こんにちは。
はじめまして。本日が初めての投稿となります、同志社大学グローバル地域文化学部グローバル地域文化学科ヨーロッパコース2回生の高橋朋子です。(肩書き長い!!笑笑)
本日は、僭越ながら、何故2回生の私が学生団体luckyに入ろうと思ったかについて少し語らせていただきます。(少々長くなります。申し訳ございません。)
正直に書きます。
私は1回生の頃、まだ何も知らないあの頃、よし!勉強して遊んで旅行して留学して大学生活10000%エンジョイするぞ!という勢いでした。それと同時に、事情があって部活に入れなかった高校時代の苦悩の反動で、体育会に対して並々ならぬ憧れを持っていました。当時は全くボランティアとか、人道支援とかに興味がありませんでした。(すみません。)
ただ、勉強においても、スポーツにおいても、その他の事においても、特にここが秀でている!という所がなかった私は、唯一の取り柄が欲しかったのだと思います。そしてその矛先をスポーツに向けたという訳です。
親の猛反対を押し切って入った某体育会は、部活を経験していなかった私にとって精神的にも肉体的にもキツいものでした。私の動力源は、どこから湧き出てくるのか分からない負けん気と根性だけでした。しかし、そのキツさの裏側にある充実感や試合に勝った時の幸せ、苦悩を共にした仲間の存在は私にとってかけがえのないものでした。
諸事情によりそこを退部することになって、私に残ったものが勉強だけになりました。高校時代と全く同じですね。常に専念できる対象を求めながら生きてきた私にとって、その対象がなくなることほど辛いものはありませんでした。(もちろん、勉強は十分対象になりうるのですが、、、)
しかし、そこで初めて自分自身の特性に気付かされました。
コレを極めると決めたら、ハムスターのように車輪を回してそれにのめり込んで、車輪が外れていることに気づかないまま走り続ける。そして、力尽きて走ることを辞めてしまう。でも、挫折する度に毎回学んで、立ち上がって、車輪を変えて、また走り出す。
私はそんな不器用で非効率的な人間なのです。(本当に、目標に一途な方、要領が良くて器用な方、憧れます!)小学校時代も、中学校時代も、高校時代も、受験期も、大学1回生の時も、進路をを定めては突っ走って、コケて、向きを変えて、また走って、コケてを繰り返して来ました。そしてやっと自分がどんな人間なのか見えてきました。(今までやらかしてきたエピソードいっぱいあるのでまた聞いてやってください笑)
そして、今の私の方位磁針の矢印の方向は、海外に向いています。退部後、勉強に集中するようになって、やっと、グローバル地域文化学部という学部で何を学んでいるのか分かるようになってきて、将来私は何をしたいのか、そのために何をするべきなのか、考えるようになりました。
現在、私は国際関係学のセミナーに所属しており、リベラルアーツを意識して勉学に励んでおります。最近は特に言語教育と国際開発についてもっと学んでいけたらいいなと思っております。
沢山のことを経験させてもらって、様々なことを学ばせてもらって、家族がいて、衣食住何不自由なく生活していて、なんて私は幸せなんだろうと思います。当たり前の毎日がこんなに幸せな事だなんて考えもしなかった。なんで私はこんなに苦労しなければいけないんだ。。と思っていたのが馬鹿らしい。
世界には貧困に苦しんでいる人々が沢山いる、その事実は知っていました。しかし、私は目を向けてこなかった。むしろ、私には関係ないと目を背けてきた。でも、今こそ、大学生の今だからこそ、目を向けるべきなのでは、と考えました。
そんな時に、学生団体luckyの存在を知ります。初めて団体の説明を聞いた時、びびっ!ときました。
今、私の関心の矛先は、ネパールの子供たちへと向いています。
まだ私はネパールに行ったことはありません。現地の実際の状況も、今行ってるluckyの活動が本当にネパールの子供たちのためになるのかも分かりません。
しかし、日本でも私たちにもできることがあると知って、どうして何もせずにいられるでしようか。
私は、一人一人の微々たる力が少しでも彼らの助けになると信じています。(ちょっと理想論かも知れません。でも、何もしないでジュース買うより、ジュース我慢してそのお金をネパールの子供たちのために使った方が、気持ちよくないですか。)
ご精読、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。