2019/06/25 04:10

 (個人的)民泊史① 2008-2014
 (個人的)民泊史② 2014-2016
→(個人的)民泊史③ 2016
 (個人的)民泊史④ 2017
 (個人的)民泊史⑤ 2018

4.民泊ブーム

■2016
このころには、「民泊」と言う言葉が一般化して、一部のアンテナの早い人だけ出なく、一般の人たちにも知られるようになってきました。「民泊」ビジネスの先駆者達は、そろそろ自分で運営するのではなくセミナーでノウハウを売ったり、または会社化して代行ビジネスを始めたりしていました。ビジネスマインドの高い普通の人が、民泊ビジネスに興味を持ち始めるくらいにはなっていたのではないでしょうか。僕も、いろいろなところに呼ばれて、「民泊って何?」という話をする機会が増えました。民泊セミナーみたいなイベントをすると、すぐに満席になるような感じでしたが、儲け話を期待してやってきた参加者の大半には、僕のコミュニティ話は全く響かなかったようです。その代わり、たまに深く共感してくれる人がいたりして、嬉しかったですけどね。

そろそろ、メディアでは民泊は完全に悪者扱いになっていた気がします。当時のんびりした神戸ではあまり気が付きませんでしたが、東京・大阪・京都あたりの激戦区では、これまで外国人を見ることのなかったような住宅街にまで、スーツケースを持った観光客が激しく出入りして、周辺の住民を不安にさせていたのではないかと今では想像できます。バレたら次の空き室に移ればいい、と言った適当な考えで、ゴミ・騒音などお構いなしの悪質業者も相当多かったようです。

こうして、「民泊」は社会問題化し、これまでのグレーゾーン野放し状態で無く、キチンと法で取り締まるべきではないか、という当然の流れになってきました。僕は、ある不思議な縁から、なぜかその「民泊新法」の制定に深く関わる「全国民泊同業組合連合会」に副代表理事として参加させて頂くことになりました。

全国民泊同業組合連合会は、民泊新法の制定にあたって、当時複数立ち上がっていた民泊系の一般社団法人などの団体を束ねて政府の一括した折衝窓口になる目的で立ち上がりました。僕は、airbnbの元公式コミュニティオーガナイザーの一人として、ビジネスとしてよりもコミュニティを大切に民泊をしている人たちをまとめていくつもりだったのですが、これは全くうまく行きませんでした。というのは、こういう自由なコミュニティを大切にする人って、政治的な動きに参加して不自由になることを極端に嫌がる人が多いんですよね。僕は、その自由を守るためにも、しっかりと力を合わせてシステムに参加しなければ、と思うのですが、その思いは通じませんでした。業界団体に所属するということが、利権誘導にしか見えない人も多いみたいで(その気持ちも理解できなくはないですが)ものすごい拒否反応を受けて結構悲しい思いもしましたね。日本では「民」が素直に繋がるのは本当に難しいようです。結局個人系のホストは、連合会中数名だけ、その他の大きな団体の代表でないのは僕だけ、という結果になってしまいました。2014年のOpenで、たまたま隣あった人たちと、自分たちが世界にどうインパクトを与えうるか、みたいな熱い議論を交わしたのが懐かしかったです。実際にはそんな簡単にいかないのは分かりますが、そこに参加してみるだけでも意義があると思うんですけどね。

Openと言えば、この年のAirbnb Openは、なんと、ロサンジェルスでダウンタウンの数ブロックを封鎖して街ごと会場にして開催されました。来場者数も一気に15,000人に増え、エアビー成金的なバブリーな感じの人たちが世界中から集まる、ちょっとしたフェス状態でした。マルーン5レディガガがパフォーマンスしたり、airbnbのイケイケッぷりが絶好調でしたね。日本からも、もうどれくらいの人が来ているのかが分からないくらいの人が参加していたようです。

僕はと言うと、北野の自分のマンションでの同居型民泊に加え、神戸のもう少し下町エリアに日本人と外国人留学生や旅人が共同生活する民泊併用型シェアハウスを運営し始めました。総合的に全く儲かりませんでしたが、この間に出会った仲間や、人との繋がり、海外との縁は、何ものにも代えることは出来ません。また、ここに集まった人たちの人生にも、間違いなく良い意味で、かなりの影響を及ぼしたはずと思います。ここでの生活が間接的にキッカケとなって国際結婚したカップルとかもいるんですよ。嬉しくなりません?そんなの。

もうちょっと続きます。