11日目見聞録。
花火から帰ってきて、履いていた靴を洗濯機に入れず、洗わずに乾燥機にぶち込んで、夜中にガタンッゴトンッゴスッ、といった騒々しい音色と、虚しく散った100円が、共用脱衣場を沸かした。
朝方、回収しに行くと靴を乾燥機に入れないでください、と最もなことを書いた紙を貼られていた。
その靴を履いて、表へ出ることに。
ヒッチハイクを共にした彼と、世話になったゲストハウスを後にした。
彼と夢や理想や現実を語った。
彼は面白い人だと思う。
お互い成し遂げるべき道に向かって、進むことを競争じゃないしな、と口癖のように言うのだ。
蹴落とし合いでは決してない。
共に刺激し合い、別のフィールドで闘って、結果を残して、それぞれがブランドを確立して、再び影響力を持って交わろう。
そう誓い合って、別れることに。
また、旅しような。
その後、せっかくなので、花火をした人たちの内、2日目の福岡公演も観に行く人たちと、昼ご飯を食べることにした。
ハンバーガーをご馳走になった。
餞別だと言っていた。
100円だけど、なんて言ってたけど、値段ではなく、こういうのは気持ちが嬉しいと本気で伝えた。
お茶ももらった。
そばを一緒に食べて、みんなと別れる。
近くのICに行って、ヒッチハイクを始める。
拾ってもらった。
29台目 基山PAまで
YIさんは、所謂ゲラである。
僕が何気なく話したことを、ケラケラと屈託無く笑ってくれる。
実家に帰省中だそうで、基山PAは通るから乗せて行ってくれたそうだ。
お盆は、友達とショッピングに行ったり、遊びに行く日々を過ごしているそうだ。
お仕事は何をしているのかと聞いてみた。
最初はお国を守る仕事と言ってから、少し迷いながら自衛官といった。
自衛官は、身分を言い渋るものなのかと伝えると、自衛隊のことをよく思わない人が、少なからずいるから、聞かれたら答えるが、自分から言うことはないそうだ。
空自に属しているが、飛行機は操縦できないそうで、敬礼や基礎訓練の教官をしているようだ。
どうして入ったのか聞くと、もともとスポーツトレーナーのお仕事がしたかったようだが、一人暮らしすらままならなさそうだったようで、実家は出ないと家族に迷惑をかけてしまうと考えていた。
そんな折に、家族から自衛官の試験を受けてみないかと提案される。
お金はかからないし、やってもいいか、そういう気持ちで受けたら通ったのだという。
特別、国や飛行機に思い入れがあったわけでもなかった。
ただ、空自は一般的な会社勤めの人に、最も自衛隊の中では近い生活が送れるという話を耳に挟んだから決めたそうだ。
やはり、やりがいはあるそうで、以前乗せてもらった海自の人が、やることが毎日違うから楽しいと言っていた。
そのことを伝えると、納得して、共感していた。
とても立派な人は、たくさんいるのだと、身にしみて感じる旅だと、つくづく思う。
この日は、なんだか疲れていて、基山に着いてからも度々寝落ちしたり、ずっと寝ていて、1組のみの乗車となった。
そもそも、全く拾ってもらえなかった。
長崎到着は、翌日に持ち越すことになった。