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東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作り、経験・思考・感情を文学として共有する

現在の支援総額

1,163,500

58%

目標金額は2,000,000円

支援者数

90

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/03/13に募集を開始し、 90人の支援により 1,163,500円の資金を集め、 2017/04/22に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,163,500

58%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数90

このプロジェクトは、2017/03/13に募集を開始し、 90人の支援により 1,163,500円の資金を集め、 2017/04/22に募集を終了しました

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作り、経験・思考・感情を文学として共有する

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残り三日! 現在868,500円!! 53名もの方にご支援いただきました。とても嬉しいです。全員の名前を心に刻んで、忘れないようにします。紙に印刷して壁に貼って毎日眺めて覚えます。 会計もハッキリさせ、一銭も無駄にしない使い方をするように動いております。 プロの編集者の方々にもお力をお貸し願えることになり、きっと本当に良いものになるのだと思っております。被災地の当事者の言葉を、文学の世界は求めているし、発して欲しいと思っている。そんなことを感じました。ぜひ、書いていただければ、と思います。   このプロジェクトをやろうと思ったのは、東日本大震災後に、延々と被災地のドキュメンタリーを観ていたときでした。仙台のNHKの作品だったと思います。 津波で滅茶苦茶になった町で海開きがありました。その日、まだ遺体も残骸もある海に、漁師さんたちが、すごく嬉しそうに飛び込んでいました。その笑顔は、ぼくの先入観を超えている何かでした。 人間の真実、あるいは事実の「突き放される」感覚がありました。そして同時に救済の感覚がありました。非当事者のぼくが勝手に想像していたように、ひたすた悲しんだり沈んだりしているだけではない。漁師には漁師の、海と結びついた悦びのある生がある、それを自分は知っていない……  良くも悪くも、事態は想像を超えているようだと痛感しました。所詮ぼくの想像力や共感の力では理解できるものではない。そこに生きている人間の多様性や複雑をぼくは甘く見積もっていた、何もわかっていなかった。そう突き放されて、反省すると同時に、少し解放感もあったのです。 この文芸誌のプロジェクトをやるべきだと思ったのは、その瞬間に出会った衝撃の影響です。その光景は、今でもぼくの頭の中に過ぎります。 そういう文芸誌でありたい、そういう言葉に出会いたいと、切に願っています。


残り一週間を切りました!  ご支援いただき、心より感謝します。クラウドファンディングをするのは初めてだったので、こんなにご支援いただけるとは思えず、思わず胸が熱くなります。自腹でやってしまおうと思っていた企画、既に望外な悦び。これ以上と思うのは欲張りかもしれませんが、資金は全額、冊子作りや取材のために使えるので、使命を実現するためには、さらなる拡散をお願いしたい、と思っています……。 活動ですが、色々と動いています。実際にどのような取材を、どのようにするのか。どのようにしたら求めている文学の言葉に出会えるのか。言葉を発したい人たちと出会えるのか。プロの編集者や記者さんたちと相談し、計画を練って、具体的に動く準備を始めています。色々な方に会いに行き、話して、聞いて、探して、見て、歩いて呑んで…… そういう、巡礼のような、柳田国男のような、「文学」の探し方を、してみたい。 今のところ主要な活動となっているのは、先行する関係書籍を次々読んで、考えて、コンセプトを固めたり、ぼく自身の態度や姿勢を決めていく作業です。「文学」とは何か。「事実」「真実」とは何か。どんな意義があるのか。文学にとって災害とは何か、災害にとって文学とは何か。ぼく自身の先入観やステレオタイプを超えた「事実」「現実」「真実」に出遭うにはどうすればいいのか。それを「文学」として当事者が発することの意義は何なのか。文学的強度を求めることは搾取ではないのか、それを当人達に求める資格があるのだろうか、あるとすれば何のために? それは魂の救済になるのだろうか…… 考えることばかりです。 多分、これは、事前に綺麗でわかりやすい答えが準備できるようなものではないのだと思います。そうしてしまうことは、コンセプトや現実・事実・真実への裏切りになってしまう。可能なことは、生臭い現実と格闘し、具体的な人間とのやりとりの中で、ぼく自身が破壊されたり反省させられたり考えを変えたり迷ったり苦しんだり楽しんだり笑ったりする、そのような柔軟な態度で、当事者達の発する些細な声、分かりにくい声に耳を傾け続け、声が発しやすいようにすること。ぼくが聞き逃さないような姿勢を維持すること。そうしないといけないのだと思います。 自分自身が壊されたり、戸惑ったり、世界観を揺さぶられたり、価値観を根底から覆される、恐怖と不安に満ちた経験を、悦びとして受け取る準備をしておくこと。「何ができあがるかわからない」「どんなものが生まれるかわからない」期待と不安に満ちた状態に自分を留め置くことが、今必要な「準備」かと思っています。 極言すれば、人間が生きているという、その事実、その全てを、ひっくるめて受け止める、肯定も否定も矛盾も葛藤も理不尽も悲惨も喜びも楽しみも快楽も不条理も怒りも笑いも、それが人間に起きたこと、人間が感じたこと、人間が考えたことであるならば、それをそのまま事実性として受け止め、存在そのものを肯定する。 文学を何故読むのか。それは、他者を知りたいからだ。他者が世界をどう見ているのかを知りたいからだ。他者がどう生きて、どう社会を経験し、どう感じて考えているのかを知りたいからだ。それが何故なのか? ぼくには分からない。しかし、そこは「文学のふるさと」の一つであろうと思う。どんな個人の特異な経験であっても、無条件で知りたがる生き物である、そういう人間の合理性では説明のつかない何かに、賭けてみる価値はあるのではないだろうか。多分、それは有用性の問題ではない。だからこそ、流通しうる様々なものがある。だから、文学に賭けたいし、ぼくは、だからこそ、読んできた。そして、これから、作る。    


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 二週間が経過し、間もなく四分の一の達成となります。ご支援いただいた皆様に、心からお礼を申し上げます。必ずや、ご期待に沿うような内容を作り上げるべく、日々頭の中で練っております。企画の成功のため、拡散などにご協力いただけたら幸いです。  活動報告、と申し上げましても、具体的な何かをしたというよりは、まだ書籍を作るにあたっての、ぼく自身の気持ちや態度を整える下準備という段階なのですが……。  神戸に伺う機会があったので、1995年の震災を知るために、上の写真にある「人と防災未来センター」や、ひどい火災に襲われた下の写真の長田区に足を運び、お話を伺ってきました。足で街を歩いたり、展示を見たり、直接お話しすることで、さまざまな発見があり、震災が何を変えるのか、経験の伝承の問題、あるいは一人の心の中での「過去にならなさ」のようなものを肌で知りました。  阪神・淡路大震災から22年経った今。東日本大震災からも6年経った今。それでもなお咀嚼できない何かを抱えながらも、伝承すべきことを伝承しなければならないと使命感を抱き、活動し続けた多くの方がいらっしゃることを知り、襟を正しながら、「初心者」として多くのことを学びました。  以下、いささか抽象的な「文学論」、ぼくが準備のために「考えたこと」の報告となります。ややこしいかもしれませんが、ご勘弁ください。  神戸と東京を往復する新幹線の中で、村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいました。結末部分で東日本大震災を描くこの作品は、村上春樹による、東日本大震災への応答と見てよいと思います。しかし、いわば「ポストモダン・ファンタジー」として東日本大震災に向かい合う態度が、いささかひっかかりました。  兵庫県出身の村上春樹は、1995年の阪神・淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件にショックを受け、『アンダーグラウンド』と題するノンフィクションの作品を発表しました。「地面の下」を意味するこの作品は、地下鉄サリン事件に関わった人たちへのインタビューなどで構成されています。村上の発言により、阪神・淡路大震災とオウム真理教には、何らかの(象徴的・無意識的なレベルでの)繋がりがあるものであると村上が考えていることがわかっています。  一般に、この作品は「デタッチメント」(社会に対する非関与)の姿勢から「コミットメント」(社会に対する関与)へ、村上春樹が姿勢を変更した証と考えられています。  今まで、ポストモダン的な批評を書いてきた自分が、被災地の当事者の言葉を集めて「文学」としようとしていることと、村上春樹が、いきなりノンフィクション作品を作ってしまったことを、どうしても重ねてみてしまいます。何か、その動機が、そこまで突き動かされるショックが何であったのか、ほんの少し、以前とは理解が変わった気がしました。しかし、『騎士団長殺し』では、そのようなノンフィクション的な姿勢が消えている。このような、メタファーに満ちた寓話として「東日本大震災」に処するのが良いことなのか? どうも、ぼくには限界を感じます。あるいは、ぼく自身が、かつて村上春樹が通った道を、遅まきながら、とぼとぼと歩いているのかもしれません。ともかくも、ぼくは今、『アンダーグラウンド』を書いたときの村上春樹に、どちらかと言うと、シンパシーを感じています。  一つの「事件」を繰り返し変奏して描くことで何が事実なのか不明確にする作風の大江健三郎も、かつて、『ヒロシマノート』という作品を書いています。広島に取材しなくてはならないと彼を突き動かしたものは何なのでしょうか。そのような「事実」への接近の衝動の意味と、その後の彼らの作品の意味はなんだったのか。ぼくは今、途方に暮れながら考えています。  「文学的」に、「事実」あるいは「真実」とは、どういう意味を持つのだろうか? こんなことばかり日々考えています。文学に、あるいは、言葉になった時点で、全て「事実」そのもの「真実」そのもではない、と原理的に言うことはできる。しかし、「事実の手触り」としか呼びようがないものは確かにある。それは文学にとってどういう意味か。あるいは、文学は、事実や真実、現実に対して、どのような意味を持つのか。  ノーベル文学賞受賞作家アレクシェービッチが、チェルノブイリの周りにいる人々の言葉を集めて作り上げた『チェルノブイリの祈り』。大岡昇平が、自身も従軍したレイテ島の戦いを理解しようと何度も繰り返し描いた『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』、また、解説とも言える『文学における虚と実』。90年代に「私小説」という時代遅れの手法を使い、「反時代的」に露悪的な記述を行っていた車谷長吉の『漂流物』『贋世捨人』……。「事実」と「文学」のややこしい関係を整理するために、必死に、そのヒントとなる本を読み漁り、どういう態度でこの本を作るべきなのかのアイデアを練り続けています。  どうすれば、この本が、作られるべき必然性のある、重要なものとなりえるのか……。それが、「文学的価値」を持つのか。あるいは、「文学的価値」のために、「事実」「真実」「現実」を暴き立てたり、それを開示することを要求することの暴力性はないものか。それでもやらなければならないとすれば、何故か……。  倫理的であり、繊細でもあるべく、しかし、文学的に意義を持った本として屹立させるには、どういうコンセプトにして、どのように被災した人々と関わっていけばいいのか、どのように言葉を求めていけばいいのか……。今、手探りの最中です。