皆様の温かい応援のもと、プロジェクトSUCCESSを迎えました。
温かい皆様の応援、心より感謝申し上げます。
この作品は、2010年から4年かけて制作した小生初の長編映画です。
東日本大震災を経て、何度も企画が進みそうで、いろいろな事情で頓挫をして、
最終的には、自分で資金調達をすることになり、
それと並行して、仲間たちのサポートを得ながら、各地で活動されている方々の取材を
重ねていきました。
自分のことを話しますと、
幼少期は厳しい父と母に育てられ、勉強ばかりをしていました。
人とのコミュニケーションがとても苦手で、
一人で物思いにふけっていたり、妄想をするのが大好きでした。
よくいじめられましたが、そのはけ口を学校にも家庭にも話すことができず、
テレビのドラマの世界に没頭して、現実逃避をしておりました。
人が怖い、家に帰ると行き場がない、勉強しか自分の人生がない
そんな青年期の果てに18歳の時に自殺を考えました。
母親はいつも、またそんなことを言って自分を悲劇の主人公にして
ということばかりをいう人間でした。
それをずっと言われ続け、本当に辛かったです。
父からは態度がなっていないと深夜まで叱られ続け、
いまだに両親にされた心の傷は深く残っています。
ただ、映画の道に進み、学歴社会から外れた中で、
様々な人と出会い、いろんな属性の方と知り合えたことは、
22歳の自分にとってとても大きな財産となりました。
「自分の世界があまりに狭すぎる」
20代は社会のこともわからなければ、他人の気持ちも思いやれない
とても身勝手な自分でした。
たくさん怒られ、たくさん騙され、たくさん不自由を強いられましたが、
少しずつ、その逆境に立ち向かう気持ちや人間再生を行なっていきました。
そう、この「ノー・ヴォイス」というのは、自分が幼少期に大切にしていた
自然に対しての畏敬や心の優しさを取り戻していく旅でもあったのです。
20代の自分は、売れる映画監督になりたい、有名な存在になりたいと
野心がたくさんありましたが、
自分だからできることはなんなのか?
を福島の南相馬での経験を経て、考えるようになりました。
岩手の釜石に出向き、昔懐かしかった風景が無くなり、
町にはハエが飛び回り、コンビニには商品がほとんどなく、
全壊した軒並みを回っていく度に、
自分がこれからやるべきことは、
青年期におかしいと感じていた社会に対して、学校に対して、家庭に対して思っていた
理不尽さ、不自由さを作品で表現していきたい。
それは、自分だけのものではなく、困っている人たちや苦しんでいる動物たちの支えになって
社会をプラスにしていく活動をしていきたい。
これは、今大切にしている仲間たちと共有している言葉ですが、
『For Youのために、For Meをする。そして、For Usになる』
大切なことは、For Meばかりではダメで、自分は誰の為に何がしたいか、
誰の為にここに存在しているのか、その志を持つことが大切だと思っています。
アフリカの諺にこのような言葉があります。
『早く行きたいなら一人で行け! 遠くへ行きたいならみんなで行け!』
自分は一人で勉強を頑張り、一人で勝ち残ることを青年期やってきましたが、
今は素晴らしい仲間たちと手を携え、皆が各々違っているからできるアクションを
協働しながら、活動しています。
そのキッカケとなる小生の初監督作品「ノー・ヴォイス」を皆様とDVDとして
輩出ができますことをとても幸せに思います。