株式会社ライステラス代表の大塚せつ子と申します。

弊社は、米粉の持つ無限大の可能性を多くの皆さまへ届けたいと願い日々研究と発信をしている、いわばグルテンフリー・スペシャリスト集団です。

今回はご家庭にあるお米粒から美味しいパンが簡単に焼き上げられるという技術(私たちはこの製法を「お米deパン」と名付けました)を、広く皆様のもとにお届けしたいと望んでおります。


この技術体系が国内外に広まることで、もっと「日本の米」を消費しようという気運が高まることになり、苦しい状況に立たされ続けている日本のお米農家さんたちへ向けた強力なエールとなります。
そして、いずれは世界中で「まるでごはんを炊くようにパンを焼く」光景が当たり前となるでしょう。

小麦一強であった世界中の「食卓」の在り方が「自家製お米パン」というより健康でおいしい選択を得た時、世界はひっくり返ります。

日本のお米には文字通り「世界を救う」ポテンシャルがある

少々長くなりますが、私がどうしてそう信じているのか、
その理由をお伝えできれば幸いです。


自宅の米びつからお米を計って、パンを焼く。

今回、皆様のお力をお借りして普及したい「お米deパン」の本質はたったそれだけです。

現在でも「生米パン」という製法をご存じの方もいらっしゃると思いますが、
この技術自体は、今から16年ほど前にサンヨーから発売されたホームベーカリー「GOPAN」の時代に産声を上げました。

生米を水に浸してミキサーで米生地にするのですが、グルテン添加を前提としていたり、起動音が大きくて家庭では作りにくい一面もあり、GOPANブランドはその後パナソニックに移行されることとなりました。そして残念ながら現在は、販売中止となっています。

お米deパンは、お米粒をパンにできるという意味で、この早すぎた技術の進化版ともいえるかもしれません。

そして最もうれしいのは、お米deパン製法は高価なマシーンを必要としないことです。

たとえオーブンがなくても、炊飯器やフライパンでもおいしいパンを焼くことができるのです。

必要なのは安価であってもある一定の条件を満たしたミキサーと、大塚式の「方程式」。
これさえあれば、限りなく失敗しないお米パンを焼くことができます。


お米deパンをお試しいただければ、その簡単さ、汎用性の高さ、そしてなによりシンプルな美味しさに感動していただけることでしょう。
そして日本の「豊かな田んぼと自然」とは、なんと素晴らしい恵みであったかと、誰しもが気付くことでしょう。

未来の子供たちに田んぼを残したい。若い世代に、田んぼに対して「希望」を見出してほしい。
そして米や米粉に対しての知識と技術を「家庭」を通して広めていきたい。
そういった思いからクラウドファンディングを立ち上げました。

具体的には、

・ご家庭向けにお米deパンのオンライン授業を行うための設備とシステム開発
・お米deパンを自ら広めて行ってくださる講師を育成するための対面式授業の確立
・ユニバーサルレシピの研究、開発、製本、および英訳

といったことを実現するために、皆様のお力をぜひお貸しいただきたいのです。

グルテンフリー米粉パンに携わって約20年余り、米の性質と白神こだま酵母の特徴を知り尽くした大塚の集大成として、この技術を皆様にお伝えすべきと思っています。


どうか、どうか皆様のお力添えをいただきたく、心よりお願い申し上げます。

お米deパンという技術の根幹を支える「白神こだま酵母」について、まずはお話をさせていただかなければなりません。

秋田県と青森県の県境に跨り、太古の姿を今に伝え続ける世界自然遺産 白神山地。
悠久の時を抱くブナ原生林の腐葉土から、秋田県総合食品研究所(当時)と小玉健吉工学博士によって発見されたパン用酵母は、発酵力があって、フルーティーな味や香りを醸し出す「日本の大地が育んだ、世界の遺産たるパン酵母」でした。

「白神山地のパンが焼ける。」

今から約25年前、そんなニュースが世を駆け巡ったとき、私は強い衝撃と、どうしようもないときめきを覚えました。

「絶対にこの白神こだま酵母でパンを焼きたい。」

そんな思いに突き動かされるがまま、気づけば私は秋田県に電話をかけていました。

結果は、門前払い同然。

それもそのはずで、当時まだ世に産声を上げたばかりの白神こだま酵母は「県外不出」。
いわば秋田県にとってかけがえのない財産であり、私のような、東京で小さなパン屋を営んでいるだけの、しかも一児の母などに、おいそれと渡していいようなものではなかったのです。

「それでも。」と、私は言い続けました。

私が作った国産小麦と天然酵母のパンを研究所へと送り、白神こだま酵母への想いを伝え続けたところ、最終的には研究所の方々から、

「作りたかったのはこういうパンです」
「大塚さんの焼いたパンが、一番ん(う)めかった」

というお言葉をいただき、白神こだま酵母のサンプルを東京のパン工房まで送っていただけることになりました。

(高橋慶太郎先生と大塚せつ子)

こうして白神こだま酵母は、史上初めて秋田県から飛び出すことになったのです。
研究所の方々に認めていただいた私のパン作りは、添加物や砂糖を「足していく」のではなく
天然酵母や国産小麦などの厳選した材料を必要最小限使い、素材が持つ美味しさを最大限に引き出す
「引き算のパン作り」を認めていただいたのです。

東京で首を長くして待っていた私のもとに届いた小包、その包装を解いたとき、ふわぁっと雨上がりの香りがしたことを今でも鮮明に覚えています。

こうして、私と白神こだま酵母との、長い長いお付き合いが始まったのです。


「どうしたら白神こだま酵母の特徴を生かしたパン作りができるのか」

白神こだま酵母のパン作りに基本となる技術もセオリーも存在しなかった当時、その問いは非常に難解なもののように思われました。
実を言うと、私は過去に製パン学校に通ったわけでもなく、パン屋に勤めていたこともありません。
ごく普通の主婦だった私は、大切な家族や友人のためにおいしくて安全なパンを焼きたいと願い、自らの手と目、そしてワクワクするような直感を頼りにパン作りの道に進んで行ったのです。
白神こだま酵母という全く新しい可能性と向き合うにあたって、もう一度その基本に立ち返り、手と目と心を使って対話を始めました。

生地の感触はどうか。苦しそうではないか。のびのびと膨らんでいるか。
酵母はどのような環境を好むのか。雨の日はどうか。晴れの日と比べてどのくらい差があるか。
寒い日、暑い日でどの様な差があるのか。酵母はどれくらい育ちたいのか。何を餌にしたいのか。どのくらい育てば一番おいしいパンを焼くのか。

酵母がパンを焼くのなら、人間である私にできることとはなんなのか。

生地温度を一度ずつあげてみたり、発酵温度を変えたり時間を調整したり… …。

数々の試行錯誤の結果、あるときついに、はなやかで甘い香りが漂う「白神こだま酵母パン」を焼き上げることができたのです。

今では当たり前になった、白神こだま酵母発酵終点=32℃を捕まえた瞬間でした。
これは、それまでのパン作りの常識ではありえない温度帯だったのです。

そのパンのなんとおいしかったこと!
嬉しくて、やっと責任を果たせたという想いで、涙が溢れました。

その実績が認められ、唯一無二の「白神こだま酵母技術アドバイザー」の称号を、秋田県総合食品研究所より委嘱されたのです。たいへん名誉なことだと自負しております。

そしてその後、白神こだま酵母のブランド化を見据えた全国販売の権利を獲得することができ、県外不出という重い扉をこじ開けることができました。

自宅の庭に構えた小さな小さなパン工房「サラ・ブレッドハウス」を前身に、「株式会社 サラ秋田白神」を白神こだま酵母のための会社として設立しました。

株式会社サラ秋田白神HP「salaのあゆみ」より引用しています

1995年11月、自宅の庭にログハウスを建て大切な家族や友人たちのためにパンを焼く「サラ・ブレッドハウス」が誕生しました。

サラとは、「新しい」「混ざりけのない」「純粋」という意味で、混ざりけのない純粋なパンを焼くパン屋さんという意味で、「サラ・ブレッドハウス」と名づけました。

白神こだま酵母を認めてもらうには、おいしいパンを焼いて多くの方に食べていただくこと、白神こだま酵母のパン作りの技術を伝えることが必要です。
国産小麦と白神こだま酵母で焼くパンの製造販売と、その作り方を学ぶための教室、この二本の柱で、ただひたすら純粋なパンを作り続けてきました。



結果的に白神こだま酵母は大変多くの皆様に愛され、ブランド化を図ることができました。
その活動の大きな原動力となったのは、パン教室に来ていただいた「体に優しくておいしいパンを家族のために作りたい」と願う全国の主婦や女性たちの小さな力の集合体にほかなりませんでした。

「大切な人に体に優しくて美味しいものを食べてほしい」という、当たり前だけれど小さな願いが、
製パン業界に変化を及ぼし始めたころでした。


国産小麦と白神こだま酵母の引き算のパン作りに勤しんでいた頃、
今より17~18年前のとある日です。

「ねえお母さん、ハンバーガーってどんな味?」 

と母親に聞いていたお子さんに出会いました。
どうしたのかな? と、お聞きしたところ「小麦アレルギー」を持つお子さんで、これまでパンもケーキも食べたことがないということでした。

「お兄ちゃんと同じようにパンが食べたい」

「遠足で友達と一緒にサンドイッチを食べたい」

と寂しそうに漏らすその子の願いが、私には小さな悲鳴にも聞こえたのです。
「小麦アレルギー」という言葉を知っていた「だけ」だった私にとって、その衝撃は深く、重く響いたのでした。

時を同じくして、世間は米粉パンブームの第一波に沸いていました。

「米粉パンが食べられると喜んで買いに行ったけど、当たり前のようにグルテンが添加されていて食べられなかった」という声も聞くようになり、お店のお客様や教室の生徒さんたちからも「グルテンフリーの米粉パンを作ってください!」と切なる願いが届くようになりました。

このころが私の人生のターニングポイント。

「グルテンフリー」への長い旅路の始まりです。

製パン用とされる米粉は、わざわざメーカーから取り寄せなければならない時代。

私は「白神こだま酵母と日本の美味しいお米の相性が悪いはずはない」と思い、不可能とされていた完全グルテンフリーのパンに挑戦し始めました。

結果は、失敗。

それも一度や二度の失敗というわけではなく、来る日も来る日も失敗続きといった有様でした。

「白神こだま酵母をもってしても… …。」

やはり不可能といわれるものには、それだけの理由があるのかと、失意の毎日が続きました。

それもそのはずで、そもそも米にはグルテンがないのですから、小麦と同じようなパンを焼けるわけがありません。



「それでも。」


と、私は口にしていました。白神こだま酵母ならできるという、漠然とした確信がなぜかあったのです。

そうして、米粉パンの試作を繰り返していたある日のこと、私は一つ簡単なミスを犯してしまいました。
どうせ今日も失敗するからと、米粉を半分にして試作してみようと思ったのですが、いつもと同じ水分量を入れてしまいました。

「あ、失敗した!」

瞬間的にそう思いました。当然出来上がったのは、なんとも奇妙なドロドロの生地。
気落ちしながらもとりあえず食パン型に生地を流してはみたものの、すぐに片付ける余裕もなく生地はそのまま放置。

たまっていたほかの仕事を進めているうちに、そろそろあの生地を片付けなければと思い、生地を見に行くとびっくり!

なんときれいに立ち上がっている(発酵している)ではありませんか!

小さなキッチンの片隅で、その発酵した食パン生地を、まるで奇跡が起こったかのようにしばらく見つめていました。
震える両手でオーブンに入れて、焼成。
気が気でないまま、焼き時間を慎重に調整しながら焼き上げて…

「グルテンフリー・米粉食パン」の第一号が焼きあがった瞬間でした。

 

焼き上がったパンを見て、その断面を観察して、直感的に「でんぷんのつながりだ」と思いました。

「小麦粉がグルテンネットワークで膨らむように、米粉はでんぷんネットワークで膨らむ」

例えるならグルテンはつよいゴム風船、でんぷんはかよわいシャボン玉のような存在であることを理解したのです。
この感覚は後に大塚式グルテンフリー・米粉製パン理論の根幹となりました。

白神こだま酵母と日本のお米はきっとことばが通じ合っている! という確信から、
グルテンフリー・米粉の世界への興味が私の中でどんどん広がっていきました。

グルテンがなければパンは作れないという常識を覆した瞬間、

白神こだま酵母とお米が焼き上げるパン、まさに日本の「和パン」が誕生したのです。


グルテンフリー・米粉食パンの第一号が焼きあがった頃、それと並行して白神こだま酵母のブランド化も進み、国産小麦・白神こだま酵母パンの売り上げが徐々に伸びて行きました。自然食品店はじめ、量販店の一角に並ぶようにもなり、より多くの皆様に「サラのパン」をお届けできるようなったのです。
何より、だれからも認めてもらえなかった「白神こだま酵母」は日本を代表する製パン用天然酵母の一つとしてブランド化を図ることにも成功しました。運営するパン教室には、受講希望のお便りが続々と届いていました。

私の中で、何か一つの区切りがついたように思えた時期でした。

同時に、日々お米のことについて深く考えるようになっていました。
学べば学ぶほど、日本の食料自給率や田んぼの未来を考えるようになったのです。

なぜ、私は白神こだま酵母に出会ったのか。
そうだ、日本の米と日本のパン酵母をつなぐ役目として私は選ばれたのかもしれない。

そんな想いに突き動かされ、2012年に株式会社サラ秋田白神を後継者に譲り新たに米に特化した株式会社ライステラスを設立しました。



食べておいしいお米が良質な米粉となって「おいしい製品」を作る。

それが最初から一貫して私のポリシーでしたが、米粉が広く認知され始めると、一口に「米粉」といってもその品種・粒子の細かさ・でんぷんの損傷率などによって様々な違い、性格があることも徐々に分かってきました。

残念ながら、今のままではワンレシピで米粉のパンやスイーツを作ることができません。

小麦粉は、種類によってある程度使い方も決まっており、若干の水分調整をすれば、基本的に世界中どこでも同じように作ることができます。
それは5,000年とも6,000年ともいわれる、長い「小麦粉」の歴史の賜物といえるでしょう。

しかし、米粉は当然ながらまだ発展途上であり、グルテンフリーパンはアレルギー用の特別食と認知されているのが現状です。
おいしいから・体に優しいから食べるのではなく、アレルギーや健康のためにグルテンフリーの米粉パンを求められる。

でも本当は、日本の美味しいお米は限りない可能性を秘めているのです。

だからこそ人生をかけて向き合っていく価値のあるものだと、私は思っています。


なぜ、美味しいお米にこだわるのか。

日本には、様々な種類のおいしいお米があります。

そのおいしいお米を良質な米粉にして、最小限の厳選された材料を使って最高においしいパンを焼く、大塚式の「引き算のパン作り」法は、小麦粉だけではなく米粉にも共通するものでした。

米粉用に品種改良されたお米だけではなく、長年育成し続けてきたおいしい在来種のお米を未来へと残すためには、「新たな米の食文化」を創っていくべきだと思うのです。

美味しいパンを焼くには、お米にもこだわりたい

そこで「誰もが簡単に、楽しく、おいしい米粉のパンを楽しんでいただきたい」という想いから、手成形用の米粉パンミックス粉(まるで小麦粉のように手で成形できるパン用ミックス粉)を開発し、特許を取得しました。

山梨県産の特別栽培米「コシヒカリ」を山梨の吉字屋穀店様に大塚指定の良質な米粉にしていただき、「米(マイ)コフレ」という商品にしています。(特許第63046735号)
当然、完全グルテンフリーです。

また、良質な米粉の開発をするとともに、その技術を皆様にお伝えするべく、「日本米粉クッキングアカデミー」(旧大塚せつ子グルテンフリークッキングスタジオ)を運営しております。

おかげさまで北は北海道、南は沖縄、果ては海外からもたくさんの方々がグルテンフリー米粉師範コースを受講し、講師資格の認定を受けたのち、

「美味しくて感動を生むパンを焼くには、美味しいお米を使うこと」

という当たり前の事実と、そのための新しい技術を広めてくださっています。


ジャパン・グルテンフリーの発信基地として弊社で運営しているフレッシュベーカリー、"RICE HACK Gluten-Free Bakery" が、日本における一つの「マスト・ストップ(絶対に立ち寄るべき場所)」として認知され、世界各地のお客様から毎日のようにお褒めの言葉を頂いているのは、その成果の一つと言えるでしょう。
「これが全部グルテンフリーなの? こんなに美味しいのに? こんなにたくさん種類があるのに? 信じられない!

まさに手を合わさんばかりに目をキラキラさせて、真っ直ぐにその感動をお伝えいただいています。
それもそのはずで、彼らにとっては醤油や水飴を含んだほとんどの食品、一般的な日本食やお寿司ですら「食べられないもの」なのです。

(世界中のお客様から頂いたお土産やお花の数々…ありがとうございます!by RICEHACK)


「本当にありがとう!」と両手いっぱいにパンを買い込み、ほくほく顔で去っていく背中を見ていると、こちらまで胸が熱くなるほどです。

ある時などは、アメリカからいらっしゃった、お子様連れのお客様との会話のなかで、こんな言葉が聞こえてきたことがありました。

「ママ、わたしこの人たち嘘ついてると思うわ。だってこんな美味しいピザがグルテンフリーのわけないもの。

接客に当たっていたスタッフは思わず吹き出してしまったそうですが、お子様は特に素直なぶん、私にはそれが心からの賛辞に聞こえ… … つい、あの日出会ったハンバーガーの男の子の寂しそうな背中と重なってしまい、目頭が熱くなるのでした。

RICEHACKのGoogleマップ

こんなにも美味しくて、世界中の人々から賞賛と羨望の眼差しを持って受け入れられている、日本のお米とその製パン技術。

「今すぐにでも日本のお米を、毎日だって食べさせてくれ!」と願っている人たちがたくさんいるのです。

ただ炊くだけではきっと実現できなかったであろう、世界中の人を笑顔にできる技術の方程式はここにあります。

そして広がるのは「世界」という名の大きな需要。

私がお米に世界を救う力があると思う理由は、ここにあります。

小麦粉に頼らず世界中の食卓をより健康で豊かなものに建て直し、世界中の人々をお腹の中から癒していくことができるのです。



そんな中、私たちの健康と食卓を支え続けてきてくれた主食としてのお米は、
こんなにも可能性と歓びに満ちている奇跡のような穀物は、もうずっと苦しい立場に立たされ続けているのをご存知でしょうか。

おいしいお米を作ってくださる米農家の方々が、毎年一人、また一人と米作りをやめていってしまっているのです。


「後継者が、いない。」


日本各地のお米どころで、同じように悲痛な声が聞こえてきます。
あるところでは、いちばんの若手が68歳だという。75歳という地域もありました。
若い世代が田んぼを継がない。
お米農家を生業として選ばない一番の理由、

それは田んぼに未来が見いだせないからではないでしょうか。


(出典:農林水産省)


パン・パスタ・ラーメン・ピザ・スイーツなど…
いつしか食の欧米化に伴い、小麦粉製品を食べずにいられる日はほとんどなくなりました。
少し前におきた戦争による小麦粉の高騰や天候不順などの影響で、入手できなくなる可能性を秘める輸入食品。
食料自給率37%ともいわれる私たちの食の未来。
誰を頼り何を信じれば安心な食を確保できるのでしょうか。

今、私たちにできること

それは「お米を食べること」なのではないでしょうか。

そして、お米に未来を見出すことだと私は思っています。


(こうべを垂れる稲穂)


私たちの主食である、お米。

自然災害との闘い・政府の方針との調整・生活に必要な収入の確保などなど、おいしいお米を育てることの厳しさに直面されていらっしゃる方も多いと思います。

でも、

「この田んぼでできたおいしいお米がおいしいパンやケーキになるんだよ」

「もちろん炊き立ては真っ白でツヤツヤで、ほんの少しお塩を付けただけで甘くなるんだよ」

そんなことが当たり前の時代になったら、何かが変わっていくように思いませんか?

いえ、明らかに何かを変えなければならない時に来ている。少なくとも私自身はそう思っています。

こんなに価値のある美味しいお米を作る米農家の方々と、田んぼを未来につなげたい。

これからを担っていく若者や未来の子供たちに「食は命であり、食べることは生きることである」ということを伝え、実感してもらうべく、米農家さんたちとも協力して、もっと身近に・もっと簡単に、限りなく失敗しないグルテンフリーのお米パンで、世界中の「食」を豊かにしたい。

「ごはんを炊くようにパンを焼くこと」が生活の一部として定着する、

そんな未来が現実のものとなれば、「日本の田んぼを未来永劫に渡って存続させていくこと」に繋がると確信しています。


そして、米粉グルテンフリー製パン技術の伝道師として最終的に辿り着いたのが、大塚式「お米deパン」でした。

これまで、米農家の方々が自分たちの田んぼで採れたお米を米粉にするには、
以下のような問題がありました。

① 製粉のロットが多く、他の農家さんの米と混ぜなければならない

② 製粉所の機械により粒子やでんぷん損傷の問題が起こりやすい

③ 製粉にコストがかかる など…

  • また、海外需要への対応ということを考えると、こうした「米粉の弱み」が大きなネックとして立ちはだかります。コストが高い割に安定しない製品は、あらゆる意味において長い航海には向かないのです。

  • また、オーガニックにこだわって食生活をされている方にとっても同じです。
    良質なオーガニックの米粉は手に入りにくかったり非常に高価だったりと、
    グルテンフリーかつオーガニックの米粉パンを作るには、いささかハードルが高いのが現状です。

  • だから、お米deパンなのです。
    自宅の米びつからお米を計って、そのまま美味しいパンを焼く。
    今回、皆様のお力をお借りして実現したい「お米deパン」の本質はたったそれだけです。
    ですがこれは、白神こだま酵母に携わって25年、米粉製パンと向き合って18年余りの経験活かし、その知識とノウハウを集約した技術です。


  • これまでのように米粉の指定は必要なく、高価なミキサーは必要なく、皆様の地元で獲れたお米や米びつの中のいつものお米でさまざまな種類のパンが焼けるのです。
    炊飯器でパンを焼くこともできます。
    海外の方々にはご近所のジャパニーズマーケットや、ネット通販などを利用して日本米と白神こだま酵母を購入してもらうだけでいい。であれば、とんでもない需要が眠っているはずです。

この「ゲームチェンジャー」とも言える技術を、私の命あるうちに少しでも広めたいと望んでおります。

グルテンフリーへの関心度が非常に高い海外の国々はもとより、
日本国内においてもグルテンフリーに関して様々な情報が飛び交うようになった今まさに、
日本の美味しいお米の価値が再び見直されるべき時期に差し掛かっています。


こんなに素晴らしい、本当はどんなものにでも姿を変えられる夢のような食べ物は今、何よりもあなたの助けを必要としています。


「たべてください。」 


粒に飽きたなら、パンを焼いてください。
需要と消費が増えれば、減反政策にも歯止めがかかり、お米農家の方々だって自信を持ってお米を作っていける。
若い世代が胸を張って跡を継げる。安定した収入を得ることができ、また次の世代へとバトンは渡される。

そう、私たちに残されたこの「お米」という財産をいかに守っていくことができるのか

多くの人がおいしく健康に「お米製品」を食べること、そして誰もが簡単においしく作れる技術があること。
その両輪さえ合わされば、きっと今まで誰も想像し得なかった世界、

世界中の人々が「いただきます」と手を合わせ、
「日本のお米は天地の恵みだ」と感じていただくことができるでしょう。


これが大塚せつ子の最終章だと思っています。
どうか皆様のお力をお貸しください。心よりお願い申し上げます。


資金の使い道

皆さまからの資金は、「お米deパン」を学べるレッスンコースの開発費や機材購入費に使用します。

また、国内や海外に向けたオンラインコースの実現に向けたシステム開発費用にも充てます。

これにより、より多くの皆さまにお米deパンコースを学んでいただけるようになります!

ご支援いただければいただくほど、日本の美味しいお米を作る田んぼを守る一歩となります。


リターンについて

今回のプロジェクトで、ご紹介したお米deパンコースのご招待以外に、

様々なグルテンフリーリターン品をお選びいただけるようにいたしました。

複数選択可能ですので、気になったものをお選びください!

なお、本プロジェクトはAll-in方式で実施いたします。

目標金額に満たない場合も、計画を実行し、支援者の皆さまにリターンをお届けします。


実施スケジュール

・2024年 3月3日 プロジェクトスタート

・2024年 4月末 プロジェクト終了

・2024年秋 お米deパンオンラインコース開講予定

具体的なスケジュールについては、プロジェクトが進行した後、改めてご案内いたします。
どうぞお楽しみにお待ちください。


最後に

このプロジェクトにご参加いただき、ありがとうございます!

お米deパンコースは、「おこめつぶ」の状態から簡単に美味しいパンが焼き上げられる
という技術を使用した、ご家庭でパン作りを楽しむことができるコースです。

このプロジェクトによって、より多くの人々にお米の魅力を伝え、
美味しいお米を作る田んぼを守る一助となることを願っています。
どうぞ皆さまのご支援をお願いいたします。

以下はこれまでに私共が手がけた技術指導・支援・店舗プロデュースなどの例、および応援メッセージでございます。
全体のほんの一部ではありますが、ぜひご覧ください。

【応援メッセージ】


【広島県 田万里家】米粉ドーナツ技術プロデュース農ライファーズ株式会社 代表井本喜久様のコメント:
「私たちは今、広島県竹原市にある限界集落「田万里(たまり)町」にて「田万里家」という屋号で米粉のドーナツ専門店と農体験ができる宿泊施設を営んでおります。せつ子先生には、看板商品である米粉ドーナツの開発とご指導を頂いたのをきっかけにご縁を頂きました。この米粉ドーナツをきっかけに耕作放棄された田畑を耕し、美しい棚田の田園風景を復活させ、世界に日本の米文化の魅力を発信していきます。

田万里家 RICE DONUT & FARM STAY
WEBサイト:https://tamari-ya.com
Instagram:https://www.instagram.com/tamari_ya__ricedonut/


【長野県 RIZ Karuizawa】米粉パン工房 プロデュース小さな米粉パン工房Riz Karuizawa 代表 山田律子様のコメント:
「パン激戦地区である軽井沢で、まだ誰もやっていない体に優しいグルテンフリーのパンを製造販売したいと思い、大塚先生の門をたたきました。単に作り方の技術だけではなくお米の品種による違いや、製粉技術の見極めなど本格的なノウハウを学ばせていただきました。おいしいお米を良質な米粉にするからこそ、おいしいパンが焼けるということと、小麦粉の生地との違いを徹底的に教えていただき、小さいながら自信をもってグルテンフリーベーカリー「RIZ」をここ軽井沢でオープンすることができました。小さな小さなパン工房ですが、お客様の笑顔と「おいしかった」の一言で、また頑張れるような気がしています。」

Riz Karuizawa
Instagram: https://www.instagram.com/riz_karuizawa/


【青森県 おこめキッチン ゆるりと】米粉パン工房 プロデュース
おこめキッチン ゆるりと 代表コメント:
「大塚先生率いる日本米粉クッキングアカデミーで、青森から約一年ほどかけてしっかり基本から、グルテンフリーの米粉パンやスイーツ・料理などを学びました。米粉だからこそのおいしさに感動し、ぜひ地元のつがるロマンで同じようにパンを作りたいと思い、大塚先生につがるロマンの米粉をパン用にオリジナルで監修していただきました。おかげさまで、地元青森の生徒さんたちにもおいしいレシピを学んでいただいたり、不定期で行う販売会では、どんなに頑張って焼いても30分ほどで売り切れてしまうほど人気をいただいています。大塚せつ子先生の「日本のおいしいお米を未来に残そう!」の熱い想いに共感し、その一助となれるように頑張っています。」

おこめキッチン ゆるりと
WEBサイト:https://yururito.ivalue.info
Instagram:https://www.instagram.com/yururito_okome





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