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ホワイトボードで1億円!幻冬舎ブランドコミックとバタフライボード創業物語を漫画化

持ち歩けるホワイトボード「バタフライボード」の創業物語を幻冬舎ブランドコミックと漫画家の「伊野ナユタ先生」と協業してマンガ化するプロジェクトを実施します。 連続する苦悩や決断の経緯を漫画で追体験頂き、多くの人が夢に向かい、 革新的なアイデアを実現して欲しいという願いを込めプロジェクトを開始します。

現在の支援総額

794,500

52%

目標金額は1,500,000円

支援者数

36

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/06/06に募集を開始し、 36人の支援により 794,500円の資金を集め、 2019/08/04に募集を終了しました

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現在の支援総額

794,500

52%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数36

このプロジェクトは、2019/06/06に募集を開始し、 36人の支援により 794,500円の資金を集め、 2019/08/04に募集を終了しました

持ち歩けるホワイトボード「バタフライボード」の創業物語を幻冬舎ブランドコミックと漫画家の「伊野ナユタ先生」と協業してマンガ化するプロジェクトを実施します。 連続する苦悩や決断の経緯を漫画で追体験頂き、多くの人が夢に向かい、 革新的なアイデアを実現して欲しいという願いを込めプロジェクトを開始します。

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2019/07/07 17:30
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みなさま、

バタフライボードの福島です。

ボーズ編のラストはスピーカー開発の最後の仕事となった「Bose M3 Micro Music Moniter」のストーリーです。

<ボーズ編その4>
本製品は私の16年のスピーカー開発史上最も開発に時間を掛けたことに加え、アメリカ流の合理的設計に加え、日本流のこだわり抜いた繊細さを併せ持ち、プロダクトとしての完成度と「音」が今思えば頂点だった商品に思います。

そして、この商品が後に部署閉鎖へ追い込むきっかけとなるとは。。。。

▼当時の開発記録

▼レビュー記事①
https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/stapa/28187.html

▼レビュー記事②
https://av.watch.impress.co.jp/docs/20071026/np027.htm
-記事抜粋-
<M3の意外な誕生秘話>
「M2」の兄貴分の「M3」は、ボーズの米国エンジニアと日本のエンジニアがコラボレーションして開発したモデルで、その際に日本のエンジニアがイニシアチブを取って開発したのだという。そう言われると、「M3」は狭い日本の住宅事情に即した製品だと頷ける。そのため、まずは日本市場向けに投入され、米国では発売されなかった。結果、「M3」は直販サイト/直営店のみでの販売でありながら、品薄状態が続く人気となり、非常に好調なセールスを記録したという。

 それを耳にした米国本社のアマー G.ボーズ博士は「なぜ米国でも投入しないのか?」と疑問を持ち、米国でも販売するよう指示。しかし、マーケティング側などが「米国では500ドルの小型スピーカーは受け入れられないのでは? せめて400ドルならば……」と逡巡。そこにボーズ博士の「それなら100ドルコストダウンしたモデルを開発すればいいじゃないか」という鶴の一声が響き、「M2」の早急な開発/製品化が実現したそうだ。

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というような記事の裏側は、USのR&D部門では車載用に開発が進められていた小型で低音をブイブイ出すテクノロジーはすでに開発されていたのですが、コスト、音圧、熱の問題で日の目を見ずに眠っていたところ、一目で可能性を感じ日本で開発に着手。当時のPC用スピーカーは数千円が相場の中で、熱の問題を解決するために筐体全体で熱放射させるアルミ製のエンクロージャー、音圧UPをさせるための超特殊ドライバーユニットやコンプレサーなど、ふんだんにコストを掛け、原価を積み上げると、なんと販売価格が5万円となり、当然US本社に承認はされませんでした。そこで、日本法人社長が考案した2度目のゲリラ作戦として、日本で実績を作りUSを動かす、それでも動かなければ、Euroでも販売し絶対US本社を動かすという、無謀な作戦に出ました。結果は上記事の様に日本での異例の実績とボーズ博士の一言でUSが動き、グローバルモデルとなる唯一の商品となりました。

こういった形で商品化にはなったものの、Appleをはじめグローバルで統一性のある商品を計画的に販売していく世の流れの中で、やはり本社側は非常にやりにくかったのだと思います。そのような状況で2008年のリーマンショックにより、スリム化を行うべく、日本での開発部門は解散となりました。今思えば納得の判断だったと思いますが、本当に悔しい思いと、今後の不安でいっぱいで、1年程立ち直れなかった事を記憶しています。

という事で、私のエンジニア歴は16年、36歳で幕を下ろし、次なるチャレンジに向かう事になりました。



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