『私はどうして作るのか』
今回は、私の活動について少し振り返り、私が作る理由について軽くお話ししたいと思います。
私は高校1、2年時前半までは写真コンテストの受賞を目標に様々な写真を撮り、たまにグループ展に参加したりして活動していたのですが、ふと我に帰ると、どうして自分は作っているのだろうかと思い悩んでしまって自問する日が続き、言葉との折り合いがつけられなくなった私は、2年の中頃、ついに作品が作れなくなってしまいました。
そこから、受験勉強をしてみたり留学計画書を制作してみたりしてきたのですがやはり作りたい気持ちは止まず、作れない代わりに、思考することはやめませんでした。
少し話は変わるのですが、私には1つ歳の離れた妹がいて、彼女のことを少し話そうと思うのですが昔話になってしまうので、作る理由について深く掘り下げて話してるんだなと思って頂ければ幸いです。
彼女は私のお手本のような人なのです。 賢くて運動も出来て、綺麗でエレクトーンがとても上手で…勿論そんな妹が大好きなのですが、彼女のエレクトーンの大会に付き添う度に、『兄としてカッコ良いところを見せてやれないな』と心の何処かで思っていた気がします。
そんな妹が3年ほど前から病気を患い、時々学校へ行くのが困難な日もありました
処方された薬の用法用量を守って服用しても目眩や吐き気、頭痛に悩まされたり足元がおぼつかなかったり。
普段から気丈に振る舞っている母は、心配をかけまいと自室で声を殺して泣き、すすり泣く声が自室まで廊下を伝って聞こえてきた日も少なくありませんでした
片親の私は、長男として弱気に振る舞う訳にもいかず、感情を殺して過ごしている内に悲しみ方を忘れてしまいました。
妹が患った病気の1つである解離性健忘症は、精神的なショックやストレスを引き金に、記憶が思い出せなくなる症状で、それを横で見ていた私は『忘れる』事の怖さを知り、忘れない為に作品を作ろうと改めて、強く考えるようになり、そこで忘れてしまう前に展示として、写真集として1つの形に残そうという決断に至りました。
また、悪く言う今回の作品は、妹をモチーフ(ネタ)としているので、私は、慎重に、且つ罪意識や問題意識を持って作品を制作しようと思っています。
展示も私周りのことについての作品を展示する予定です。(経過はまた報告します)
(最終的には病院で飾ってもらえるような作品になれば良いなとぼんやり思っています。)
結果として、作品を作りながら美術館を巡り調査活動をしながら、日本にいるギャラリーのオーナーさんと連絡を取りつつ雑誌の編集さんと誌面掲載について相談したり出版社さんに出版依頼をしてみたりと、忙しい留学でしたが芸術についても自分についても、深く考えることが出来る良い時間になったと思います。
残り1週間ですが、最後まで1日1日を大切に過ごします。
ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。
藤原和輝