今までは主に石巻でのお話をPOSTしてきましたが、今回はプロジェクトページでも紹介している、
”山元町の希望の木”の思い絵を紹介したいと思います。
これは、思い絵の作者である安達さんが書いてくださった文章です。
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お盆は、祖母の住む宮城県亘理町に行ってきました。
そこで、現地復興コーディネーターとして活動している、ある若い男性と出会いました。
彼が連れて行ってくれた、山元町沿岸部にある、とある場所。
まわりの建物は、全て流され、1つ小学校だけがそこにあり、
がれきの撤去も落ち着いた今、家の基礎がかろうじて見えることで,
ここに家がたくさんならんでいたのだ、ということがわかりました。
そこに、一つ、目に飛び込んでくるものがありました。
それは、津波に堪えた一本の木。
「ここの風景を、のこしてほしい」
彼は、そうぽろりとこぼしました。
目の前には海が広がっていますが、人は一人もいません。ただ風と波の音だけが聞こえます。
家の基盤が並び、所々草が生えており、茶色い土があらわになっています。
残された防風林は寂しそうに枝を揺らしていました。
遠くに見えるショベルカーがなんともたよりなさそうに放置され、
後ろをふりかえると、そこには、瓦礫が片付いていない学校と、廃車が山積みにされていました。
瓦礫の山には草が生い茂っており、なんとも不思議な光景が広がっているのです。
「あの木が、今にも枯れてしまいそうなのが、わかる?下の根元が白くなってきていて...多分塩のせいなんだけど...家の基盤の数をみて、ここにどれだけ多くの家があったかわかるよね。そんな家がすべて流されたのに、あの木は、まだここに残ってるんだ。生き抜いたんだ。だから、この木をどうにかして残してほしいんだ。」
ちょうどその日は8月11日だったので、彼と一緒に、そこで黙祷を捧げました。
亘理町に戻る車の中で、
復興の希望の種は、もしかしたら、外から入ってくるものでもなく、新しく生み出されたものでもなく、そこにのこったもの、なのかもしれないと感じました。
東京に帰ってきてから、彼をはじめとする、亘理町で出会ったたくさんの人の復興への希望を、この絵で表現し、彼にプレゼントしようと決めました。
人々の様々な思い、そして復興へむかっていく力と、ガラスや水が光を受けて反射し、様々な色を作り出す様や、繊細だけど力強い様を重ね合わせてこの絵を描きました。
あの木には、ずっとそこで復興のシンボルとして強く根を張っていて欲しいと思います。
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後日談ですが、本人にこの思い絵を渡しにいきました。
彼だけでなく、この景色を見たことのある方々は、この絵をみただけでどの木を描いたのかがわかったみたいです。
とっても喜んでくださって、なんと彼の活動の1つのブログにもupしていただきました。
facebookにもコメントが寄せられ、本当に嬉しい限りです。
- 彼:これ本当に素晴らしいです。最近、合う人合う人にこのYOUTUBE (※プロジェクトページに載せているものと同じです)を見せてるのですが、みんなすごい驚きます!
- Mさん:この絵はすっごくキレイでしたねえ。透明な哀しい光の中で明日に向かう希望の胎動が地中から根本にどんどん集まってきているようでココロに刺さる一枚でした。
- Kさん:すっごい、素敵!! そうだね。あの樹の生命力が沸き立つような美しさは、まさに「希望」。
などなど。
一枚の絵が、こんなにも多くの人の気持ちに届くなんて思ってもいませんでした。
思い絵プロジェクトを今後もっとたくさんの人に届けることで、たくさんの人のエネルギーになれば、と思います。