みなさんこんにちは。3回目の担当が回ってきました。シメサバでございます。
クラウドファンディングも終了間近&目標達成間近です。100人を超える方々にご支援いただき、本当に感謝です。ありがとうございます。最後の最後まで、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、前回の報告でのんさんからは「クラファン終了までカウントダウンが迫っているのでしめさばさんのクラファンへの想いやパレードに対しての想いなど好きなことを思い残すことがないように書いていただければと思います」というバトンをいただきました。今日の僕の報告では、改めてパレードについて思い巡らせてみようかなと思います。というのも実は先日、ショックな出来事があったからです。
僕がゲイの友達を作ろうと行動をし始めたのは、今からちょうど10年前のこと。この「デビュー」と同時に僕はパレードにも参加したのでした。いや、パレードに参加することでデビューを果たした、と言った方が適切かもしれません。これが2010年9月のことです。
パレードの存在をはじめて知ったのは2009年の秋頃でした。ネットでいろいろ検索しているときにたまたま、パレードに参加したという人のブログを見つけたのです。札幌でこんなイベントがあるなんて知らなかった僕は、「来年は絶対に参加する!」と決意し、一年、待ったのでした。
パレードに参加すると言っても、ゲイの友達も知り合いもいない。そんな中、いきなり一人でパレードに参加するなんてハードルが高すぎる。そこで僕は、ネットのゲイ向けの掲示板にこんなようなことを書き込んだわけです。
「パレードに一緒に参加してくれる人探してます!」
この書き込みを見て、連絡をしてくれた人がいました。「リョウくん」と呼んでおきましょう。リョウくんが、私をパレードに誘ってくれたのでした。
彼とのやりとり全てを事細かに覚えている訳ではありませんが、いくつかの場面は鮮明に覚えています。当日に着ていく服の写真を互いに送り合い、待ち合わせ場所で確実に声をかけれるように都合を合わせたこと、待ち合わせ場所のテレビ塔の下で待っていたら、まさに写真で見た服をきた人がやってきたこと…。
そしてその日、彼と彼の友達と一緒に僕はパレードを歩いた。
この当時、僕が書いていたブログが残っていたので見てみると、このパレードについての記事も書いていました。そこにはこう書かれていました。
「19日
レインボーマーチ
歩く予定無かったけど歩きました
なんかね、感動したよ
行進中、ちょっとうるうるしちゃった
こらえたけどね
なんだろうね
自分の居場所が見つかった感じなのかな
すべてが最高でした
来年も絶対参加するんだ!!」
この記事を見て初めて知った(?)のだけど、僕はパレードを歩くつもりはなかったらしい。でも実際この時のパレードで僕は、歩いた。おそらく歩いたのは、掲示板の書き込みにリョウくんが返事をくれたからだと思う。そこでもし誰も反応をしてくれていなかったら、僕は沿道から見ていただけだったと思うし、なんだかんだ、そもそも参加する勇気が出なかったような気がする。
別にパレードは歩かなければいけないものではないし、沿道からみるだけでも十分に価値のあるものだ。でも、歩くことで感じられるあのすがすがしさは別格だと思う。
そんな僕をパレードに連れていってくれたリョウくんが、一年近く前に自殺で亡くなっていたことを最近知った。
衝撃だった。正直に言うと、もうリョウくんとはずっと疎遠だった。だから衝撃を受け止めるクッションもあった。別に嫌いになっていたという訳ではなく、ただいつの間にか疎遠になっていた。それもここ最近のことではなく、おそらくもう7年くらいは連絡をとっていなかったと思う。そんな人は他にもたくさんいる。でも、このデビューのときに知り合った人たちは、たとえ疎遠になっていたとしても、特別な人でもある。特にリョウくんは。そんな彼が、自殺で亡くなっていた。
メンタルがとても敏感な人だというのはなんとなく知っていた。でも何が原因だったのかはわからない。おそらく一つではなく、いくつもの要因が絡み合っていたのではないかと思う。でももしその一つが、自分がゲイであることからくる悩みだったとしたら…。とてもやるせない気持ちになる。
彼にとってパレードとはなんだったんだろう、と考えてしまう。彼はパレードが好きだったはず。パレードには毎年参加していたと聞いた記憶がある(少なくとも、私たちの前身の「レインボーマーチ」には)。だからおそらく、そんな彼をパレードは救ってきたのではないかと思う。じゃなければ、ネットに書き込んだ僕に優しく声をかけてなんてくれなかったはず。自分が救われたパレードに他の人も誘いたい――そんな意志があったんじゃないかと勝手に思ってしまう。
でもそんな彼が、自殺で亡くなってしまった。あんなに楽しそうにパレードに参加していた人が。結局、パレードは彼を救えなかったのだろうか。パレードは彼に「居場所」を与えることができなかったのだろうか。確かにパレードは万能薬ではない。もし彼の死の原因が、健康とか何かしらの病気についての悩みだったりした場合、パレードはそこまで人々を掬い上げることは難しいのかもしれない。
でも僕は、パレードは万能薬を目指してみてもいいと思う。確かにその中心にセクシュアルマイノリティに関わる問題に取り組むことを据えるにしても、もっともっと視野を広げていってもいいと思う。そもそも、セクシュアルマイノリティに関わる問題を、その他の問題から綺麗に切り離すことなんてできない。
さっぽろレインボープライドは結成されてまだ3年目の団体だ。だからまだまだ横のつながりが十分にあるとは言えないと、個人的には思う。障がいを持った方々の団体、女性や子どもの問題に取り組む団体、貧困の問題に取り組む団体、民族問題に取り組む団体、医療関係者、教育関係者…こうした人たちともっとつながりを作って、そしてこうした人たちが参加できる場を作って、パレードが万能薬になることを目指していくべきだと思う。
となると、パレードとはなんなのだろう。僕が思うに、パレードとは、「きっかけ」だと思う。パレードのメインは、街中でのパレード行進かもしれない。でも、その「裏」で生じていることも同じくらい、あるいはそれ以上に重要だ。普段の準備段階からパレードの会場ではいろんな人が集い、新しい出会いが生まれる。そこで生まれたつながりや共有された情報から、新しい取り組みが生まれたりする。パレードでの出会いが、そこを越えた活動へとつながっていく。こうしてパレードという活動をきっかけとして、いろいろな活動へと派生してく。もちろんこれは僕が思い浮かべる理想であって、実際にどれくらいこれが実現しているのかはわからない。でも少なくとも僕は、パレードはこうした「きっかけ」になれると思っている。
パレードはリョウくんを救えなかったのだと思う。でもこれからは、誰でも掬い上げることのできるパレードを目指したい。
さて、次回の活動報告は実行委員長のゆみおさんです。のんさんに引き続き特に質問はしないので、パレードについての思いを自由に綴ってください。
それでは。