鞆町後地には、室町時代中期に三原派の刀匠の流れを組む鞆三原の一族が氏神として祀った神社があり、現在でも毎年12月の第一土曜日、日曜日には、鍛冶屋など鞴(ふいご)を用いる人々が行う鞴祭りが行われています。
プロジェクトを立ち上げた背景
備後国三原城二之丸鍛冶曲輪にあった正家の井戸が、JR山陽新幹線線三原駅建設工事により昭和47年2月頃になくなり現在は民間の駐車場となっています。また、JR山陽本線糸崎駅近くの三菱病院南側にあり、地元の企業によりかつて鎌倉末期に六代正家が鍛刀に使用した井戸が「刀匠正家使用の井戸」として平成元年に松を植えて整備されましたが、現在では松は切り倒され当時の姿をとどめず荒れ果てています。其阿彌家は、明治の廃刀令により刀鍛冶を止めましたが、地元の有志により興国日本刀鍛錬場が設立され、昭和17年2月に立命館日本刀鍛錬所で作刀されていた刀匠を招き、広島県御調郡原田村(現 尾道市原田町)にある鍛錬場で刀作りが始まりました。しかし、昭和20年(1945年)の敗戦により鍛錬場が閉鎖されました。また、最近「鬼滅の刃」の映画により、日本刀鍛錬所や鍛冶屋を見学される方がかなり増えたと言われています。残念ながら尾道市では、1619年(元和5年)に水野勝成が福山に入封すると一緒に移って来て、水野転封後、尾道に転居し何代も渡って住んでおられた広島県尾道市十四日元町(旧鍛冶屋町) の元刀鍛冶の方の鉄工所(鍛冶屋) が、平成10年代初めになくなりました。また、平成19年(2007年)5月には、江戸期の刀鍛冶が先祖という方が経営されていた鉄工所(鍛冶屋) について、「旧鍛冶屋町の古い鉄工所が解体撤去」との報道がありました。それ以降、旧鍛冶屋町には、特徴のある屋根部分に見える櫓(やぐら)のような建物がものはなくなりました。現在では、ほとんど町の鍛冶屋の姿を見ません。また、かつては、福山藩の阿部家のお抱えの刀鍛冶の末裔の方が尾道に移り住み刀剣の研ぎ師をされていましたが、平成になると廃業されました。
令和3年(2021年)が、正家の歴史をサイトで公表してからちょうど20年になります。また、令和11年(2029年)が、初代正家が登場した天平元年(729年)から数えて1300年になります。今こそ、鍛冶職人の遺産を後世に残すべき、もっと深く歴史を研究しようと思います。
これまでの活動 かつての旧鍛冶屋町の鉄工所(鍛冶屋)では、毎年12月上旬に“ふいご祭り ”がありました。「夜になると、それぞれの鉄工所で宴会を開き、従業員に折り詰めや酒を振る舞い子ども心にも待ち遠しい日でした。」と当時の事をお年寄りからお聞きしましたが、すでに旧鍛冶屋町には鉄工所が1軒もなくなりもうこの祭りをこの場所で見ることが出来ません。平成5年(1993年)から正家に関する調査を開始し、その過程で郷土史家の先生や地元の御年輩の方に昔話をお聞きする中で、今後、伝承が伝わるかどうか、また、遺跡が守られていくか皆さんが大変悩んでおられました。
その中で、平成13年(2001年)8月15日には専用のサイトを立ち上げました。さらに、令和2年(2020年)1月にはツイッターを立ち上げ、現在まで歴史を公開し続けています。
資金の使い道・実施スケジュール
古文書の解読
コロナ禍が静まれば ・東京の国立国会図書館、地方の図書館及び各地の博物館に行って、
三原派の刀や其阿弥の鐔に関する文献を調査及び古文書の解読費用
・江戸初期に尾道の其阿彌家から持ち出された惣領分系などの古文書の所在の調査費用 ・かつて毛利家から皇室に献上されたと伝わる 銘 正家の刀剣の調査費用 ・旧陸軍少将で男爵の村田経芳氏が所有し、背の方に皆飛び焼きが
入っていると伝わる最上大業物の応永の三原正家の刀剣の調査費用 ・山内家旧蔵の 銘備後国住左兵衛允正光作「文和三年三月日」の短刀の調査費用 ・江戸時代初期に六代正家の後裔がいたと伝わる島根県津和野、
広島県三次市などのゆかりの場所の調査費用 ・三原派の鍛冶屋敷や正家の末裔の遺跡の調査費用 ・旧大名家伝来など歴史的に貴重な三原派の刀剣、其阿弥派の鐔の買い取り費用 ・ONLINE » 公式 | 刀剣 三原正家×みはらまさいえ のスマホ向けWebサイトの作成費用 ・講談 演目:柳生宗矩の大坂夏の陣七人斬の原本の調査費用 ・歴史的な遺構の保存についての事前調査の費用
に当てようと思います。
リターンのご紹介
・1000円以上の方は、お礼のメールをお送り致します。
・10000円以上の方は、お礼のメールをお送り致します。また、当webサイトの専用ページにお名前などを掲載します。
・50000円以上の方には、六代正家ゆかりの尾道の時宗のお寺で御健勝を
祈祷していただいたお手紙をお送りし、当webサイトの専用ページにお名前などを掲載します。
・100000円以上の方には、六代正家ゆかりの尾道の時宗のお寺で
「貴殿が一芸に秀でますようにお祈り致します。 」という願いと合わせ御健勝を
祈祷していただいただお手紙をお送りし、当webサイトの専用ページにお名前などを掲載します。
歴史を語り継ぐために力を貸して下さい。
現在の尾道には、尾道ラーメン、尾道風お好み焼き、映画の町、お寺の町といったイメージがあります。しかし、それよりも古い大和伝の備後国の刀鍛冶の発祥地としての尾道があります。しかし、それを知っている方は尾道でもほとんどいません。それゆえ、歴史的な遺構と共に刀鍛冶の世界、ましてや尾道の歴史からもなくなろうとしています。どうか、歴史を語り継ぐために力を貸して下さい。現在、推し活ブームの中、“刀剣推し” が話題となっています。また、令和3年(2021年)5月11日には“オシばん ”として、 刀鍛冶の仕事を徹底的に掘り下げるドキュメンタリー番組が全国放送されました。
ぜひこの機会に、いっしょに刀剣の町として尾道を日本、そして世界に発信していきましょう。
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る什寶古狐丸名刀
2021/08/20 22:35什宝 古狐丸 名刀【じゅうほう こぎつねまる めいとう】当山第三祖三原一乗妙性上人作の解説 什宝とは、 家宝として秘蔵する物という意味です。妙顕寺は開山を日像上人、第二祖を大覚妙実上人、第三祖を一乗妙性上人、第四祖を一乗本性上人としています。 南北朝時代、初代一乗は法華宗に帰依し妙顕寺(現広島県福山市水呑町)を創建したと伝えられています。なお、一乗兄弟の打った小太刀「古狐丸」の名刀もお寺の家宝として有名です。また、平成8年頃に住職様にお聞きしたところ、なぜ、小狐丸の名前が古狐丸になったかは不明とおっしゃっていました。 もっと見る
日像と三原法華一乗兄弟
2021/08/15 23:52日蓮宗(法華宗)妙顕寺に入ってみると創建650年を迎えた記念事業として、妙顕寺を創建した日像菩薩と三原法華一乗兄弟が刀を打つ姿を表現した銅像が設置されていました。真ん中が日像菩薩で、向かって左が兄の妙性、右が弟の本性です。ちなみに地元水呑においては、「水呑千軒みな法華」と呼ばれるほど地域に根ざしています。 もっと見る
日蓮宗妙顕寺
2021/08/08 22:58前回紹介した案内板に南北朝時代の1314年、京都の日像菩薩に拝謁、修行して出家、妙性上人となり、1356年「妙顕寺」を建立、第3世となって布教。と書いてありました。調査したところ、一乗の鍛冶屋敷跡から北に1Kmほど進むと、一乗妙性上人を開基上人として創建された日蓮宗妙顕寺がありました。 もっと見る
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