今回のメンバー紹介は楳原秀典くん、通称がっちゃん。がっちゃんは鯖江の環境教育などを行なっているNPOの事務局で働いているということは聞いていたのだけども、会う機会がなかなかなかったのでパークメンバーとして関わるのは結構遅めだったと思います。多分皆んなで使える工場を作るっていうのがそもそものアイデアの場所だったからだと思います。合流後はパークとして鯖江市の提案型市民主役事業などでディレクターとしての役割を果たしてくれたり、多様な人との関わり方担当?になってます。でも左官をやっていたので、土間を打ったり、壁塗ったりする時、確実で丁寧な仕事をしてくれます。 ●河和田に辿り着いた経緯からお願いします。 「思えば11、2年前、大学の3回生のときにアートキャンプで初めて来て。本当に冷やかし程度だったんですけど、翌年も冷やかしで来てっていうのがずっと続いて。ただそれ以前に、精華大学の建築科は結構ヘンで。家を作るというよりは、そこでの関係性を見るみたいなことを勉強してて。でまぁ卒業して左官屋さんを3年間やってみたら、ものを作る、たくさんのよくわからないゴミが出る、しかも感謝されているのかわからない状況がそこにはあって。お金がもらえてもなんか楽しくない、シアワセに繋がってないなーっていうところで選択肢から外して。じゃあ伝統にいくか、別のほうにいくかってなったときに、アートキャンプの事務局のお誘いに乗ったのが運の尽き、河和田に来てしまったという(笑)。さらに丸山さんと一緒に暮らしだしたのも相当大きくて。あれがなければまた違う方向に行ってたんだろうなぁと思いますよね」 ●一緒に住むキッカケというか、河和田に移住したときからずっと丸山さんのお宅に? 「いや、来た当初はアートキャンプの古民家に住んでたんだけど、1年経って辞めることにしたときに、次の家も仕事も何も決めてなかったんですよ。そしたら今の仕事先から“働く?”って言われて、話を聞きに行ったら、悪くない。けど住む家がないから。アートキャンプで知り合った人たちに相談していたら、前田モータースのおばあちゃんが丸山さんのところに連れ行ってくれて、“うちの2階が空いてるよ”みたいな話になって、“一回、持ち帰っていいですか”って言って」 ●家を借りるんではなく、一緒に住むって話だから。 「そうそう。でも面白いなってチョイスして住んでみたら居心地が良くて、居ついてしまったというね(笑)。だからこう、大学時代は下宿したり、友達んちに転がり込んだりしてて。左官屋さんの頃は京都の山科に住んでたけど、実家が近くてすぐ帰れたし。事務職では河和田と京都を行ったり来たり、そこから丸山さんちに移ってもやっぱり間借り感が抜けなくて。鯖江にいてるけど、移住しましたって気持ちにはなれなかったというか。今、彼女が奈良から来てくれて、河和田で一緒に住み始めて、ようやく自分ごとになってきたところはありますね」 ●がっちゃんの仕事についても聞きたいです。 「よく言えば、どんぐりお兄さん(笑)。いわゆる指定管理としての仕事をうちのNPOが受けてて。そういう行政的なことを最適化させたお仕事な部分と、子供たちに大切なことを教えるどんぐりお兄さんな部分と」 ●どんぐりお兄さんというのは、どんぐりを植えて、山を活性化させる活動って認識であっている? 「それもありつつ、もうちょっと広いイメージで。例えば、植樹事業しますって言っても、市民に呼びかけて100人来ました、OK!ではなくて。植える前に幼稚園に行って、川も大事なんだよ。山が綺麗じゃないと生き物が育てないんだよ。それでどんぐりを植えるんだよ。でもこれが大きくなったら使わないといけないんだよっていう、全体的なサイクルを伝えていく。その流れで漆器の話をしてみたりもする。鯖江の環境のお兄さん、かな」 ●それって鯖江、特に山に囲まれた河和田地区にとっては、ものづくりの未来と同じくらい大切なことだよね。 「けどものづくりをやってる人たちは、ものを作って、それを何に投資するか?というときには、材料とか、機械とか、まずそっちへ行かないといけなくて。じゃあその次に守るべきものはなんなのか?ってことなんやけども。経済と繋がりの強い人は“いや、産地としてもっと経済力のあるほうへ舵を取っていくべきなんだ。そしたら雇用も生まれるでしょ”ってなっちゃう。でもそれで本当に残すべき部分は残るの? 魅力ある、居心地のいい、子供を育てやすい場所に対しての投資は、そのカタチでできるの?というときに、僕らみたいなのが入り込む余地が出てくると、まだなんとかなるのかなって気持ちがあって。 石見銀山で活動している人は“49%がビジネスで51%が文化っていうのが、自分たちのやっていることだ”と言っていて。食べていけるぶんに1、2%を上乗せして文化にしていくことで、古民家が守られて、景観が守られて、そこでの本当の暮らし方も守られていく。そういう意識の部分でいうと、鯖江、河和田はどうなんだろう?っていうね」 ●話を聞いていると、どんぐりお兄さんとしての活動と、PARKでのがっちゃんの役割はリンクしているような気がします。 「そうそうそう。自分の生き方として何がシアワセかなって考えたときに、周りのみんながある程度シアワセな状態であるといいよね、みたいな。前に建築家の黒川紀章が“共生”について話してて。“曖昧な部分がないと楽しくない。まちづくりでもグレーゾーンを作ると、そこに人の流れが生まれるんだ”とか、“新陳代謝する建築だ”っていう言葉には素直に共感するし、思想としては多分近いんですよ」 ●PARKも完成しない感じがするものね。 「本当に。増えたり、外したりを繰り返しながら、ずっと変わっていって、なんとなく新陳代謝し続けていくのが気持ちいいから」 ●続けていく中ではいろんな人と出会って、絡んで、進んでいくわけで。PARKでどんな人と出会いたいですか? 「そのへんがねー。もともと人間が好きじゃないっていうか(苦笑)。目覚めがわりと最近で、愛ゆえにって感じなんですけど」 ●あらら。なんだか素敵な言葉が。 「愛が深いぶん、いろんな人と関わることに疑問を持つ感じがあって。なんかね、ひとりで暮らしていこうと思ったらできる気がするんですよ。自分的にそれは一番愛がないんだけど、平和な環境を作る方法だろうなって思ってて。人を好きになると誰かが怒ったり、愛が強すぎると争いにも繋がるし。だから地域の人に“フラットになりましょ”って言いながらも、人との関わり方をフラットにするって難しいよな。あの人も、この人も、きっと愛が強いんだ。まちの中って愛の相関図がすごいあるよなーと思って」 ●みんなが少しずつ手放せればいいんだろうけども。 「それをうまく拾い上げて、次の世代へ拡散させるっていうね。ものづくりをやってる人は、やっぱりものづくり愛で偏っちゃうから、何か作るんだったら環境も守れよって言っても絶対無理やし。そこは曖昧な人が曖昧なことをやるしかなくて」 ●曖昧な人の集まりがPARK? 「曖昧な部分をなんとなくわかる人がいてる。ものづくりがしたいんだけど、このままだとできなくなるってわかってるから、大樹が悩んでるとか。でも僕らは毎日そこに携わってるからやるべきこともわかるし、そういうサポートをしてあげたいな、少しラクになるといいなっていう、中間支援的なイメージ。ただ、これから子供を持つ立場になってきたときに、自分がどういう関係性を作っていけるのかな。今はお兄さんとして気軽に話してるけど、お父さんになったときにどういうふうにしていくのかっていうのは、もうちょっと、んー、まぁそれはそれで楽しみかな」 インタビュー 山本祥子
今回のメンバー紹介は、顧問の岡田さんです。岡田さん(こそっとみんなは岡ちゃんと呼んでます)。ある日突然にいくんから紹介されました。今改修しているカフェにカウンターがあるのですが、そこに4畳半の和室があり、そこが昼間は事務所、夜は寝床と生活するすべての場所でした。そこで岡田さんのこれまでの色々な出来事を伺ったり、僕(浜口)が福井に来た「福井県ふるさと起業家支援事業」のメンバーへの支援をしたいと県庁にまで言った話などを伺いました。あの頃に頑張っていたことが岡田さんという素晴らしい経営者に認めていただいていたことをとても嬉しく思いました。その頃はまだPARKの組織も何もない状態でしたが岡田さんの強力な後押しとご支援があったのでここまでやってこれました。今後早く安心していただけるように自主独立し継続的に活動していける組織にしていきます! ●メンバーの中で岡田さんは立ち位置も含めて、かなりイレギュラーな存在ですよね。 「できるだけ黒子、完全に第三者の視線ですよね。若い人たちが福井の河和田に来て、新しいことをしようしていると聞いたので、じゃあ支援というカタチで少しお手伝いをしようかっていうのが始まりなんです。私がハッピーリタイアできたのは、もちろん自分が一生懸命やってきたこともあるけども、何より世間の皆さんに助けてもらったからこそなので、まぁかっこよく言えば、社会貢献ですよね。恩返ししていきたいなぁというのと、家に居たくないというのと(笑)。そうかと言って今から勤めるというのもね、ヘンに肩書きを持っている分、どこも雇ってくれませんし。もといた会社からは「うちならいくらでもいていいよ」って言われているけど、会長までやって、いまさら現場に出るのももうひとつこう……。そんなことを考えながらテレビを見ていたら、めがね会館の8階にあるjig.jpの福野(泰介)さんが紹介されていて、面白い人やなぁと思って、ふらふらーっと会いに行ったんです」 ●そこからどうPARKへつながっていくのか、気になります。 「まず福野さんとつながって。牧野さん(鯖江市長)のところへ挨拶に行くことになった際に、「じゃあ新山さんも呼びましょう」って言われて、そこで新山さんとお会いして」 ●新山くん経由だったんですね。 「そうそうそう。ただ新山さんは当時、市役所を辞めて会社を起こすタイミングで、ものすごく忙しくってね。福野さんからは「IT企業やデザイン事務所っていうのは、パソコン一台ありゃあなんでもできちゃうから、あまりお金は要らないんだよ」と言われたし、新山さんも同じようなことを口にしていたんです。そして「支援は自分に直接というより、PARKという団体があります」って紹介されて。そう、それがすべての発端ですわ」 ●世代的にハッピーリタイアされる方は少なくないと思うんです。でもそこでご自身の豊かな老後とかではなく、地域への還元・社会貢献に意識を向かわせるってなかなかできないことで。 「正直、現役時代はゴタゴタがいろいろあったんですよ。しかしそれでも自分が社長になってからは比較的順調に展開することができた。社会への恩っていうのを常に感じてたんですよね。しかも2人の息子は、それぞれ自分で相手を見つけて独り立ちしているものですから、夫婦のことだけを考えればいい、そういう心の余裕もあるわけで。だからまぁ毎日大人しくしてりゃあいいんだけども、家にいると自分が埋没していくというのかなぁ。とにかく社会となんらかの接点を持っていたい、できれば外に向けた活動がしたかったから」 ●様々な機能と可能性を秘めているからこそ、至極言葉にしづらいPARKの話を最初に聞いたときは、どうお感じになられましたか? 「人の溜まり場であり、ご飯が食べられて、自分のアイディアを試作して、県外から来た人でもすぐに何か始められて、「こんなの作ったの?」、「もっとこうしたらどう?」なんて喧々諤々意見を交わすこともできて、場合によっては泊まれる。これは私が現役時代に理想としていたことであり、しかし一般企業では滅多にできないことなんですよ。よっぽどトップ同士が仲良くて、一定の契約を結ぶなりした上で、お互いの企業秘密を公開しあってやることは可能ですけども、そこに至るまでにはものすごく時間がかかるわけで。今、コワーキングスペースはあちこちにできてますが、ここまでいっぺんにいろんなことをやろうしてる場所はないと思いますよ」 ●そこは福井、鯖江、河和田というまちの特性も多分にありますよね。眼鏡、漆器、木工、和紙、陶芸、繊維、ものつくりのまちであるということが。 「まさしく。素直に、これはいい、素晴らしい!って思えたから、お手伝いしようと決めたんです」 ●岡田さんが経営してらしたエネックスは、レーザープリンタのトナーのリサイクルの会社とお聞きしました。まったく違うところから、スーッとPARKへ視線が移行できる、素直に面白がれるのは、すごいなぁと思う。 「いえいえ、そうは思いません。漆器や眼鏡のことはまったくわかりませんが、もともと私は繊維業界の人間ですから、ものつくりという原点は一緒なんです。残念ながら繊維が一番衰退しましたけど、大手しか残っていませんけどね。それは会社が大きいからじゃなくて、新しいことに挑戦し続けてきたから。なので新しいことを面白がるのは身についているというか。しかもPARKに関わり始めて3年、私の中ではもう違和感がまったくないんですよ」 ●なるほど。まさにここ3、4年で河和田にはTSUGIができて、ろくろ舎ができて、aTawや漆琳堂のショップもオープンして、新しい流れが生まれています。 「PARKのあとがどうなるのか、まったく予測できませんけど。それでも河和田のメインストリート、十字路の一番わかりやすい場所にあるPARKから新しい流れが生まれるのは、いいことやなぁと思いますね。正式にPARKが動き出したら、とりあえず河和田へ評判を聞きに行こうと思っていて。決して歓迎ムードばかりではないでしょうが、誰も体験したことのない場所を作るんだから仕方がない。逆に言えば、嫉妬されるくらいになりゃ大したものですよね」 ●では、岡田さんはPARKでどういう人と出会いたいですか? 「難しい質問だなぁ。何か新しくやってみようって人に来てもらえればね。できれば創造性が高くて、行動力のある人かな。今のメンバーとは違う雰囲気の人がきっと楽しいよね」 ●そこも含めて、PARKに期待することを聞かせてください。 「とにかく、PARKブランドのものが世に出るのが最高ですよね。完成に至るまではなかなか大変でしょうけど、メンバーとの打ち合わせの中で、既にいろいろな面白い企画が出ているんです、工業畑を歩いてきた私からは到底生まれてこないアイディアが。ガチャポンもそのひとつでしたけどね。木工職人もいるし、デザイナーもいるし、眼鏡職人もいるし、それぞれの観点から発展性のあるものをカタチにして、皆さんに提案できたら嬉しいなぁと思います。しかもできるだけ早く!」 インタビュー 山本祥子
今回のメンバー紹介は、山口めぐみさん、めぐみちゃんって呼んでます。山口大樹の彼女として神明の秋吉で紹介されました。その後遠距離恋愛を成就!させ結婚を機に鯖江河和田に引っ越して来ました。その後七穂が生まれママとして頑張る姿は、PARKの未来の役割に強く繋がってるなぁと思っています。今後のアーチスト活動がどうなっていくのかワクワクしながら見守っていきたいですね。 ●PARKのメンバーは関西からの移住者が多いけれど、めぐみちゃんは結婚を機に北海道から福井へ来たんですよね。 「はい。うちの夫というか、(山口)大樹さんがヤマト工芸で働き始めて。最初は“なぜ福井に?!”と思いつつ、しばらく遠距離恋愛の期間がありまして。そしたら向こうで働いていた会社に在宅勤務の話が持ちあがったので、それなら福井でも働けるねってことで、2人で住める家を探してやって来る手筈だったんですけど。その在宅勤務の話が頓挫してしまい、でも家は決まっているしで越してきたのが私がここにいる経緯です。なんとかなるかなと思って来ちゃったけど、結構大変。あはははは」 ●大変なことというのは、例えばどういう? 「最初はペーパードライバーで、車も持ってなかったし。にもかかわらず、越して来てすぐに一番近くのスーパーが潰れてしまって」 ●確かに。今の河和田にはTSUGIがあり、ろくろ舎があり、漆林堂の直営店もできてって、新たに生まれる話ばかりだけども。 「そう。華々しくなる前に引っ越してきたので。ただとなりまちと比べると、コミュニティバスが1時間に1本ですけど通ってたりして。だから今は大変だけどなんとかやっていける田舎、みたいな感じで過ごしていますね」 ●お子さんが生まれて今はお休みされてますが、普段の仕事というのは? 「眼鏡の修理です。ハローワークに行ったときに、鯖江は眼鏡や漆器の産地だし、眼鏡の仕事もいいなくらいの軽い動機で探し始めて(笑)。特に何も考えてなかったから、バフを掛ける仕事に応募して受けに行ったら、明らかに“女の人が来ちゃったか……”って空気になって。眼鏡の製造は男の人の仕事が多いんですよね。でもひとつだけ“女性が多く働いてる職場です”と書かれた会社を見つけて。修理屋さんは鯖江でも6件しかないのかな。他の地域でも、全国から壊れた眼鏡を集めてやっている会社はそんなにないと思うんですけど。なんか面白そうと思って行ったら、ササッと決まってしまったっていう」 ●越してきた、仕事も決まった。さらにPARKに参加することになったのはどうしてでしょう? 「面白そうだったから? あはははは。私はもともと絵を描いて発表したりしていて。そうやって何か作ってるとか、作ってなくてもやりたいことをやる人たちのグループと自然につながって、仕事が終わったらそこに行くっていう感じがあったんです。でも福井に来たらそういうのがなくて。私が来る前からPARKに参加していた大樹さんが隣でワシャワシャやってるのが羨ましいなって思って、ついつい関わっていってしまいました」 ●多様なメンバーの中で自分の役割って考えたりしますか? 「みんな職人肌なのでそれぞれにこだわるポイントがあるし、お互いの専門領域には口を出しにくいというか、遠慮する部分があると思うんですけど。私は全然職人肌じゃないのから、“それ、わかんない”みたいなことを結構言うんですよ。なのでPARKではそういうヘンなことを言う役というか。結果、“それはイケてない”って却下されたりもするんですけどね」 ●おしゃれチームに(笑)。 「そうそうそう。だからおしゃれじゃない人担当って感じ。フフフ」 ●PARKに参加すると必然的に何かしら発信する側になるわけですが、そこに対してはどうでしょう? 「んー、私がRARKに行くのは友達がほしいからで。友達がほしいときに相手から手を差し伸べてもらえなかったら、自分から“友達になろう”って言うしかないじゃないですか。発信するのもそれくらいの気持ちなんです。だからPARKで小さな商いをするとか、地域活動をしていくのと同じように、友達を作りたいみたいな動機でもいいと思っていて。すごく柔らかく言うと、そういう人が集まる場所にしていこうっていうのが根底にあって。なので発信する側と受け手の壁が消えることは絶対にないけど、行き来しやすくするのが大事というか」 ●だからめぐみちゃんの発信は独特で面白いよね。北海道でお馴染みのジンパ(ジンギスカンパーティ)を開催してみたり、粉を買いすぎたから今日はパンパ(パンケーキパーティ)だ!とか。で、食べに行ったみたら舞台の映像が観れちゃったり。 「うんうん。ああいうのが気軽にやれるようになるといいと思うんですよ。魅力のあるワークショップとか、決まったカリキュラムとか、しっかりしたところもあるんだけど、その隙間を縫って“隣の部屋で鍋してるから食べにくれば?”みたいな。すごい人だけが集まってどんどんすごくなっていく方向もあるけれども、河和田の場合はそうはなりづらいのかなと思うところがあって。もっとこう、そこに行くと常に新しいことがあって、こっちは興味ないけど、こっちにはすごく興味があるとかね。全然違う嗜好の人たちがなんかしたいっていう、モヤモヤとした原始的な部分で繋がっているような、そんな場所になったらいいなって」 ●今後、PARKでしてみたいことはありますか? 「子どもが生まれたこともあって、子どもに関するワークショップを考えてますね。特に私は移住してきた側なので、周りに親戚や知り合いがいなくて。そうするとその、ひとりで子どもを見ているのが孤独に感じるときがあって」 ●それは現代社会における問題なんて言うと大げさだけど、若いお母さんは大なり小なり抱えている気がします。 「そうそうそう。なので子どもを連れて来やすいことをしたいなぁと思ってます。もうひとつは、ちゃんと管理できてない自宅の庭も含めてなんですけど、柿の木を切って何かに役立てるということをやりたいんです。それはあの、獣害の対策をしている人と仲良くなりまして。柿の木があると猿が来るし、管理できないなら切っちゃえ!なんて話も聞くんですよ。それはもっともなんだけど、土地を持ってる人からは“健康な木を切るのは抵抗がある”って言われるし。だったら整備する前にワンクッションを挟んであげたら、気持ちの落としどころができるかなと思ってて。柿の木は硬くて細かいことをするのに向いてるそうなので、アクセサリーや食器が作れるかなって。柿をもいだり、枝を切ったり、材料を取ってくるところからパーティーにしちゃうようなイベントができたらいいなぁって」 ●獣害対策をも楽しもうと(驚)。では、めぐみちゃんにとってRARKはどういう場所でしょう? 「自前で学べる場所かな。初期に学校的な構想もあったから、私はそのイメージが強いですね。固定のメンバーがいて、新しい人が入ってきて、そこには生活の基盤を置いている人もいて。なんかこう、水槽に置いた流木のような。可能性は水の中にふわふわーっていっぱいあるから、流木を一個入れることによって、そこに藻やバクテリアが繁殖して、底にはカワニナがいて、カニがきて、蛍が飛んで、みたいな。水槽で例えていいのか、池で例えていいのかわかんないですけど、それ以前に流木に例えるのはやめてくれって感じかもわからないけど(笑)、そういう触媒なのかなと思う」 ●うんうんうん。本当にできてみないと何がくっつくかわからない。 「さっきおしゃれじゃない担当って言いましたけど、思ってもなかったようなものを引っ掛けていきたいね。おしゃれなメンバーはいっぱいいるので、なるべくヘンな人というか、面白担当になりたいです」 ●一緒にするのもどうかと思うけど、めぐみちゃんの子どもと一緒にPARKも育っていくんだなぁと思いました。 「地元のコミュニティみたいなものがあって、それはそれで居心地がいいんですけど、同時にもっといろんなものに触れさせてあげたいと思うようになって。PARKを面白くしたいっていうのは、結局、世の中にはいろんな人がいるんだよというのを、自分の子どもも含めて子どもたちが直に触れて感じられる場所になるといいなっていう。うん、それはすごく思いますね」 インタビュー 山本祥子
今回のメンバー紹介は、永富三基くん。みつきって呼んでいます。ヤマト工芸で働く彼は、今はもっと年下のメンバーが増えて来ていますが、最年少の弟みたいでした。でした、、というのも。今年、素敵でしっかり者の彼女と結婚し、新しい人生が始まっています。昨年のものつくり合コンの担当理事だったのですが、完璧にやり遂げるだけでなくそのあとに続く道筋を作ってくれました。今や色々な段取りや調整を確実にしてくれるだけでなく、的確な作業姿も頼もしくPARKの存在を象徴するような野郎です。 ●大阪出身の三基くんが河和田を選んだ理由からお願いできますか? 「僕は伝統を引き継ぎたいとか、まちづくりに興味があるとかいうよりも、若干の現実逃避も手伝って、早めにスローライフ、田舎暮らしをしてみたいってことと、手を動かすことが好きなので手仕事を身につけて生きていきたいなという想いが強くて。とは言え、ひとりで飛び込む勇気はなかったんで、にい(新山)さんや(今井)心平さんがいた河和田が候補地として挙がって、思いきって飛び込んで、出会ったのが今お世話になっているヤマト工芸の社長なんですね。ただ大学でデザインを勉強していた自分が急にものつくりってなんでかな?ってずっと考えてたんですけど。東日本大震災があったじゃないですか。一度視察に行ったんです、先生に“現状を見て来い”って言われて。まっさらになった広大な土地を目の前にして、ここに自分が新しい建築を作るのか?って。既に空き家のある状況だったという話を聞いて、本当に必要なのかなと思ってしまって。デザインをする意欲も、建てることに対する目標みたいなものも、えらく儚く思えてしまって」 ●それくらい圧倒的な状況だったと。 「そうですね。あとはデザインをする上で僕が一番喜んでやってたのが、細かいところまで図面を書いて、必要以上に模型を作りこむ作業だったんですよ。だから建築家になって、デザインして、現場であれこれ指示するだけじゃあ自分が作ったって言えるのかな、だったら手仕事を覚えて作り手になる方がいいかなと思ったのがまぁ理由ですかね」 ●実際にスタートさせた田舎暮らしはどうでしたか? 「んーと、僕が思ってた田舎と違うなというのは正直ありますね。良くも悪くもでもそんなに不自由ではないのと、地区民同士の交流がここまで濃いものなんだと思いましたね。あはははは」 ●なるほど。そういう不自由さが……。 「最初はウェルカム状態、みなさんものすごく優しくしてくれるから素直に楽しい時間でした。でも時間が経つにつれいろんな時間の使い方をしだしたときに、人と人、土地と土地の関係性がじわじわとわかってきて、2年目にTSUGIを始める際には、それがわかりやすく現れたり。それでも地域にコミットしようとコミュニケーションを取り続けています、でもなかなか難しい。今は結婚して隣町に出て生活をしていますけども。なんて、根も葉もないこと言ってみたりして(笑)」 ●視線を移せば、会社やTSUGIやPARK、関わっている人や場所は変わらないから、いい距離感を見つけたのかもしれない。 「確かにそうかも。改めて気づくアパートは、隣人との関係がなく同じ町内なの?、って感じじゃないですか。ただ一方ではコミュニティを失ってるんで、閉ざされちゃってる気もしてて、ずっと住むというイメージを持ちづらい部分もあるんですよね」 ●考えたら、PARKが生まれたのは引っ越しよりずっと前ですもんね。 「ものすごく昔のように感じるなぁ。その頃は作り手の人間やったんで、がむしゃらに作って自分が進むべき道を見つけたい、だから工房が欲しいっていう野望があって、そのために参加したんですよね。でもそこから僕自身がガラリと方向転換しているので、今、PARKでできることってなんだろう?と思ったら、んー……。会社で働き始めて数年経って、なんとか社長に受け入れてもらって、営業という場所でやりたいことをやらせてもらっている中で思うことは。地域的に見ればヤマト工芸は大きくなりましたけど、社内にいると新たな血を求める空気を感じるし。そこでいい循環を作るには、僕が対外的な活動をいかに持つかが重要な気がしていて。PARKってまったく異分野の人と関わるじゃないですか。そしたら思ってもないところから仕事が来て、それが会社にいい風を起こすことになるかもしれない。実際、ヤマト工芸の永富として付き合っているお客さんにもPARKの話をするんです。地域を気にしたり、素材のことを想ったり、職人っていうものを意識したりする方も少なくないので、自分はどういうことに関わって、どんなことを考えているのかを踏まえた上で商談をすると、相手の顔がちょっと違ってくるし、たまに身近な知り合いと繋がったという話に発展していったりするのがすごく面白くって」 ●まさにそれこそが、三基くんがヤマト工芸とPARK、そしてTSUGIにも足を踏み入れている理由であり、利点でもある気がします 「公私混同気味ではありますが、会社とPARKとTSUGIを自分の中で同じ位置付けに置きつつ、何が最善かっていうので僕は動こうと思ってて。ものつくりも忘れてはないですけど、どっちかというとコミュニケーションを大事に今は関わってますね。しかしそれだけじぁなかなか会社には伝わらないんで、会社が受けた仕事をPARKに依頼したり、そこで若い人が育っていったらと。逆にPARKにアイディアをもらってヤマト工芸で作ったり、生産の部分でお互いに補っていけたらいいなっていうふうに思っていて。その考えはTSUGIにおいても同じかな。入り組んだことをしているので、時々パンクしてます(笑) ●新婚さんだから、家庭も含めるとグアドラプルブッキングかも?! 「確かに。でも決して悪いパンクじゃないから。PARKを立ち上げてからの2年間で、本当に自分でも考えられへんかったことができるようになってきてて。まぁまだたまにハマ(浜口)さんやにいくんにお叱りを受けてますけどね、それは上昇傾向にあることでうぬぼれが出た瞬間だったりするから。そうそう。最初は自意識過剰に自分で全部できると思ってたのに、パニクること数回、だんだんと人にお願いすることを覚え、ようやく今に至りまして。フフフ。何回泣きちらかしたかわからん。もう無理やぁぁぁ!って。ハハハハハ」 ●今の話の流れで、PARKにおける自分の役割ってなんだと思いますか? 「PARKでやることは全部新しいんですよ。ヘンな言い方ですけど、PARKが会社やTSUGIと違うのは、利益が一番の目的ではないことで、もう少し長い目で見れるというか。イベントを仕掛けても、しんどかった、でも売れたよねっていうだけじゃ次はないので。むしろそのときの売り上げは少なくても、楽しかった経験をそっくりそのまんま違う場所でも使わせてもらって、徐々に伸びしろを広げていけばいい。人や状況を巻き込んでみんなが面白くできたらそれが正解、みたいなところがあるので。という頭の切り替えが、ようやくできるようになりました」 ●おぉ、涙の数だけ強くなれるよの歌は嘘じゃなかった。 「うん。自分の成長の過程にはPARKがあって、PARKでの巡り合いや経験で、会社の中でも役割を掴めたところがかなり大きくて。20代の若造だから発言力は全然ないんですけど、だったら30歳までにできる限りの下積みしてやろうって、今は急ピッチであれこれ始めていて。パン!と意見を言ったときに、跳ね返ることなくちゃんと染み渡らせられるような人間になるために、死に物狂いで頑張ってます。結果、今がすごく楽しい」 ●まさか漠然と田舎に住みたいってところから、今の三基くんに辿り着くとは。 「言っちゃえば、結婚に踏みきれたのもやるべきことが見えたからなんですよね。モヤモヤしたままだったら僕は絶対結婚に逃げるやろうと思ってて。でも今は結婚は結婚、PARKはPARKって意識を切り替えられているし、そういう自分に自信があるから奥さんにもちゃんと話して出て行ける。だからこれからPARKに参加しようとか、なんかオモロそうやから行ってみたいっていう人も大丈夫ですよ。僕が本気でそう思ったの、去年の冬なんで。そこから急激に動き出しての今ですから。それまではただのポンコツでしたもん、本っ当に(ニッコリ)」 インタビュー 山本祥子
DIY vol.1 テーブルづくり&壁づくり ー猛暑の中、ありがとうございましたー 8月6日(日)炎天下にもかかわらず、DIYに参加いただきありがとうございました。 今回は現在改修中のカフェに置かれるテーブルの製作とカフェやシェアルームの塗装の準備でした。 前日までに山口大樹と孫和也の二人が中心となりデザイナーとのやり取りや構造的な問題の解決のため何度も試作を重ね、材料の購入、切り出し、工程の確認など事前に細やかな作業を終わらせて当日になりました。前日には準備完了。 当日は丸岡から柳沢織りネームの柳沢さんが大量の水分の差し入れを持っての参戦、池田からは長尾信二さんと真紀さんが大量の採りたてトウモロコシを差し入れて頂いたり、新メンバーとして参加してくれる一週間後にパパになる山口くんからは味の濃い野菜たちの差し入れを頂きました。西山みきちゃんからの塩分補給セットやろくろ舎からも冷たいドリンクの差し入れがあったり、、、。感謝しながら全部いただいちゃいました。牧野くんやのりピーも汗ダラダラ頑張ってくれました。とても助かりました。ありがとうございます。子連れ狼よろしく作業をするメンバーも、、。 この夏一番の暑さの中作業をは暑さで気力体力を相当奪われながら行ないました。お昼の賄いはカフェ担当の小玉和沙が頑張って作ってくれました。豚軟骨のトマト煮込み、鳥手羽のなんとか?山口くん家の野菜のサラダと、ナスのミートソース、、そして長尾農園のトウモロコシ!最高のお昼でパワーをつけ午後の作業は想像以上の進み方になりました。 もう素人DIYの域を超えて来ましたね。セミプロ??いやプロにも負けないクオリティになってきました。 今後はルームシェア部分の壁作り、やカフェ等ペンキ塗りを始め、カウンターやトイレなどの扉作りと設置など作業が続いていきます。平日毎晩19時以降22時くらいまでと日曜日の終日は作業をしています。ぜひお手伝い、冷やかし(差し入れ希望!)で遊びに来て下さい。いい汗かけます。