山口・萩・吉田松陰生誕地から萩の街を望む。
僕の師匠は、29歳のときから、吉田松陰先生で、それは、
「小説・吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)を読んだ時の「野山獄」エピソードの衝撃からだった。
みなを師匠とし、書道教室や俳句教室を始め、獄中を学び舎に変えてしまった。雰囲気は一変。希望にあふれた。
「どんな場、境遇でも、学び合うことで希望が生まれる」これが僕の原点となった。
「街場の共同体論」(内田樹 潮出版社)の最終章、「弟子という生き方」にシビれた。
現代に足りないのは、
「師匠」と「弟子」なのではないか、と思った。
会社に足りないのは、
「ロールモデル」ではなく「師匠」ではないかと。
~~~以下引用
弟子になったものは、自学自習のサイクルに入り込んでしまう。
師を持つ弟子のポジションときうのは、そうやって聞くと、無限に解釈し続けるばかりで、なんだかたいへんみたいですけれど、実は大きなメリットがあるんです。それは、自分を守る必要がない、ということです。
自分の今の手持ちのフレームワークや、今の自分が使える技などは、いつ捨てても平気なんです。先生がいるから。「お前のその知識や技術は使い物にならない」と誰かに言われても、全然気にならない。
だって、まさに自分の手持ちの知識や技術が使い物にならないからこそ、師について学んでいるわけで、「そんなこと、先刻ご承知だい」ということです。
「あんたに言われるよりはるか前から、自分がどれくらいのものを知らないか、技が使えないか、誰よりも自分が知ってますよ。だから師匠に就いて学んでいるんじゃないか」という話です。
だから、「知らない」「できない」ということによるストレスがない。自分がその道の開祖とか、学派の学祖とかであったら、「知らない」や「できない」は許されません。
でも、違う。いくらでも間違えることができる。いくらでも失敗することが許される。この広々とした「負けしろ」が、弟子というポジションの最大の贈り物です。今の自分の知見や技術に「居着かない」でいられる。この開放性が、弟子であることの最大のメリットだと思います。
孔子が治世の理想としたのは、周公の徳治です。でも、すでに孔子の時代においてさえ、魯の国において、周公の治績は忘れ去られようとしていました。孔子はその絶えかけた伝統の継承者として名乗りを上げた。
そして、自分は古い知の伝統の継承者であり、私の教えには何も新しいものはないと高らかに宣言したのです。自分は何も創造せず、ただ祖述するのみである、と。
かつて白川静先生は、ここの「無主体的な主体の自覚」のうちに、孔子の「創造の秘密」があると道破しました。自分にはオリジナリティがない、私の説はどれも先賢の不正確なコピーに過ぎない。そう自己規定することによって、孔子は思考の自由と豊かな創造性を手に入れたのです。
孔子と周公のこの関係が、師弟関係の原型だと僕は思います。周公を師に選んだのは孔子自身です。孔子が進んで弟子のポジションを選んだ。そして、その「周公に師事する構え」それ自体を、顔回や子路をはじめとする孔門のすべての弟子たちが模倣することとなった。
弟子たちに思考の自由と創造性を賦与するために、孔子は弟子のポジションを取ったのです。そういうものなんです。
~~~以上引用
「自由」ってなんだろう?
「オリジナリティー」ってなんだろう?
って思った。
「自分は伝統の継承者であって、私の教えには何も新しいものはない。」
この圧倒的な強さ。そして自由。
そして何より、
「弟子」なんて、勘違いや思い込みに過ぎないっていうこと。
あの孔子でさえ、勝手に弟子を名乗っていただけなんだと。
「師匠」とは、「問い」そのものである。
本文にも書いてあるけど、
師匠が答えを教えなければ、
弟子は「なぜ、師匠は答えを教えないのだろう?」と問い、
師匠が答えを教えれば、
弟子は「なぜ、師匠は答えを教えたのだろう?」と問うこと。
そういうスパイラルに入っていくことが弟子になるということ。
だから、師匠には何度も会いに行かないといけない。
そのときどきの師匠を持ってもいい。
花巻・宮沢賢治の墓所にて。僕の師匠元祖は、宮沢賢治先生だった。
「農民芸術概論綱要」を読み、心が打ち抜かれた。
花巻に行くたびに、問いをもらう。
「永久の未完成これ完成である」
それはいったいどういう意味なのか。
どう行動すればいいのか。
そこに対する、問いをもらえる。
「師匠」に出会うこと。
「弟子」として生きること。
それは不自由ではなく、圧倒的な自由だ。
僕は継承者にすぎない。
オリジナリティーなど何もない。
そう言える強さと自由こそが
オリジナルなものを生んでいくのではないか、と思った。
「師匠」に出会うこと。
「いや、僕の周りには、そんな素敵な人はいないよ。」
と言っている場合じゃない。
師匠なんて、勘違いと思い込みなのだから。
さて。
吉田松陰と宮沢賢治と岡倉天心の継承者として、
僕はどんな次の一手を打とうかな。