先日、小金井市で活動を展開する「いちごえ会 [高次脳機能障害者小金井友の会]」のクリスマス会に参加し、その時に、失語症の方と高次脳機能障害の方にお話を伺うことができました。
本で読んだことでも、ましてや私が想像したことではなく、リアルな声をちゃんと届けることも、「見えない障害見える化」の基本だと思います。
失語症のカワさん、高次脳機能障害のkojikojiさんに、
「もし、社会のしくみなどを、何でも変えられるとしたら、何をどうしてほしいですか?」
とズバリ切り込んでみました。
どうです? 私を含め、当事者でも家族でもない場合、なんかこう、便利で無料のアプリでコミュニケーション取れたらいいんじゃないかとか、ユニバーサルデザインのトイレとか、もうそっちに頭が行っちゃいますよね?
でも、彼らは何と言ったと思いますか?
「そんなに便利にならなくていい。道を平らにしてくれ。」
これでした。
失語症の人の場合、片麻痺、特に体の右側が不自由になることが多く、電動車いすか杖で歩行します。もちろん、そうじゃない人もいます。
車椅子に関しては、私たちが想像する両手でこぐ車椅子は片方の手が不自由な片麻痺の人は使えないので、電動車いすの場合が多いです。
電動かそうでないかに関わらず、車椅子の場合、道路がボコボコしており、段差もあり、とにかくお尻が痛いのだそう。段差はなおさら歩行を妨げるものです。電信柱も邪魔。路上の自転車も邪魔。
杖歩行の方はお尻はいたくありませんが、とにかく道の段差があるし、でこぼこしているし、狭い。また歩道の自転車、電柱などが邪魔で、本当に歩きにくいのだそうです。
便利にしよう、便利にしようと、いろいろなものの開発が進んでいます。
それは、障害者の役に立つ場合もありますが、必要以上に便利にならなくていいんじゃないかというお話でした。
「ぼくは左手一つで何でもできます。洗濯物だって片手で干せるんですよ。」とカワさん。
「だからもし、片手で物干しができる道具が出来たら、それは便利かもしれない。でも、それより、道路を平らにしてほしい(笑)」
「僕は車の自動運転が心配だ。人間が危険予知の本能を失ってしまいそうだよね。」と障害どうのこうのを超えた意見のkojikojiさん。
「そういう贅沢な便利じゃなくていい。基本的なバリアフリーをしてほしいよね。年度末のたびに道路をあけて水道管変えなくていい。工事のあとは、道を平らにして。」
このバリアフリーについては、様々な意見があり、カワさんとkojikojiさんの意見が失語症者の代表意見というわけでもありません。
しかし、このやりとりから考えさせられることはたくさんありました。
いくら便利なアプリが開発されても、それを買えること、使いこなせることが求められます。読む、書く、話す、聞くに障害のある失語症者にはハードルが高いですよね。
ましてやバージョンアップがあったり、OSの大きな変更があったりすると、そのたびに落ちこぼれてしまう人が出るのは、何も障害のあるなしに限ったことでもないですよね。
しかも、私たち人間は必ず老います。どんなにふんばったとしても、年老いたらだんだんと使いこなせなくなることは目に見えていますし、格差も生み出してしまいます。
それよりも、本当に、彼らの言う通り、道を平らにした方がいいのかもしれません。
また、「道路を平らに」ここには、抽象的な意味もあります。
社会資源を皆にフラットにする。皆が安全に平和に過ごす。まずはそこなんですね。
広くて平らで電信柱がない道を同行した時のこと。
「この道!いいね!ね?わかる?わかる?いいよね!この道ほんといい!」
そういいながらピューっと走り出した電動車いすの女性の笑顔を思い出します。
NPO法人Reジョブ大阪
松嶋