2017/03/14 14:53

みなさまお久しぶりです。
石巻公演の活動報告をうっかりアップしたつもりでアップできてなくて、
後日改めてアップすることになりました小濱です。

西和賀公演は、川舟、大野、川尻、という三つの地区で公演を行い、
全て満席で公演を行うことができ、次々リピーターで観に来てくれる人たちが増え、本当に素敵な時間を過ごさせていただきました。

公演後には地域の人たちと交流し、とっておきのお酒を酌み交わしながら、いろんなお話を聞くことができました。

今回は西和賀公演のことと、西和賀の素敵な風土と人たちのことを書こうと思います。

西和賀は、本当に雪のすごい場所で、道の両脇に自分の背丈くらいの雪の壁があります〔今年はまだ少ない方らしいです)。

本当に豪雪の土地です。
そして、何がすごいって、除雪の段取りがすごい迅速で手早い。
判断も早くて本当にもうテキパキと除雪されていく。

重機での雪寄せは、黙々と迅速に片付けていく。
手作業での雪寄せは、隣近所の人たちと、笑い合いながら迅速に片付けていく。
その姿を見ながら、わたしにはなんだか「ああ、人間だなぁ」と、ストンと、腑に落ちる感覚がありました。
その人たちが何の気なしに、すっといつの間にか寄り添っているかのように、見えたのです。

西和賀には人の繋がりがあります。
自分が何者かは、隣の人が知っているまち。
そして、それはもう息を吸うことくらいに自然に支え合っている。
 隣人の顔すら知らない時のあるわたしには、それがひどく眩しく映りました。

 そして客人が来たら、宴を催して、共に楽しみます。夜更けまで。
ご馳走と、特別な日のお酒でもてなす。
もてなす喜び、もてなされる喜びのある宴。

いつかその両者は入れ替わり、その気持ちの往復が始まります。
その往復の繰り返しの間に生まれる、 人と人の間に生まれる、なにか。
そんなことについて思いを馳せました。

私たちを、人間たらしめてくれるもの。
そんなものがごく自然にあるような暮らし。

ふと、宴の最中にお世話になった人が言ったことを思い出しました。

「 関東から西和賀に40年ぶりに帰郷して、初めは三日で帰ろうと思った。 でも何年か住んで、春が好きになりはじめ、そして今では冬も好きになった。」

西和賀の冬の大雪に耐えて耐えて、春を迎えた木々の芽吹き。
その美しさは毎日のように姿を変え、
雪解け水でひたひたになった錦秋湖の湖面が、春風が凪いだ瞬間に鏡のようになり、その瞬間にたちあらわれる鏡像の木々と山々の姿。

その美しさについて語る姿はとても雄弁で、雪解け水でひたひたになった錦秋湖のように、もの語る力に満ちていました。

日々移り変わる自然の美しさを知ること。わたしはその豊かさに想いを寄せながら、その姿を羨望の眼差しで眺めました。
豊かさの尺度は、多すぎて、自分にはどれが一番良いとか一概に言えません。

けれど、故郷について、その美しさを何より雄弁に語れるその姿を羨ましいと、素直に思いました。こんな人たちになりたいなぁと思える人が多い土地でした。

東北で今後生きて、作品を作っていくながで、
季節の移り変わりの中、厳しい冬を乗り越えた後の、心のウキウキを、大切にしていこうと思える出会いでした。
   
そして、ギンガク
西和賀の人たちは朗らかに笑い、若人の未来を期待して、喝采を送り、ギンガクを支えていました。   
その場所は多く先輩たちに支えられていて、ギンガクで若者たちの出会いは、祝福されていた。そこで若者たちはのびのびと、作品を作り出していた。そういった営みを、心底素晴らしいと思えた。

3月11日のその日に、ギンガクのその素晴らしい瞬間に立ち会えたことが嬉しかった。
   
   
その後、陸前高田へ行き。奇跡の一本松を見て、八木澤商店へ。
震災後に立ち上がった団体として、東北を拠点にやっていく団体として、きちんと陸前高田へ行き、色々と考えたかった。
   
高い高い盛り土が、ピラミットのように、山々に囲まれて存在し、重機の音がひっきりなしに鳴り響いていた。
   
失われた人の営みと、うず高く積まれた土の下に埋もれた美しい故郷、高いコンクリートの壁に阻まれて見えなくなった青く美しい海があった。
   
誰かの好きだった故郷の景色と、未来の安全とについて、どう天秤にかけたものか、心のやり場を見つけられない人がいる気がして、どうしていいかわからなくなった。
   
けれど、皆笑顔で迎えてくれた。
   
陸前高田でのことは、次の活動報告でまた、書きます。
では、また。