皆様、ここまでお付き合いしてくださりありがとうございました。 これで最後になります、これで最終話となります。 2、3、4話と駆け足で書き上げましたが、 最後はちょっと長くなるかもしれません。 長文お覚悟お願い致します。 最終話「これで最後に完全燃焼」 ここはウィーン西駅。多くの国際列車が往来する駅。 気付くと上着の胸ポケットにチョコレートが差さっていました乗った際は確かにテーブルにあったのに・・・・・・・・ 窓を覗くと空は真っ暗。外は雪が降っているようです。 時刻は夜の21:00 。 ミュンヘンでギリギリまで郵便局に並び、ハプニングに見舞われながらもダッシュでウィーン行き最終電車に飛び乗り、そこから記憶がありませんでした。 車内で爆睡してしまったようで、優しくも車掌さんが胸ポケットにチョコを入れてくれたようでした。 寝ぼけ眼で電車を下車すると外は一面の銀世界。雪がなかなか降っていました。すでに駅構内は2センチ程の積もっており踏むとサクッと音がします。 あらかじめ予約していたホテルがあったのですが、なかなか地面もぬかるんでおり、今だに赤子の様に抱きかかえる15Kgの荷物。今だに風が冷たい手袋を失った右手。そして寝不足。 ホテルを探す気力も残っておらず、人生初の空港泊をする事にしました。 朝の飛行機に寝坊しないためと、出国時のトラウマもありまして・・・・♩ 空港へ着いてみると、意外と先客がおりました。わたしもそれに混じって席を確保しました。 夜の空港はとても新鮮で、決して真っ暗になる事はなく、日中あれだけ騒がしいのにとても静か。 ディズニーランドが閉館した後のようなイメージでしょうか。 松尾芭蕉に詠むならば 夏草や(ウィーン国際空港や) 兵どもが(空港関係者が・・・) 夢の跡・・・・(寝静まった後・・・) 夜中の12時くらいに席を確保し、そこから最後の手紙を書き始めました。 手紙を書いている間の"時"というものは実にあっという間に過ぎ 気付くと朝の4時。空港が起き始めました。(結局丸2日徹夜をしたようです) 朝一の便に乗る色んな国々の人たち。その傍ら手紙を書く私。 今回の旅で気付いた事は、テーブルと椅子に座った時よりもこうして移動中やどこかにいる時の方が言葉を紡ぎやすいように感じました。これは発見ですね。 そんな事を感じつつ帰国当日の朝8時に全て、本当に全ての手紙を書き終え、調べておいた空港内郵便局に行くために意気揚々とインフォメーションへ行くと・・・・・ 最後の笑いの神様が待っていました・・・・・・。 私 「郵便局はどこだい??」 インフォメーション「郵便局?去年閉まったわよ。」 と一蹴。文字通り一蹴です。 がーん。本当に言葉以外が見当たりません。ぐわぁ〜んの方が音として近しい気もします。 搭乗まで残り時間は僅か。サッカーで言えばロスタイム。テストで言うと残り5分。朝で言うとあと5分。 その位の時間の無さ・・・・・ 完全にここでの送る手段を失いました。そのまま寝ることなく、そして泣く泣く帰路の旅路へ・・・・。 しかし、伝家の宝刀の如く最終手段が一つだけ思いあたりました。 帰りはウィーンからアブダビ経由で帰国するのですが、そこに最後の望み、一縷(いちる)の望みとも言うべきポストがあったはずなのです! それを最後の砦とし、無事に飛行機に搭乗。 (アブダビへ到着、もちろん機内は爆睡) 乗り換えでアブダビに着く・・・・・といました、ありました恋い焦がれた真っ赤なポスト様!(君をずっと探していたぞー!と内心叫びまして) 蓋はついてるものの、口を開けて待っている様にさえ見えます。 早速切手を探しにお店を散策しました。 私「切手売ってますか??」 お店「ないね〜」 さぁ、気を落とすことなく次々の店。 私「切手置いてますか?」 お店「ないね〜」 どこをかしこも歩いても切手が売ってません!(やる気あるのかー!!と突っ込みいれつつも) 目の前にこんなに立派なポストがいらっしゃるのに……!! そうこうしているうちに成田行きのファイナルコールがかかりました・・・・・。 ……ごめんなさい、送れなかった皆様……… 泣く泣く帰りの旅路へと、成田行きの便へ搭乗致しました。 約一週間に渡る旅もこれで最後。 最高に眠いけど、機内の唯一無二の楽しみである機内食だけは食べないわけにはいきません。 何とか機内食まで粘り、機内サービスの紅茶を頂き、そこで私の記憶は途切れました。 10時間弱のフライトでしたが、一度も起きることなく眼が覚めると成田空港。 しかも恐ろしいことに気付くと隣の方のブランケットまで奪っていました。 (ごめんなさいお隣様・・・・・) 無事に帰国し、真っ先に向かったのは落し物センター。もちろんお目当ては恋い焦がれる私の右手袋。 私 「○○月××日にブルーの手袋ありませんか??」 空港職員「無いですね〜・・・・・・」 私の"right"はいったい何処へ・・・・・・・・!!! (right 意味=正しい、間違いのない、右 、の意味) ーおわりー ここまでお読みくださりありがとうございました。 そして全てを海外から送れなかった事を残念に、そして申し訳なく思います。 総送付年賀状枚数、37枚。 総封筒製作数 32枚。合わせて合計69部を送らせて頂きました。 アブダビはやはり到着に時間がかかり、スイスとウィーンは送付できるサイズの制限と料金計算が特に難しかった気がします。 今回campfireさんのこのプロジェクトを通じて皆様にお会いできたことを本当に嬉しく思います。 お手紙やメールを下さった方、Instagramや、ブログで紹介して下さったりと本当にありがとうございました。 お会いしたことない方へ送るのは喜び8割不安も2割でしたので・・・ 今回、封筒のセットを選んだ方の殆どにパントーンの色見本から作られたポストカードを封入させて頂きました。こちらは色のリクエストを聞いたり、頭の中でその人にパッと浮かんだ色を入れさせて頂いております。 紅茶はyogi tea のオーガニックのジンジャー ティーを選びました。開けた時にふわっと香る様に。 Pick up のチョコはあらゆるチョコを食べて一番美味しい!と感じたものをチョイスしました。決して飾らずも美味しい。皆さんもドイツへ行った際は是非。 今回のこの企画。全ての方がとっても満足!!!とはならなかったかもしれませんがこのプロジェクトを通じてたくさんの経験をさせて頂いた事に心より感謝しております。 永きに渡ったこのプロジェクトもこれで最後となります。 ですが、もともと手紙好き、封筒好きですので不定期便を希望の方は遠慮なくメッセージを頂けたらと思います。 そして今は世界のどこかで封筒専門店でも作れたらなぁと企んだりもしています。 皆様が手書きの良さを少しでも感じて頂けたら幸いです。 またどこかでお会いしましょう!本当にありがとうございました。 「"空飛ぶ年賀状"プロジェクト」 吉田より
ここはマイパワースポット チューリヒ中央駅。 ここを起点にたくさんの紙を集めました。そして多くの年賀状はここの黄色ポストから投函しています。 電車でたくさん移動しているので、封筒の素材にタイムテーブルを使うこと そして、どぉ〜しても行きたい美術展があったので、チューリヒ美術館へ。 もちろんそこで素敵な紙の数々とギフトに使う素敵なアイテムを入手。 そして友人へ新年のご挨拶周りも。 移動中の電車内では製作を続けながら、チューリヒ→1/3 ローザンヌ(スイス)→1/4 ミュンヘン(ドイツ)→1/5 ケルン(ドイツ)と移動をしていました・・・・・・ が・・・・・ 思った以上に封筒作りが間に合いません。電車の揺れの影響か私のスケジュールミスか、はたまた寝すぎたか真相は闇の中ですが唯一分かっている事は、プロジェクト完遂に間に合わない! という事実ただ1つ。 そこで、ケルンにて久々にに徹夜をする事が確定。 封筒残り枚数約30弱。帰国まで残り2日を切り この日を、この夜を逃してしまったら確実に間に合わないという状況でありました。 滞在先で机を目一杯お借りし、コーヒーやお夜食まで頂き、集中力全開です。 さすがにカッター持ったまま記憶が途切れたシーンもありましたが、何とか2015/1/5の 朝5:00過ぎに封筒の全て完成。 久々に完全の徹夜でした。 が、しかしこれで終わりではありません。 ギフトのパッキングがあります。しかも旅はもう終わり間近。 1/6の午前までに帰国のためウィーン国際空港へ行かないと行けなかったので、ケルン(ドイツ)を午前9時に発。 ケルン→フランクフルト→ミュンヘン→ウィーン 経由で列車に乗り帰国の路へ向かいます。 ケルンから電車に乗りフランクフルト(ドイツ)の駅構内で電車を待っている間にもパッキングし、ミュンヘンへ向かう列車のなかでもパッキング。(もちろん途中回ってくる車掌さんにチョコを貰いながら・・・) ミュンヘン中央駅に着きパッキングが終えた順にミュンヘン中央駅のポストから投函致しました。 「ちゃんと届いておくれ!」と願をかけながら・・・・・ そして旅は遂に終わりに向かいます・・・・・・・・ ー最終話へ続くー
ここはウィーン。ウィーン西駅。 数々の国際列車の往来する主要な駅です。 予め書いたはずの第3話が何かの誤りで消し飛び、今は新宿のとあるカフェで書き直しを余儀なくされています。 到着した日が元旦のため駅の窓口がしまっており多少のタイムロスはありましたが、何とかプロジェクトを進めるべくここウィーン 西駅に着きました。 今回は移動が多いのでいかに移動中に作業を進めるかがプロジェクトを完遂する肝と捉えていました。 この初日はウィーンから9時間かけてスイスはチューリヒへの電車の旅。 まさに一人世界の車窓からです。あの皆さんのイメージする音で間違いありません。 ばばっばばばば〜ばぁ〜ば〜ん♩♩ 電車に乗ってみるとそこは天国。人生において天国へ行くまでがなかなか地獄だという説もありますがそれはさて置き そこは私にとってのまさに天国。 完璧な高さの作業台とも言える机、左手には窓からの一面の雪景色。適度な広さ。 おてなしのチョコレート。 その上、高低差ゼロの位置にある完璧なゴミクズ入れ。(写真左手) 封筒を作る際は実に細かい紙くずが出るのです。それを拾い集めるのがなかなか大変。 ましてや封筒作り日本代表の肩書きも背負っております。車内で散らかしたまま帰るなんて事してしまったら日本人の評判も落としかねません。 そんな心配をまさに字の如く一掃する完璧な位置にあるゴミクズ入れ。カットしてスライドさせるだけで、なんと綺麗な仕事をできることでしょう! さぁ、やっと待ちに待った封筒作りスタートです! 他人の目なんて気にしません。おまけに電車内のビジネスエリアに陣取りましたから何か聞かれても「ビジネスです!」とビシッと言ってやるつもりでした。 (結局旅の最後まで聞かれることはありませんでしたが・・・・。) 48時間振りの封筒作り。カッターが滑ります、呻ります。楽しくてしょうがないです。 おまけに手を休めれば、窓からは美しい程の銀世界。右手にはカッター。左には完璧なゴミ入れ。 ・・・・・・・・・・外からみたら異様な光景ですね。 電車が揺れるので多少製作スピードは落ちましたが、空港で発見した紙を使って颯爽と作ります。 作り疲れたら今度は手紙や年賀状を書きます。 主にその繰り返しでした。 (やっとプロジェクト報告っぽくなってきましたね!) しばらくの間、作業を進めていると、車掌さんがきました。まさに世界の車掌です。 「やばい!!」 とちょっと焦りましたが、なんの問題も止むなし。 乗車券のチェックとチョコレートを配布してくれました! 本当はこの時のチョコを同封したかったのですが、みなさんに送った「pick up」チョコの方が美味しかったので、これは私のエネルギーへと変わりました。 雪が降っていた為か、電車が予定よりだいぶ遅れていました。 のでオーストリアの西 ザルツブルクで乗換えをする事に。 一度下車して素敵なポストカードをゲット。 パンとオリーブオイル、なにやら美味しそうなブラックベリーでエネルギー補給。 何とここはモーツァルトの生まれの地だったのですね。 1時間程の観光を終え、チューリヒ行き電車にride on。 作業、手紙、年賀状 時々、睡眠 をとり 無事にチューリヒ中央駅に着きました! ここは私の最も好きな場所の1つであり、大っきい電光掲示板の下で 「やっぱここだね!」とか一人言をぶつぶつ。 日本では無いので一人言も気にしません (笑) 今回は友人への年始の挨拶も兼ねていたので、そこからさらにバスに乗りました。 ここで久々にやってしまいました。 降りるべきバス停をメモし忘れていたのです。 時刻は19時。気温は零下。しかもこっちは終バスが早いので間違えても引き返す術がありません。 左手には15キロの取手の外れたカバン。 右手は手袋の無い手に携帯。 あるのは強い意志のみ。 正直賭けでした。友人宅の住所を穴が空くほど眺め、目を閉じ直管を 研ぎ澄まし・・・・ とある駅です降りました!えい! 降り際に運転手さんが「本当にここでいいんかい?終バスもうないよ?」 と問いましたが、「ここで降りずして何時ぞ降りる。失敗もまた良き経験となり」 と言い放ち、いざ下車。 降りるとそこは一面の銀世界。人っ子ひとり、銀キツネ一匹たりともいません。 電波も無し、地図も無し、歩くには遠し、おまけに荷物もめちゃ重し。 数十分程のウロウロしましたが、友人宅の手掛かりなし。気温は零下。これはこれは久々に(失敗)やっちまったか・・・・・・・ と思っていたら・・・・・・・・・・・・・・・・遠くから私の名を呼ぶ声。 助かった・・・・・・・!!!!!!!!! ー第3話 完ー
こんにちわ 吉田です。東京は春の兆しがやっとみえ始めて参りました。今回のプロジェクトは北は北海道、南は福岡。北西は新潟と実に日本全国からお力を頂きました。 では第2話はじまりはじまり。 Day 2nd 「2015/1/1 波乱の到着編」 時刻は朝の6時。つまり2015/1/1 6:00am 波乱の幕開けを終え何とか、やっと・・・・ウィーン国際空港へ降り立ちました。 長かった・・・・受験が終わって合格発表が出るまでの期間の程、もしくは告白して返事を保留された期間ほどに長かった・・・・。 もう旅は終わったみたいだ。プロジェクトの「プ」ほどしか作業は終わっていないけれど・・・ (ウィーン国際空港) 着いてみると先ず祝福してくれたのは華麗なオーケストラの音楽。 壁には音符をあしらったデザイン、反対の壁にはクリムトの壁一面にも渡る絵。眩いほどの絵。 出国時の波乱を考えればこの高揚の気持ちを抑える方が難しいくらいです。 なぜならここへ辿り着けない可能性の方が高かったのですから。 あとは預けていた荷物をピックアップして外へ出るだけ・・・・・のはずでした・・・・・。 回転寿しほどのスピードで回る台に乗って掃き出されて出てくる荷物たち。 他の乗客の荷物に続いて待っていました私のカバン。 君が居なければカッティングマットもカッターナイフもない。 封筒も作れはしない。 私のかばん。 私のカバンさん・・・・・!? 今はまだ遠くに見える私の鞄。早くも何やら様子がおかしい。付いてないはずの何かがぶら下がっている。 否、付いていたはずの何かがぶら下がっているようだ・・・・・ 何と・・・・取手が外れている………!!! そう今回は移動が多いのでキャリー(ぱみゅぱみゅではありません)は使わずに手持ちの鞄にしたのです。 当然持つところはたったの一つ。 その世界でたった一つの持ち手がまさに今ま目の前で外れているではありませんか! 出国時のハプニングのオチはこれかー!!!と内心突っ込んだ私ですが、 数々の波乱を乗り切った私にとってはもはや朝飯前。 取手がなくたって荷物は運べます。飛行機に乗り遅れる恐怖に比べると、猫に小判、壁に耳あり障子に目あり、私には二本の腕あり。 男のレベルだってさすがに上がってます。 多少ベンチで苦笑。5分ほど意気消沈しましたが萎えた気持ちをを切り替え、立ち上がり 赤子を抱きかかえるかの如く、佐川急便よろしく私は鞄を抱き抱え颯爽と空港を後にしました。 その時に願った事はただ1つ。 もうこれ以上ハプニングがおきませんように・・・・・・・ この時点でのプロジェクト進行率 たったの5%。 ー続くー
皆様大変お待たせ致しました! 「空飛ぶ年賀状プロジェクト」総まとめ報告になります。 今回巡った地域は中東含め実に4カ国。 波乱の出国から帰国までの軌跡を記したいと思います。皆様長文お覚悟下さいませ。 「波乱の出国編 〜2014/12/30〜 」 フライト約5時間前。余裕をかなりもって家を出たのが16時過ぎ。 成田21:40分発アブダビ行き(UAE) フライトに何の問題も無く何の心配も無く飛行機に乗る・・・・・・・・・・・・はず・・・・・・でした。 この日はちょっと早く出すぎため職場に寄りパッキングをし直し、荷物の再確認を終え、成田空港へ向かうために最寄りの高円寺駅へ向かい着いた瞬間、 顔面蒼白になりました・・。 駅員さん→「え〜先ほど起きました車両故障の影響でこの電車は1時間以上停車する見込みです〜。え〜繰り返します。〜先ほど、東中野駅にて〜・・・・・・」 事態が飲み込めませんでした。 停車する見込みって、それ飲み込めないんですけど・・・・と内心突っ込みながら取り敢えず分かったのは「やばい」という事実のみ。 なにがやばいというと私だけ乗り遅れるならまだしも今回はこのプロジェクト背負ってます。 決して「すいません。行けませんでした〜(汗)」なんて事は許されないのです。 電車が止まってすぐだったので、直ぐさま階段駆け降り、taxi乗り場が混む前にタクシー乗り場にダッシュ!Hey!TAXI !!!(実際には言ってません) 一目散にタクシーに乗り込むと開口一番 「空港へ!!!」 ドラマで言うところの、前の車を追って下さい!! ばりの感じで言い放ったと思います。 (男性はお分かりになると思いますが、一生のうちに「娘はやらん!!」の次に言ってみたい台詞かと思います。) 空港へ!と言ったものの、メーターはみるみる上がって行きます。(そう、加速装置でも付いてるんじゃないかと思うくらいに・・・・) びびった私は、急いで路線を調べ上げ 「………………………日暮里駅に変更お願いします。」とちょっと小声で伝えました。 無事に日暮里駅へ着き、本来であればここからスカイライナーという超特急でびゅーん!と行けるはずだったのですが・・・なんとスカイライナー最終便が終わっていました………。 まさかの20分の足止めをくらい、頼りなくも頼るしか無い普通列車で向かうはめに……。 もどかしい気持ちを抑えながら電車に揺られ、その間、誰か同じ状況になった人は居ないものかとインターネット検索(y知恵袋)すると………いました、いました。私と同じ境遇。 (以下本文引用) Aさん 「Q:至急です!空港へ向かっていますが、電車が遅れています!!ぎりぎりの到着になるのですが何か良い方法ご存知の方いませんか!?」 とかなり切羽詰まった質問文。まさに今の私と同じ状況。 わかるぞ、わかるぞ、まさにいまわたしはこの状況だ。 読み進めながらスクロールすると、結局は急ぐしか無いという結果に………。 しかもAさん最後に 「結局、間に合いませんでした………」と何とも私を不安にさせる文章が……。 私もAさんと同じ運命を辿るのか!?いや、そうはさせない!と自分のなかで自問自答の繰り返しながらもその間電車は進みます。 結局、空港や航空会社へ電話したものの、分かった事実は"急ぐしか無い"という事。 こんな状況になると、もう笑うしかありませんでした。久々の大ピンチ。 なぜか走れメロスと唱えながら始めたのは、空港をダッシュする準備。 人間こんな状況になると人目を気にしている場合ではありません。 人気の減った車内で走りやすいように持参していたスニーカーに履き替え、荷物を可能な限り小さくまとめ、暖かい靴下から走りやすい靴下へトランスフォーム。そして改札に一番近いと思われるドア前にスタンバイしました。 「あとはもう……………走るだけだ。」 成田空港第一旅客ターミナル駅到着。息を吸い、ドアが開き、よ〜い、ドン!! 走る走る!!動け私の脚。働け私の心臓。 だけど荷物(約15kg)が重すぎて全然前に進まない。 しかもチェックインカウンターは4階のしかも一番奥!エスカレーターも駆け上がる! 足が辛い、もう上がらない。限界はとっくにきてる。心臓がばくばく言ってる。告白する時以上だ。ランニングしておくべきだった。マラソン選手が最後の10キロが本当に辛いってこのことか!!と思いながらも何とか走る走る。 4階に辿り着き何とかチェックイン!!!けど荷物検査とパスポートコントロールあるから止まる訳にはいきません。 おまけにフライト時間まで残り10分切ってる!!! 荷物検査、パスポートチェックを終え尚走る。 走って走って、歩く歩道も走って、人をかき分けて走って、そして・・・・・・・ 見えた!!!!!37番ゲート!!!! 今思えば3つの軌跡が起きていた様に思います。 一つ目は、高円寺駅から電車へ乗る時に本来は車両故障を起こした電車に乗る "予定"であった事。何か忘れ物をして電車を一本遅らせていたという事実。予定していた電車に乗っていたら本当にOUTでした。 二つ目は、おそらく飛行機が10分遅延していたこと。 三つ目はその時履いていた靴下が何かとハッピーに満ち溢れる友人に誕生日プレゼントで頂いたものであったこと。 です。 何とかフライト5分前に席に着き・・・・・・・ (あれ、手袋が片方無い・・・・・・しかも右 ) (右=right =正しい、正確な、間違っていない、右の意味) せめて左を落としたかったと思う不安な旅の始まりでした。 波乱の出国編 ーおわりー (ここまで読んで頂きありがとうございました。途中熱く書いてしまいましたがこんな感じで続きを書いていきます。もう数回活動報告メールが飛んでしまうかと思いますが宜しくお願い致します。感想等もちろんウェルカムです!) 吉田