震災後の地元の復興に携わりたいためにホヤぼーやパインケーキの誕生秘話…
2011年3月11日に東日本大震災により津波で自社の唐桑本店を被災しました。当時制作してた菓子カステラやどら焼きが無残な姿に…、唐桑店の1階を1メートル弱の津波が侵入し私達の手づくりの御菓子をのみこみました。幸いにもや工場の職人や従業員達は地震直後に皆帰らせましたおかげで無事でした。震災次の日…唐桑の道路は道のない道に…というのは電信柱が壊れくずれ、ぺしゃんこになった車が路を塞ぎ一つ一つ自分の足で越えてゆく海岸付近の道路であったのです。
私の家族は無事で唐桑の高台付近の道路で再会、私達は二日後歩いて自宅に戻り(自宅は当時鼎ヶ浦女子高の裏高台)一夜を自宅で過ごしました、電気も水も止まり真夜中なのに明るいというのは海が燃え続けていたためである、二店舗めの松岩店の様子を見に行き、自動ドアの鍵を開け、倒れたお菓子をもとの配置に戻してる時、「食べ物はありませんか?」と重々しい暗さで語る女性が来ました、電気が来ないのでショーケースのケーキ類を差し上げたら腰が崩れ泣きながら「家は流され、家族は行方知らず」と涙声で言いました、何とか落ち着き「この先どうなるかわからない」といい重い腰を上げ「ありがとうございました。」と言うと、避難場所の防災センターを目指し店をあとにした。次の人も女性で涙目で事情話す「浸水してきた海水をかき分けて、おばあちゃんの手を離したらおばあちゃんが消えた…」他にも様々な人達が重い事情を背負いおかしの花子松岩店に来ました、心やるせない…特に幼い子供の命を津波が奪っていった話は脱力だった掌が怒りで拳を握りしめていました。
私はこのままでは終われない…気仙沼の人々のために何かできないだろかと地域のためにできる事…自社はお菓子屋である、ならお菓子で人や地元地域を笑顔したい、元気にしたい、ホヤぼーやとコラボして地元と携わるお菓子を開発、これがホヤぼーやのパインケーキの誕生秘話です。
課長 菊地 権矢