【活動報告〜ネパール地震〜】
“自然災害“、と聞くと、多くの方が地震や津波を思い返すのではないでしょうか。
2011年に発生した東日本大震災、4月に熊本を襲った巨大地震、そのほか気候変動による多くの被害など、日本で発生した自然災害の例を挙げればきりがありません。
今思うと、私が国際協力学生団体KIVOに携わる根本的なきっかけのひとつが東日本大震災でした。親戚が被災地に居住していたため、私は5月の休みを使って、震災から数か月後の光景を目にしました。
当時中学2年生だった私は精神的にも幼く、ただただ目の前に広がる世界を瞳に焼き付け、呆然とすることしか出来ずにいました。乗り上げた船、火災で真っ黒になった街、真っ二つに折れた電柱、錆びきった車、泥だらけのランドセルなど、被災地を漂う圧倒的な悲しみと恐怖を前に、足がすくんでしまったのです。
その時感じた無力さや、ありふれた日常が跡形もなく消え去ってしまう恐ろしさ。
そして、そういった自分にとっての非日常的な出来事は世界中で起きているという気づきが、今の自分の国際問題や国際協力に対する原動力のひとつであることは間違いありません。
今年の春、私はネパールへ初めて渡航しました。不思議なことに、震災から5年後の2016年3月11日14時46分という瞬間も、私はネパールの地を踏んでいました。
震災の影響は世界遺産や街並みにも表れており、団体の支援先であるガイクール村の家々も崩れ、仮設校舎は脆く吹きさらし状態にありました。
震災から約1年が過ぎていても復興は進んでおらず、被害を“受け入れる“ところで止まってしまっている、現状。当たり前のことかもしれませんが、日本の復興と、ネパールの復興では全くその意味が違ってくる。そう感じました。
そして、復興する、とはどういうことなのかも考えさせられました。
本当の意味での復興を遂げるのには何年もの月日がかかります。モノが揃えば復興、というわけにはいきません。
『彼らにとっての復興を達成する手助けになりたい』
KIVOとガイクール村の間には、そんな思いが自然と湧いてくる信頼関係が存在します。
支援という言葉が似つかわしくないと思われるほど、私たちは多くのことをネパールの人々から教えてもらいました。
助けられているのは私たちの方で、互いの信頼がなければ私たちの活動は成り立たない。
子どもたちがなぜあんなにも眩しい笑顔で迎えてくれるのか。村人たちがなぜ私たちに易しく声を掛け、受け入れてくれるのか。
そこには、奇跡のような、言葉では表しきれない絆が存在しています。そして、もちろんメンバーの間にも、かけがえのない信頼関係があります。
そのことに気づき、感謝し、行動することが私たち自身の成長になっています。
突き詰めれば、私たちは自分たちのために支援を行っているのかもしれません。しかし、自分たちのためになる活動だからこそ多くの人が魅力を感じるという面もあります。
また、その過程で1人でも多くの人を笑顔にできるのなら、私たちの活動が無意味なものだとは思えません。
校舎の再建によって、救われる子どもたちの数は少なくないはずです。
いつの時代も、どこの国でも、自然災害は起こる。
命を落とす人も、苦しい思いをする人もたくさんいる。
でも同時に、それを本気で助けたいと願う人も世界中にいる。
そのことを考えるきっかけになれたらと思います。
私たちの言葉が、もしもあなたの心を動かすことが出来たのなら、本当に嬉しく思います。
皆さまのお力添えを頂ければ幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
国際協力学生団体KIVO 8期 高橋沙優里