Check our Terms and Privacy Policy.

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作り、経験・思考・感情を文学として共有する

現在の支援総額

1,163,500

58%

目標金額は2,000,000円

支援者数

90

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/03/13に募集を開始し、 90人の支援により 1,163,500円の資金を集め、 2017/04/22に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!

現在の支援総額

1,163,500

58%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数90

このプロジェクトは、2017/03/13に募集を開始し、 90人の支援により 1,163,500円の資金を集め、 2017/04/22に募集を終了しました

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作り、経験・思考・感情を文学として共有する

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

お世話になっております。震災文芸誌『ららほら』、ちゃんと進んでいます。牛歩のごとくですが、近いうちに詳細を公開できると思います。お待ちください。投稿作を公開するWEBなどは、諸事情でペンディング中です、すみません。理由を、率直に言うと、三点ほどあるのですが、ひとつは応募の点数がさほど多くはなかったこと。第二は、WEBに置くとちゃんと読まれない、攻撃的な読者の目に晒されて政治的論争の磁場に絡めとられること。第三に、書かれている内容に対する編者としての掲載の倫理的責任を負えるのかどうか。この辺りを鑑みて、「WEB版」はとりあえずペンディングして、まずは冊子の方を優先しています。すみません。ぼくの予測が甘かったです。震災・原発などのテーマは、ぼくにとって「終わりのない」テーマだ、というつもりで取り組んでいるので、ゆっくりめのペースでしか進めないのはご容赦ください。ご支援いただいた志とご期待に沿える内容のものが完成するよう、鋭意制作中です。ぼく個人は、割と満足のいくものが出来上がるのでは、と感じていますが、ぼくのセンスは独りよがりの部分があるので、皆さんとその感覚が共有できるのか、期待しながら楽しみにしております。それでは。近いうちに。あ、そういえば、斎藤 美奈子さんの『日本の同時代文学』で、ぼくが編著をした『東日本大震災後文学論』が参照されておりました。こうやって歴史になっていくんですね。https://www.amazon.co.jp/dp/4004317460/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_tMhcCb5XJ2V4Gなにかを書いたり作ったりしているときには、時々無意味なんじゃないかと感じるときがありますが、遠くのだれか、未来のだれかに響くことがあるのだ、という手応えがあると、やっていることの意義を再確認させていただける気がします。大袈裟に言えば、『ららほら』は、世界中の人に、百年後の未来にまで、届きたいと思って企画したものです。震災の経験を文字にして、本にして、図書館や家庭においておいてもらって、アクセス可能な状態に開いておくことは、未来や別の場所で似た経験をした誰かに繋がっていくことだろう、心の底ではそういう風に大袈裟に期待してやっています(恥ずかしいので普段はあまり公言しませんが)。多分、届くだろう、未来の人のための公共財を作っておこう、そういう気持ちで動いています。エゴイスティックなぼくにしては滅多にない気持ちなんですが、不思議と、そうなっていますね。なんでだろう。藤田直哉


進んでます
2018/10/10 14:40

全然報告をしておらず、すみません。 しかし、着実に進めております。 来年三月の書籍版の刊行を目指し編集作業中で、原稿もいただけてきました。 二部構成になる予定です。   HPも、新しいバージョンにしました。 https://rarahoratohoku.wixsite.com/rarahora   ところで、HPについて、当初の予定・リターンと内容を変えなくてはいけない部分が出てきてしまいました。 様々な原稿をHPに掲載する、というお約束でしたが、昨今の炎上続きの世の中、「デマ」「差別」と互いに非難しあう環境の中に、震災についてのナイーブな言説を置くことは難しいだろう、と判断いたしました。むしろ、WEBに掲載されることを前提としたら言葉が出なくなってしまい、結果として、表に出ない、なかったことになる。それは、この企画のそもそもの趣旨に反するのではないか。この企画は「文芸」という狭くて安全な囲われた環境の中で、ゆっくりと自由に言葉を育てていき、残していく場にした方がいいのではないか。 長いこと悩み、実際に際どい判断を迫られることを経験した上で、今はそのように考えています。 WEB版は、完全にナシとは言わないですが、当初の予定より限定的なものにしなければいけないと考えています。この辺り、ご意見、ご批判などありましたら、ぜひお聞かせください。「約束と違うだろ!」と言われたら、返す言葉はありません。「これでは支援できない」と思われたら、ご連絡いただければ、誠実に対応したいと思います。 多分、それが一番有益なことだろうし、未来に向けて、重要な一手になるだろう、とぼくは判断しております。 それでは。引き続き、また報告いたします。そろそろ頻度が上がると思います。よろしくお願いいたします。


thumbnail

大変お待たせしました。 クラウドファンディング「東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!」でご支援いただいプロジェクトを、本格始動いたしました。震災文芸誌のタイトルは「ららほら」になりました。まずはHPと、募集要項を公開します。雑誌のタイトルの意味は「ささいなうそ」です。募集要項はこちら。主題は、「震災」、あるいは「震災後」。東北に住んでいる、あるいは縁のある方に限定。「小説」ならジャンルは自由。締め切り:2018年9月11日 刊行:2019年3月予定。選考は、ぼく藤田と、ライター・編集者の飯田一史さんと、編集チームで行います。通常の新人賞と違うのは、受賞作を決めないことです。多くの声を「小説」の形で多くの人と共有することが一番の目的なので、共有すべき作品を冊子版、WEB版に、可能な限り多く掲載していくことを目指します。WEB版「ららほら」では、震災後の文学を巡る選考委員の座談会や、「被災地/同時者の言葉を集めること」についてのエッセイなどを連続してWEB上に掲載していく予定です。 編集人からのメッセージ。「東日本大震災と、その後に続く出来事、経験や思考・感情について、まだまだわからないことばかりです。多くの人が、言葉にしにくい体験を言葉にし、共有するためにこそ、文学は役割を果たせるのではないかと思っています。実際に体験したり、近くで考えてきた無数の経験や思考や感情のすべてに「意味」があるのだと思います。それを言葉にしたものには、どんなものであれ、価値があると信じています。なので、現状の文芸誌の条件では流通させることが難しいそのような「言葉」を、発し、受け止めるための場を作ることにしました。それがこの文芸誌「ららほら」です。「ららほら」とは「ささいなうそ」を意味します。「うそ」にネガティヴな意味はありません。フィクションを通じて到達できる「真実」、フィクションの形にすることでようやく発することができる「言葉」があるはずだと信じています。なるべくそれらを受け止めたい。だからこの文芸誌を創刊し、皆様に投稿を呼びかけています。」どうか、ご興味をお持ちくださり、投稿していただけるのを、心よりお待ちしております。https://rarahora.wordpress.com/


本格始動します
2018/03/05 15:28

お待たせしました。長らくご無沙汰しておりまして申し訳ありません。 今年の3月11日に、作品募集を開始し、本格始動します。 2019年の3月までには冊子を刊行する予定です。採算が合えば、そこからまた次の号に続けたいと思っています。 投稿された作品はWEBで公開する予定です。 募集要項や選考委員、編集体制など、着々と整えてきています。 資金は、全額手付かずで残っています。   ぼく自身の心構えのため、去年の夏に被災地を含む東北をめぐって、いろいろな人にお話も聞きました。 まだまだ分からないことばかりだな、と思います。 知らなかったことがいっぱいあります。感情と言葉が溢れ出るような瞬間にも出会いました。 このプロジェクトが役に立ちうる……というか、やらなければならないものだ、という思いを強くしています。   3月11日に募集要項を告知する予定です。 その後も、いくつか発表していくものが続く予定です。 拡散など、ご協力いただけたら幸いです。   藤田直哉


・ご支援の募集が終わりました。望外な額のご支援をいただき、驚いております。まずは感謝申し上げます。また、ご報告が遅れましたことをお詫び申し上げます。 ・企画は着実に動いています。おそらく夏に、被災地を「巡礼」し、様々な人と会い、話をし、書き手を募ることになると思います。具体的に日程や場所などを詰めていきます。 ・つくづく自分が内向的な人間だと感じました。企画を進めるにあたって、様々なことを考えねばならず、たくさんの本を読んで考えていました。当事者にどう向き合うのか、東北の文学は、霊や歌とは何か、ノンフィクションの意義は、フィクションの意義は、歴史・痕跡・継承の問題は…… 読めば読むほど芋蔓式に課題が出てきて、無限に終わらない気がします。如何に自分が無知であったのかを思い知らされています。せめてもの倫理的な感性の敏感さを身に着けようと日々努力していますが、結局のところ、無神経なのだと思います。 ・「見る前に飛べ」「案ずるより産むがやすし」という言葉を最近思います。とにかく、現地で多くの人と出会い、話し、見て、ぼく自身が悩みながら考えて変わるしかない。その中で、作品を書いてくださるかたと全力で交流するしかない。そこで何が起きるのかは分からないですが、きっとこのプロジェクトの肝はそこだと思います。 ・ひょっとすると、最初に三年ぐらいやらないといけないのかもしれません。年一冊、少しずつ種を撒いていく。そのことで、何かが変わることを願う、そういうプロジェクトかもしれません。 ・皆さんのご期待やご支援に応じきれる内容にできるかどうか、いささか不安ではありますが、とりあえずはやってみるしかないものなのだと考えております。 ・「出会い」を大事にします。ぼく自身が、他者に敏感になり、変わることを怖れないようにします。 ・それを編集の態度として決めます。 ・そして、被災者や東北を偏見の目で見ることをやめます。ステレオタイプも可能な限り捨てる。完全になくならないんだけど、捨てる努力をする。現実や事実、他者に謙虚になります。そういう態度が、一番重要なんだと思っています。 ・この「態度」をハッキリ固めるために、募集終了から今までかかりました。すみません。 ・多くの方のお力をお貸しください。お話を聞かせてください。会いましょう。あんまりフットワーク軽くコミュニケーションをするのは得意ではないのですが、ご容赦を。努力します。失礼があったらすみません。自身の鈍感さについては、痛感しております。 ・いい本、いいプロジェクトになるように、一緒に参加してお力をお貸しくだされば幸いです。