みなさま、明日の詩集出版プロジェクト、応援ご支援ありがとうございます!
いつも、温かい応援メッセージに元気を頂いております。おかげさまで、プロジェクトもあと9日となり、パトロン様も96名さまとなりました。ただ感謝感謝です。ありがとうございます!
あと、ひと踏ん張りというところで、疲れが出たのか、風邪を引いてしまいました。
何か、新しい活動報告をと、思っていたのですが。ちからがでなく、情けないです。
なので、きょうは、このクラウドファンディングを立ち上げるときに、いちばん最初に作った、アピール文のノーカット・NG版を、パトロンになって頂いた方のみの、限定公開をさせていただきます。*テレビでNGシーンを観るのも結構すきなので(笑)
この最初の文(A4で30枚ほど)から、試行錯誤しつつ、キャンプファイアーの担当さんにアドバイスを頂いたりしつつ、3分の1位にして、現在の形(ご挨拶文)になりました。現在のものの、3倍近くあるてんこ盛りです。*写真も多くなっています。
ちょっと、宣伝がしつこかったり、おいおいという感じの、泣き言なども入ってたりしますが。。ご勘弁ください。うんと、長いのでおヒマなときにでも、ご笑覧くださいませ。
わたしも、その間に、しっかりパブロン飲んで、ゆっくり眠って風邪を治すことにいたします。
みなさまも、気温が不安定な日々、どうぞ、お体には気をつけてくださいね。
そして、どうぞ、あと数日を見守っていただき、引き続き応援いただきますよう
よろしくお願い致します。 宮尾節子
**宮尾のノーカット版編**
<ごあいさつ>
みなさん、こんにちは。
わたしは宮尾節子という
未来に向かって、詩を書くものです。
人には、ことばがあることを
一編の詩だって、捨てたもんじゃないことを
知ってもらうために。
誰にも、希望があることを
どんな時にも、なにか方法があることを
知るために。
あしたの詩集を出すために。
「明日戦争がはじまる」という詩をネットに載せてから五年経ち、次のあたらしい詩集の準備ができました。あたらしい詩集は、あたらしい出版のカタチでという思いで、この度、クラウドファンディングに挑戦することにしました。
詩集で?と思われるかもしれませんが、狭い世界から広い世界にことばが飛び立つための、ここにも詩の未来が見えたからです。カエルになるおたまじゃくしがいるように、ウタになるおたまじゃくしもいるでしょう。詩が役に立つのかどうか、と問われれば。詩は逆に、問いかけてみます「役に立つことがそんなに大事だろうか」と――。
ボタンひとつで、世界が終わるなら。平和を守るのはボタンひとつ、押せないひとです。それは頼まれてもできない、役に立たないひとです。役に立つことがそんなに大事だろうか。答えではなく、ボタンひとつから、問いかけつづける「詩はことばの冒険」だと思います。
わが詩を飛び立たせるために、クラウドファンディングする!この挑戦もまた、わたしにとっては、ひとつの大きな問いかけです。胸がドキドキするし、飛び立つ足がブルブル震えるような、「詩の冒険」です。あちこちから批難も浴びそうですし、浴びて当然な気もします。詩人のみなさんがどんなに苦悩して詩を書き、どんなに苦労して詩集を出版しているか、知らないわけがありません。
わたしも長く詩と共に生きてきた詩人の端くれなのですから――
でも、詩にも未来があることを信じたい。そして、このような方法もまた詩の未来の形だとわたしは信じてみたいのです。「歴史は事実は残しても、庶民の感情は残さない」といいます。出来事だけが残り、わたしたちの「うれしい・かなしい・くやしい・つらい」思いは消えてしまうのです。その消えてしまう、なかったことにされてしまう、私たちの思い、個人の思いを残していくのが、
詩や歌や文学の世界だと思います。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」芭蕉の名作も、歴史的には一匹のカエルが古い池に飛び込んだだけの取るに足らない事実です。でも、こんな蛙一匹を永遠に残すには、歌にしなければならなかった。蛙の命と芭蕉の思いを俳句という歌が残したのです。
詩は突き詰めれば、小さな個のことばです。でも、詩や歌や文学や芸術は、大きなことばや大きなちからに、押しつぶされまいと踏ん張ってきた小さな個の歴史ではないでしょうか。その役に立たないかもしれない、小さな言葉の、大きな冒険を、もしもみなさまにご興味を持っていただき、応援いただければとの願いをこめて、このような拙い文章をかきました。
わたしの詩が、あなたの詩でもあることを、信じて
いま、この時、ここでなければ、ならない、詩を詰め込んで、放ちます。
何卒よろしくお願い致します。
*ショートバージョンのご挨拶はここまでですが
もう少し宮尾についての、お話を聞いていただける方には、以下のロングバージョンをご用意しました。おつきあいいただければ、幸いです。
「明日戦争がはじまる」という詩ができた訳や、わたしのことについてお話しさせてください。少し長くなりますが、おつきあいいただければ幸いです。
<「明日戦争がはじまる」について>
わたしは、2014年1月のある日「明日戦争がはじまる」という一編の詩を、ツイッターに投稿しました。それをきっかけに、わたしの人生は一変しました。
「鳥肌が立った。」「凄すぎる!」「この詩はすごい。この数十行の中に、今の空気が濃縮されている!」「詩って、こんなに凄い力があったのか!」「胸にブッチと、矢が刺さった感じがした。」「すごくリアルに見えてしまうこの時代がこわい。」「通勤電車で、涙が出そうになる。」「秀逸です。」「すばらしい。詩とは本来、このぐらいのパワーを持ったもの。小学校の教科書に載っている詩と称されるもの、あれはいったい何だ」「考える事、想像することを放棄してしまいそうないま。人間が人間として在るための。心が心として在るための。最後の砦のような詩だと思いました。ありがとうございました。」「背筋に冷たい水を浴びさせられたような気持ちになった。」
「この詩をじっくり読み、現実を見よ。」「身震いがした」「言葉の力は、そこに魂が込められた時、もの凄いものになります。この詩は、そういうものです。」「思わず前屈みになって2回読みました。詩がこれほど力を持つとは新鮮な驚きです。」「なんか怖いな、って空気をうまく言ってもらった感じだ」「ハッとするよ。リアルに。」「感傷を削ぎ落した言葉から、今の時代の不穏な空気が、ひしひしと、伝わってくる」「これを読んでなにも感じないのだろうか」「言葉は一見衝撃的に見えるけど、何を伝えたいかはよくわかるね。」「恐ろしい、ゾッとする。」「なんか凄く今の時代の状態が映し出されている感じがする…そう思うと怖い」
目に留めてくださったみなさんが、さまざまな詩の感想をつけてくださりながら、たちまちこの詩はネット上に拡散を続け日本中を駆け巡ることになります。
この詩を発表した、前年の12月に国会では特定秘密保護法が成立。報道関係者や表現者に不穏な影を落とした頃でした。多くの人の目にとまったのは、その時期に掲載したこともあります。その後、少し拡散の波はおさまったのですが、続いて集団的自衛権の閣議決定と、それに抗議した方の焼身自殺未遂の事件があり、再び社会の動きに合わせるように、人から人へとどんどん詩の拡散も勢いを増していきました。通知を知らせるわたしのスマホは四六時中鳴りっぱなしです。ツイッターやフェイスブックで引用RTやシェア数は数万件となっていました。
詩の発表場所もない(ゆえのネット掲載でしたが)ような、地味な詩書きのわたしにはあり得ない、何だか夢をみているような落ち着かない日々でした。
数えてみると、その短い詩の文字数はたった114文字。どこまでも広がっていく、小さなことばの旅は他人事のようでもありました。たった一編の詩にこんな力が宿っているのか――詩の力に驚いたのは、誰よりも私自身でした。
一編の詩は、ネットの次は、新聞に取り上げられ、雑誌や週刊誌に紹介され、さらには学校の授業に、教材に、また漫画やラジオにテレビに、さらに英語・仏語・タイ語・中国語と翻訳されて海外にも紹介されていました。
国会では国会議員のかたに朗読され、デモで使われ、ビラとなって配られ、曲がつけられ歌になって、ライブハウスや舞台ではさまざまなミュージシャンの方に歌われることになりました。おかげで、小さな詩は日本中をかけめぐり、わたしが知られることはなくても、「明日戦争がはじまる」という詩だけは多くの方に知られることとなりました。それはわたしには奇跡のようなことでした。
・新聞掲載記事
もともとこの詩は、発表する7年前に書いて忘れていたものでした。政治的な詩というよりも、地方出身者なら誰もが感じる素朴な都会の感想です。人とのつながりや動植物の命を間近に暮らす田舎の人間なら、誰でも書ける「あたりまえの詩」です。あまりにあたりまえ過ぎてつまらなくて(笑)、引き出しに入れたまま忘れていたのでしょう。
もしかしたら、誰でも書ける詩を誰も書かなかった。誰でも言えることを誰も言わなかった。そんな隙間にたまたまこの詩が飛び込んでの、ヒットだったのかもしれません。とはいえ、あたりまえのことが、もうあたりまえではなくなっているとしたら。それは、それでとても恐ろしいことのような気もしました。
<ひろがる詩の反響>
全国の新聞各紙に「警鐘の詩」「平和の詩」として詩と記事が掲載されました。
◯漫画
◯ラジオ
◯「大竹まことゴールデンラジオ!」で眞鍋かをりさんが詩を朗読してくれました。とてもよい朗読です。→◯ https://youtu.be/IUs__o8bSAM
◯岩上安身氏のIWJ(Independent web journal)に<「明日戦争がはじまる」作者です。こんにちは>の題で3回に渡って、詩について連載しました。
→◯「明日戦争がはじまる」の作者です。こんにちは
◯詩集
*2014年7月には詩集『明日戦争がはじまる』(思潮社オンデマンド)を自費出版しました。
アマゾンの詩歌・詩集のコーナーでは、一週間連続ベストセラー1位となり、思潮社の詩集がランキングで1位になるのは初めてのことだと驚かれました。
◯新聞の書評欄では、<「炭鉱のカナリア」として>の役割を果たした、との詩評を城戸朱理氏に頂きました。思わぬことばでしたが、はじめての忘れられない詩集評となりました。
毎日新聞・詩評欄
◯2014年12月には『宮尾節子アンソロジー 明日戦争がはじまる』(集英社インターナショナル)が出版されました。今までの詩集の発行部数の10倍以上という数で、おかげで全国各地のどこの本屋さんの店頭にも自分の詩集が並ぶという、詩人にとっては夢のようなことが起きました。ありがとうございました。こちらの書評もさまざまな場所で取り上げていただきました。
「書店員、オススメの一冊/山本明広」図書新聞より
ツイッターでもたくさん詩集の感想をいただきました。
ありがとうございました!
◯「明日戦争がはじまる」というフレーズが2600万件ヒット。
GoogleとYahoo!での語句検索のヒット数
2015年5月13日。政府が安全保障の関連法案(「戦争法案」と野党の呼ぶ)を閣議決定する前日のこと。「明日戦争がはじまる」の語句でのGoogleとYahooの検索ヒット数は、なんと26,000,000(にせん・ろっぴゃくまん)件という、見たことのない膨大な数字をはじきだしました。不正確さを差し引いても、この法案への人々の関心や不安の数が充分に反映されていると思えました――。
<朗読やトークショーについて>
◯「明日戦争がはじまる」という詩をきっかけに、さまざまな場所での朗読やトークショーにも呼ばれるようになりました。そこで詩にこめて思いを伝えたり、他の詩を朗読したりしました。あまり詩人の登場する場所ではないところで、詩を紹介できることはありがたいことでした。
*こまつ座「父と暮らせば」アフタートーク/井上麻矢さんと(新宿紀伊国屋ホール)。
◯「父と暮らせば」アフタートーク(リンクしてます)
*69(ロック)の会(松田美由紀、岩上安身、小林武史、岩井俊二、マエキタミヤコ各氏発起人)にて、民族楽器奏者田中一夫さんの伴奏で詩を朗読(代官山UNICE)
◯69(ロック)の会・代官山UNICE(リンクしています)
<宮尾節子のプロフィール>
◯さて、遅くなりましたが、わたしのプロフィールをご紹介します。
土佐の高知の山里の村で、生まれ育ったわたしが、詩を書き始めたのは10歳。「波」という詩が『小学四年生』(小学館)という雑誌の投稿欄で、特選に選ばれはじめて活字になりました。
「海をみておもった/波をみてかんがえた/波はどうしてできるかを」ではじまり(なぜか、出だしだけは覚えています)。きっと、海のむこうの国のひとが海に石を投げたんだ、そして波の子が生まれた。その波の子が旅をして成長し、こちらの国のわたしの前まで、たどりついたんだ。わたしも石を投げてみよう、そして、波の子を作ろう、その波を旅立たせよう、いつかその波は海を渡って、遠い向こうの国にたどりつく。さあこの石を投げよう――そんな感じの詩でした。副賞としてセーラーの万年筆をもらったのが、詩人としてのデビューでした。時々のブランクもありますが、そこからずっと今まで、詩を書いて、詩とともに生きてきました。わたしにあったのは、「詩の書けた日と、書けなかった日」の二つの日だけです。
そんなわたしは、「どんな性格か」と問われたら「慣れない性格だ」と答えます。常に周囲との違和感とともに生きてきた。泣き言を言うと、親は「そのうち、慣れるわよ」と諭しましたが。何ごとにも慣れない、長くやっても、いつまでたっても慣れない。ペットには不向きな、野生の動物のように…と言えばいいか。生きていれば身につくはずの何らかの蓄積が、ちっとも身につかない。常にもとの、ゼロ地点に戻るような。そんなところが私にはあります。詩を書くときも、いつもゼロから出発します。詩はどうやらそんなものらしいです。ゼロ地点からのことばの出発、常にゼロに針がもどってしまう私。そこが「慣れない性格」の私と「詩の性格」との相性の良さかもしれません。そんなふうに、わたしは、わたしの詩を書いてきました。
京都の河原町に座り込んで、針金細工を売るヒッピーの人たちの脇でガリ版刷りの「わたしの詩集」(化石のような言葉ですが笑)を売ったりもしました。隣では『腹腹時計』とかいうへんな題名の冊子を売ってる人もいた時代です――。
長くなりますし、どん底の時代もあり(その辺のお話は高額リターン者に限らせていただいて…冗談)、脛の傷も疼くので、あとは一気にショートカットしますが
現代詩というジャンルでのデビューは『現代詩ラ・メール』という新川和江・吉原幸子両氏と思潮社が主催する雑誌で第10回ラメール賞をいただいてからです。(1993年4月)
*ラメール終刊号/新川さん、吉原さんの評/受賞のことば。
新川和江:「宮尾節子さんの詩には、些事にこだわらず自分を押し出してゆく、奔流のようなエナジーと躍動感がある。饒舌体ではあるが、読者をリードするリズムの工夫がほどこされていて、読者もつられてステップを踏んでしまう」
吉原幸子:「宮尾作品が投稿欄に初登場して、今号で一年有余しか経っていない。その間に並みいる優秀な古参たちを凌ぎ、独特なダイナミックな、一種の〝啖呵″にも似た胸のすく手法を展開して注目され、今回の受賞となった」
喜ばしいことでしたが、わたしの受賞を最後に『ラメール』は廃刊となります。編集の方の言葉を思い出します。「宮尾さんには、申し訳ないです。賞をお渡ししたのですが、詩誌は終刊となり宮尾さんの活躍する場所を用意することができません」がーーん。受賞とともにまた、わたしはいつものゼロ地点にもどりました。賞のご褒美として翌年、出版支援していただき『かぐや姫の開封』(思潮社)を上梓しました。(1994年10月)
それ以後も、既存の現代詩ともやっぱりどこか「慣れない性格」のまま、おもにノートに、息をするように自然にひとりでこつこつと、自分の詩を書き続けてきました。
誰に頼まれるわけでなく、誰に見せるというあてもなく、それでもなぜ書くかと言われても、カラスになぜカアと鳴くのかと、聞くのとおなじこと。季節が来ると咲かずにはいられない花のように、鳴かずにはいられない虫や鳥のように、打たれれば鳴らずにはいられない楽器のように――書かずにはいられない、詩を書き続けてきたのでした。
良い性格でもなんでもありませんが、詩だけはいつでもそばに居てくれました。最低のときでも、最高のときでも、どんなときでも。そうです――病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも……わたしのそばに寄り添って、離れずに居てくれたのです。ことばの形をしているけれど、それは紛れもない愛でした。詩は。わたしの愛でした。
詩は、わたしにとって紛れもない愛だという確信だけは、
何があっても、揺るぎないものでした。
こんなにいつまでも、尽きることなく湧きつづける愛のそばにいられる人間が、幸せでないわけがありません。だから、いつでも心の根っこには、喜びがありました。それは、水の中にいる魚やお日様の光で開く花たちの官能的な悦び。生命の喜びかもしれません。
そして、甲羅を背負った亀のように、詩を背負った私は、ゆく先々で出会う人に助けられてもきました。山里のたぬきがやってそうな古い印刷屋さんに頼んで詩集を出したり(『妖精戦争』)、地元の小さな文芸誌の発行所のお世話で詩集の形にしてもらったり(『ドストエフスキーの青空』)、知り合いから知り合いをめぐって遠く秋田の印刷屋さんに詩集をつくってもらい、鍋釜の日用品のサイトで販売してもらったり(『恋文病』)、友人や知人とほんとうにたくさんの詩の外にいる方々とのご縁のおかげで(もちろん家族もです!)、その時々の、じぶんの身の丈に合った詩集を出し続けてこられたのです。ありがとうございます。
<既刊詩集について>
◯詩集ってどんな感じで作ってるの?たとえば、詩集『恋文病』はこんなふうに仕上がっていきました。こちらにスライドショーにしてあります。
*『恋文病』ができるまで。(リンクしてます)
おかげさまで、それぞれの詩集の評判もそこそこ、好評を頂きました。
◯『ドストエフスキーの青空』は、NHKブックレビューで紹介されました。
NHK・BS 週間ブックレビューにて
H氏賞の候補にもなり、発行元の小さな出版社さんの名前と「心の戸をたたく」という社長の帯のことばがテレビに出たのもうれしかったです。
<ネットでの詩の活動>
◯インターネットが普及してからは、詩をネットで発表することになります。また、ツイッターというSNSを使って連詩をはじめました。Pw連詩組と名付け、初めは詩人たちと、その後はツイッター上で呼びかけて、誰だも自由参加としました。今は、その連詩組の仲間に支えられています。冊子を作ったり、ネットプリントをしたり、ポエケットに出店したり、朗読会を開いたりしました。
*詳細はこちらに◯「そもそも連詩組」とは?(リンクしてます)
◯そのあとが『明日戦争がはじまる』という展開です。
<講座やポエトリーリーディングの活動>
詩の講座や講演は、大妻女子大・駿河台大学・西部公民館・山梨現代詩人会「クラムボン朗読会」・和光市「3.11フクシマを忘れない」前橋文学館「ことばの学校」(前橋ポエフェス)・日曜詩人学校(コトバ大)・福島詩人会「詩祭」・「詩とともに生きること」(SYLP青山スパイラル)・ウエノポエトリカンジャム6(上野水上音楽堂)・「NEWTOWN'18 POETOWN」(デジタルハリウッド大)など。
調布市西部公民館・文学講座
まどさんの「ぞうさん」の歌の深さについて語りました。
◯青山スパイラル・三原由起子(歌集『ふるさとは赤』)さんとトーク。
「宮尾さんて、出るまで温泉掘るタイプですね」(!)と三原さん。
◯UPJ6で朗読と「ひとりデモ」
円周率と個の話と朗読をしました
*詳細はこちら→UPJ6でひとりデモ
◯日曜詩人学校・文月悠光さんとコンビで。(1期目は平凡社ビル・2期目はコトバ大・渋谷)
二人講師で文月さんはカウンセラー、私は人生相談係みたいでした。
◯福島県詩人会・詩祭講演
*歴史からとりこぼされる庶民の声、個の声を残すのがわたしたちの仕事と。
2018『詩と思想12月号』の「地方からの発信」のコーナーに、「どっこい、詩は元気になっている。――福島詩祭レポート」と題して寄稿しました。
◯POETOWNワークショップ・デジタルハリウッド大学
「あっという間に詩人になるワークショップ」でたくさんの方に、あっと言う間に詩人になってもらいました。
など様々な場所にお声掛けいただき、詩についての講演・講座・朗読・対談やワークショップ、パフォーマンスをさせていただきました。ありがとうございます。
<地域で詩を生きる>
◯飯能市・日高市に配布される朝日新聞の折り込みの「あおぞら通信」(飯能手をつなぐ育成会)に毎月短詩を掲載して10年を超えました。
「せっちゃんの詩コーナー」に掲載した短詩を中心に、日々身の回りで撮りためたスマホ写真で3冊のミニ(CDジャケットサイズ)写真詩集を作りました。
詩を作るほうも、読むほうも手軽にということで、誰でも簡単にできるフォトブックを使ってみました。
◯飯能のまちを紹介するタウン誌『飯能情緒』に記事と「ただいまの山」という飯能の詩が掲載されました。
(写真は代政雄氏)
◯飯能市女性会による「飯能市郷土かるた」の文字札の作成・監修を担当しました。
◯飯能地区まちづくり委員会では、ことばを生かした会の帽子のデザインを担当しました。
「飯能駅からマップ」「観光案内板」「標識」の作成や植栽など飯能のまちづくりに貢献する会のみなさんと。
◯飯能市生涯教育課が発行する『文藝飯能』の詩部門でジュニア詩の選者を担当するほか、文芸入門講座「はじめの一歩」飯能学「わたしの暮らしと現代詩」など、詩人、蔵原伸二郎ゆかりの地で詩とことばに関わらせてもらえて幸いです。
文藝飯能
◯「心の道に 言葉を灯す」飯能市立図書館にて講演。
<わたしの詩について>
わたしには大きくわけて3つの詩があるかもしれません。
詩をうたと呼んでみると、わたしの詩は「抵抗のうた・心のうた・愛のうた」になるかと思います。以下に3つに分けて、わたしの詩をいくつかご紹介してみます。
<抵抗のうた>
願います
女に聞け
<心のうた>
ないたら いいとおもうの
からだはしっている
<愛のうた>
愛が残る
絶対的に無条件に愛されている
<どんな詩集を出したいのか>
さいごに、どんな詩集を出したいのか……はじめに「未来に向かって、詩をかくものです」と強気なことを書きましたが。ほんとにそうかどうかは、みなさんにご判断いただくしかありません。こんな私の詩集です、ということを文章でお伝えするより、やっぱり、詩書きですから、実際体験したことを詩にした、こんな詩でお伝えして、締めくくらせていただきます。
戦場のクリスマス
詩とは、常にゼロからの出発です。
このクラウドファンディングという場所での
まさにゼロ円からの、詩人の出発を、
みなさまに、応援いただければ幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
宮尾節子