小春です。
就職したい企業って、どうやって見つけるんだろう。
「好きを仕事に!」って、何度か聞いた。
でも分からなかった。 自分は何が好きで、何をしたいのか。 日常のほとんどの時間を注ぎ込みたいと思える、「自分のやりたいこと」。
私はYouTubeでよく音楽を聞くけれど、動画を作ったり演奏したりしたいわけじゃない。 のんびり散歩に行くのも好きだけど、仕事になるのか?と言われると、うーん。 自分はどんな時に心踊るのか、 時間を忘れるほど集中するのはどんな時か、 頭の中で考えてみても、まとまらなかった。
好きなことはいくつか浮かぶけれど、仕事にしたいこととイコールではない。 そんなふうに考えて、だんだん 「生活のほとんどを捧げられるほど心から好きと言えるものなんて、私には無いのかもしれない」と思ってしまった。
過去の自分にも今の自分にもがっかりして、とっても寂しかった。 今思うと、 「仕事にするほど好きか?」っていう自分への問いかけは大失敗だったな。 好きを仕事にしたいはずなのに、仕事にしようとすると好きじゃなくなっていく。
仕事のために好きなものを探したら、何も好きになれない自分を見つけてしまった。
自信がない人って、自分の中に武器を探そうとして、見つからなくて、どんどん自信をなくしてく。
自分の中より、自分の外に目を向けて、一歩だけ足を伸ばしてみようかな。一歩だけ。 そんなことを思ったあたりで、「1週間新潟に来ないか」と誘われた。
大学4年の初夏だった。
~~~つづく
終了まであと2日。
それなのにつづくって。
小春のリアル。
大学4年の夏。
これからどう展開していくのか?
どうつづけばよいのか?
「好きなことを仕事にする」
「自分の武器を生かす」
って時に残酷だよなあと思う。
ここで思い浮かぶ1冊の本がある。
「転換期を生きるきみたちへ」(内田樹編 晶文社)
この中に収録されている小田嶋隆さんの「13歳のハードワーク」。
これをご一読いただきたい。
本文を抜粋したブログ(2016年11月1日)はこちらから。
http://hero.niiblo.jp/e482630.html
一部のみ抜粋する。
~~~以下引用
六人のメンバーで演奏するロックバンドに一万人の観客が押し寄せるからこそロックンローラーは食べていけるわけだし、一人の小説家に対して数万人の読者が想定できるからこそ、小説家というビジネスモデルが成立している。
これが逆だったらお話にならない。一万人のロケンローラーが六人の観客しか集められなかったら、ロケンローラーは誰一人として食べていけない。あたりまえの話だ。
(中略)
「この広い世界には、きっと自分に向いた仕事があるはずだ。」という思い込みを抱くことは、夢を持つこととは違う。それは人生の選択を狭めかねない。その意味で、あまりおすすめできない。
そもそも職業は、その職に就きたい誰かのために考案されたものでもなければ、その職に向いた資質を備えた若者にふさわしい職場を与えるべく用意されたものでもない。
職業は、ごくシンプルに、人間社会の役割分担の結果として、社会の必要を満たすためにそこにあるものだ。ゴミを拾うのが大好きな人間がいるからゴミが生まれているのではない。ゴミ愛好家のために廃品回収業という職業が考案されたわけでもない。
~~~以上引用
これこそが「仕事」のリアルだと僕も思う。
まあ、マズローの5段階欲求説のように、階段を上ってしまったのかもしれないのだけど。
「仕事」で自己実現をする必要が本当にあるのだろうか?
ストレスかからずに気の合う仲間たちとボチボチやっていく、そんな働き方だってあると思うし、そういう志向のある大学生も増えていると思う。
「就活の違和感」は、そんなところにも、一因があるのかもしれない。