昨夏実施したプロジェクト「被爆を生き抜いた『明子さんのピアノ』を次世代に響かせたい!」をご支援いただき、改めて感謝申し上げます。8月6日のオンラインイベント「奏で継ぐヒロシマ~被爆を生き抜いた2つの楽器~」では、広島平和記念公園レストハウス所蔵の「明子さんのピアノ」と広島女学院歴史資料館所蔵の「パルチコフさんのバイオリン」の共演を、多くの方に聞いていただくことができました。
奏で継ぐヒロシマ~被爆を生き抜いた2つの楽器~
同時に実施した感想文コンクールの大賞には、多くの作文の中から、兵庫県にお住いの桂菜奈さんの「奇跡のピアノとバイオリン」が選ばれました。
感想文コンクール 「奏で継ぐヒロシマ~被爆を生き抜いた2つの楽器」を視聴して
このコンクールの大賞賞品として、桂さんには「広島への旅」が贈られました。
3月30~31日、広島現地のみなさんにご協力いただき、「広島への旅」を実施しました。広島は、満開の桜とともに桂菜奈さん、お母さまの純子さんを迎え、清々しく充実した2日間を過ごすことができました。2日間のスケジュールには、PCV(Peace Culture Village)平和公園ウォーキングツアー 、広島平和記念資料館、被爆者・伊藤正雄さんの証言、袋町小学校平和資料館、縮景園と広島城の被爆樹木、世界平和記念聖堂、そして被爆を生き抜いた楽器との対面と演奏が含まれていました。
PCV平和公園ウォーキングツアーでは、VR機材を覗き被爆前と当時の様子と比較しながら主要な見学ポイントを回りました。平和記念資料館での桂さんは、被爆した遺品に耳をすますように近づき、それが伝えるものをつかみ取ろうとしていました。被爆者の伊藤さんのお話を聞く桂さんは、悲しく下を向く姿もありましたが、時折伊藤さんの目を通して、苦難を乗り越えるこれまでの彼の姿を見ているようでした。
袋町小学校平和資料館では、被爆直後に壁に書かれた名前や伝言から、家族や先生が死にもの狂いで子どもや生徒を探す姿を想像しました。縮景園と広島城公園に被爆樹木からは、調査で分かった樹木への被爆の影響を学ぶとともに、そこに立ち続ける力強さを感じ取っていました。行程の最後に訪れた世界平和記念聖堂では、幸運にもオルガニストの演奏に立ち合い、壮大な雰囲気の中で、世界から寄せられた平和への願いを知ることとなりました。
桂さん親子は、菜奈さんが作文に書いた「奇跡のピアノとバイオリン」と対面することを楽しみにしていました。そして、広島の人々に感謝の気持ちを伝えたい、と2つの曲を準備してくれていました。菜奈さんは、まだ3/4サイズのバイオリンを使っているため自身のバイオリンを、そして純子さんが「明子さんのピアノ」を演奏しました。すぐそばに置かれた「パルチコフさんのバイオリン」は、静かにその音色を聞いていました。
その様子は、中国新聞に取り上げられました:
被爆楽器と対面、広島で平和奏でる 感想文大賞の小5桂さん
記事は、「ウクライナで戦争が起きて悲しい。広島で学んだことを心にとめて、音楽を通じて平和の大切さを伝えていきたい」という菜奈さんの言葉で締めくくられています。
広島駅の新幹線改札口で初めて会ったときから、菜奈さんは言葉少なく恥ずかしがり屋の女の子でした。実際にどのように感じているのかな、と探りながらの2日間でした。そんな私の不安は、純子さんが送ってくれた菜奈さんの「まとめノート」で拭い去られました。たくさんの学びを得た菜奈さんが、「世界中のみんなで平和を創り上げていけたら」と感じたのは、広島のみなさん、遺品たちがこれまで伝えようとしてきたことが伝わったからです。
さいごに
1日目の夕方、桂さん親子と会った被爆者の伊藤さんが最初に発した言葉は、「一日中、『平和、平和』って、疲れちゃったでしょう。広島のことを学びに来てくれてありがとうね」でした。思い返せば、案内をしてくれた広島のすべての人々が、分かりやすい説明に加え、柔和で温かい心遣いを感じさせてくれました。それは、大きく傷ついた町の平和を愛する深い包容力のように思えます。それは、長崎でも感じることができます。だからこそ、子どもたちが広島や長崎に足を運んで、実際に触れることの大切であり、そういった機会を作り続けていきたい、と改めて思いました。
このプロジェクトは、「広島への旅」にて完了となります。
またこのような企画を実施する際には、またご連絡させていただくかもしれません。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました!