田中先生のもとに通いだして今日まで、色々な話しをしてきた。
忘れられないエピソード。
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先生が1988年に小淵沢に移り住み、工房を開いた時。先生はグラフィックデザイナーの職を辞し、奥様の藍子さんは銀座の子供服のお店をたたんだ。東京の自宅も手放した。
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その後、驚いたことに、先生はグラフィックデザイナーに関する仕事道具も全部捨ててしまったのである。食えなくなると、人はどうしても簡単にお金になる方法をとってしまうから、と。
まさに背水の陣だ。
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それほどまでにして、ひたすらに向き合ってきた先生の藍の世界。
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ところが実際の先生に会うと、そんな悲愴感は全然無くて、本当に藍に導かれ、この大自然の中で本藍と共に生きてきた、のびのびした氣を感じる。
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何かを極めるというと、非常に厳格で禁欲的な世界を想像しがちだけど、先生からはもっと大らかな、好きで一生懸命やってきたらここまで来たよ、みんなも自分の好きをやればいいんだよ、的な世界観を感じる。