2019/11/18 20:29

 相撲の始まりは、日本書紀の「十一代垂仁(すいにん)天皇が野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に力比べをさせた」という記述が起源といわれています。稲作文化を持つ日本で、豊作を祈願する神事として相撲が始まり、江戸時代には職業力士が全国各地を巡業するようになりました。

 丹生山田の里には、江戸時代に活躍した力士の記念碑が残っています。今回は中村の大歳神社境内にある「八弦山直吉」の力石を紹介します。

 「八弦山直吉」は中村出身の大坂相撲の幕内力士で、出世も早く三役入り確実と思われた安政3年(1856年)、加賀金沢で巡業中に倒れ、道半ばにして帰らぬ人となりました。幼少期から怪力で、15歳の時には5斗俵(75kg!)を2俵!軽々と持ち上げたといわれており、写真の力石は、八弦山が持ち上げて以降誰も持ち上げていないと伝えられています。

 他にも「大木戸弾右衛門」「嵐山」「白富士」「新玉塔」「山田川」など丹生山田の里は多くの郷土力士を輩出しており、その功績を称えた供養塔などが残されています。古くから地域で相撲に親しんできた証拠でしょうか、今も毎年5月5日には、丹生山の山頂で子ども相撲が行われています。

丹生山の子ども相撲

 そして平成27年からは、毎年3月に大阪で開かれる大相撲春場所のときに、尾上部屋が山田町原野の箕谷グリーンスポーツホテルに宿泊しています。地域住民有志で後援会を結成し応援しています。いつか丹生山田の里から大相撲力士が出たらいいですね。