ドキュメンタリーは、被写体に踏み込む行為である。
被写体が人物だとしたら、その人の
これまでの人生・現在の状況等への敬意が必要不可欠である。
だが注意せねばならないのは、そういった敬意の上で、
被写体と制作陣は「対等」たるべきということ。
我々は撮影する。被写体は撮影させる。契約書こそ
かわすかわさないあろうが、制作陣が「撮らせていただく」
「撮ってやる」のでもなければ被写体が「撮らせてやる」
「撮っていただく」のでもない。
今作では、制作陣から被写体への敬意の一つとして、
大阪でミニシアター級の試写室を借り、今年の2月と8月、
チェック試写を行った。潤沢とは言えない予算の中、
二度の会場レンタル・大阪遠征にプロデューサーは泣いている。
しかしこれは我々制作陣が通すべき筋であり、必然だった。
しかしまた、被写体にも被写体としての筋があり、
お互い筋を通さねば、「対等」でいられなくなってしまう。
我々の覚悟を、被写体はどう受け止めてくれたろうか。
監督・伊藤有紀