「1人の100歩よりも100人の1歩」という言葉を目にしたのは国際協力学生団体KIVOに入ってから数か月が経った頃でした。当時の自分は、その100人とは「支援する側の日本人たち」、1歩というのは「実際に支援するという行動」という意味で受け止めていました。
この言葉を目にした当時は、私はまだネパールを訪れたことがなく、ネパールの人々のことは単なる支援先という情報で処理していました。それゆえに、自分の国際協力の原動力は自己成長やスキルアップといった、「自分の為」というものだったように思います。
そんな心境も変わらぬまま迎えた初のネパール渡航。自分が下の代として臨んだネパールプロジェクトは、震災後初のネパールプロジェクトでもあり、KIVOが震災をよりリアルに感じ取れる機会だったと思います。首都についてみて実感する、震災を経験したという事実。空港からでた瞬間、目の前には倒壊した建物が倒壊した状態で放置され、観光客で賑わっていたダルバール広場は、崩れた家々のレンガにまみれていました。そんな首都の様子を見て感じたことを、正直自分は覚えていません。本当に何も考えていなかったのか、それとも自分の稚拙な頭では処理しきれなかったのか。いずれにせよ、「震災」が自分の頭を支配したということだけが、今私が覚えている全てです。
そして、首都で過ごす日程が終わり、いよいよ村に行く時が来ました。村に向かうジープに乗っている間は、震災の印象が自分の頭を支配していました。KIVOができることは本当にあるのか、そもそも自分たちがやっていることは無意味なものではないのかと考えていた折、約6時間の移動が終わり村に到着しました。そこで自分が遭遇したのは、ネパールの人々とKIVOの軌跡。これまで先輩方が築き上げてきた大切な信頼関係。そしてその信頼関係の根幹にある、ネパールの人々の心でした。震災があって1年も経っていない、自分たちの家も崩れかけている、そういった中でも、ネパールの方々は曇り一つない笑顔で自分たちのことを出迎えてくれました。この感想はありがちなものかもしれません。しかし、そのありがちがいかに難しいものか。自分が逆の立場だった時のことを考えると、ありがちではあれど、とても当たり前のことだとは思えません。
そんなネパールの心に触れたときに、100人の1歩の本当の意味が分かった気がします。支援する人もされる人も、お互いに踏み出すきっかけを与え続け、お互いが歩み続けることに意味があるのではないでしょうか。1人が100歩歩いた国際協力は、国際協力ではありません。ただの国際的なおせっかいです。自分たちの本当に望むものをお互いに言い合えることが、全ての始まりなのではないのでしょうか。
国際協力と聞くと、地雷の撤去や食料支援を思い浮かべる方も多いと思います。しかし、ある程度しか資金を持たず、渡航できる期間が限られている自分たち学生には、そういった大掛かりな協力を行うことはできません。そんなちっぽけな自分の無力感が心をよぎるとき、自分の頭はそれらしい言い訳を探してその無力感を払拭しようとします。村の方々に会うまでは、震災を経験したネパールも、それらしい言い訳の対象でした。
しかし、このネパールに関しては、「できない」では片づけたくない。自分たちはちっぽけである、それはまぐれもない事実です。しかし、ちっぽけであるということは、裏を返せば、微力ではあるが確実に力を持っているということ。だったら自分達は、そんなちっぽけな力をこの人たちのために使いたい。ちっぽけならちっぽけなりの全力を、この人たちのために使いたい、そう感じました。できないではなくやる。体育会系にありがちな根性論のように思われますが、これは一つの真理だと思います。自分たちはネパールの人々のために学校を再建します。しかし、今の自分たちではできないということもまぎれもない事実です。そんなできない自分たちにチャンスをください。ネパールの人々が1歩を歩むためのエネルギーをください。自分にできるのはただの懇願しかありません。それでも心は込めたつもりです。どうかちっぽけな自分の全力が届きますように。
国際協力学生団体KIVO 8期副代表 安藤界
末筆ですが、今は引退した同期の女の子が書いた文章もぜひ読んでいただきたいです。英語もすべて、話せないにも関わらず自分で訳したものです。自分では力及ばずとも、彼女の文章はこれを読んでくださった方たちの心を動かすはずです。
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