2020/05/18 21:21

<プロジェクトメンバー(向かって左から)>

油井敬史 1979年生まれ。農薬も肥料も一切使わずに野菜を育てるゆい農園の主人。渋谷でのバーテンダーや、海外放浪生活を経て、有機農業法人に就職。そこで食べた野菜の旨さに衝撃を受け、農家になることを決意。2014年に就農してから試行錯誤の後、現在のスタイルに辿り着く。

五十嵐創 1984年生まれ。「農園 土とシェフ」の料理人兼農家。父が立ち上げた世田谷区の「広味坊」にて9歳から厨房に立つ。人が食べたものを土に還す循環社会を作ることを目指し、2018年に藤野に移住。風味風土風景を通した食文化の向上を図る。

土屋拓人 1976年生まれ。ファーマーズマーケット藤野ビオ市の首謀者。大学在学中に起業した制作プロダクションにて、出版社やテレビ局などと多数のプロモーションを手がけていた。2009年、渋谷から藤野に拠点を移してもなお、湧き出るアイディアと人脈を駆使して複数のイベントを立上げるなど、イベントを通して活動の場を広げる。藤野での伝説的なイベント「ひかり祭り」の実行委員や、ライブハウス「渋谷O-EAST」の屋上や恵比寿ガーデンプレイスなどに畑を作り、都会でも実践できる農的暮らしを支援するNPOアーバンファーマーズクラブ立ち上げにも関わる。

【はじめに】

「クラウドファンディングに出資してくださる皆さまにも、僕たち4人で始めたプロジェクトの物語の主人公になって頂きたい。」そんな想いで、プロジェクトにまつわるエピソード(実話)を物語として描きました。私たち4人が暮らす藤野の食文化を皆さまと一緒に創っていくこと、そして少しずつこの輪が広がっていくことに願いを込めて。

少し長くなりますが、最後までご覧になって頂けたら幸いです。

ーーーーー  第一章 出会い  ーーーーー

「はじめまして」

藤野での食事会で土屋に名刺を渡すと偶然にも土屋は、小林が務める会社の顧客だった。そんなことがきっかけで急接近した土屋と小林。

「まだ行ったことないなら創くんの店、今度一緒に行こうよ。めちゃくちゃ美味しいから。火曜日と水曜日限定でしか開いてないんだよ。」

土屋に誘われ、五十嵐が運営する『土とシェフ』に初めて訪れたのは2019年の秋。肌寒い夜道を子どもたちと歩き、近所にある店に家族で着いたのが19時、くもった窓ガラスの隙間から店内を覗くと、満席だった。

少し待ってから席に着くと、殺人的に忙しいことは誰が見てもわかる程、ひっきりなしに注文が入っている。厨房を覗くと、シェフが1人で必死に料理を作っている後ろ姿が見えた。大きな背中でキビキビとした動き。ジュワーという音とともに、高温で炒められる野菜。グラグラと沸騰した鍋の中に、鮮やかな放物線を描きながら入っていく刀削麺。その様子を見ているだけで小林の心はワクワクした。 

程なくして、炒められた小松菜の前菜がのった皿が土屋と小林の前に置かれた。ごま油が小松菜に絡み、キラキラと輝き、生姜の香りがフワッと薫ってくる。さっそく口に運ぶと、スーパーに並ぶ小松菜とは比べ物にならないくらい肉厚の葉っぱから感じる食感と、凝縮された旨味が口いっぱいに広がり、多幸感から目を見開いて、

「んーっ、うまっ。めちゃくちゃ美味いです。料理も美味しいし、この小松菜もすごいです。こんな小松菜初めて食べました!」

そう伝えると、偶然にも、その小松菜の作り手が隣の席に座っていて、

「この小松菜は油井くんのところの小松菜。紹介するね、油井くん」

と土屋から言われ、状況を掴むのに一瞬時間が止まったことを思い出す。その時が油井と小林のはじめての出会い。農家というよりもミュージシャンと言われたら、そうだろうなぁと思ってしまうような見た目に驚きを隠せなかった。目の前にいるミュージシャンのような見た目の人が、今まで食べたことがないような味がする小松菜を作った人だということは俄かに信じられなかった。なんだか頭をガツーンと殴られたような感覚で、固定概念が吹き飛んだ。

その後、次々と出てくる料理に舌鼓をうちながらも、あっという間に時間は過ぎていった。料理が一通り出てきて少しお店が落ち着いた頃、厨房から出てきた五十嵐を土屋から紹介された。

「今日、なんだか忙しくって、せっかく来てくださったのに、料理をお出しするのに、時間かかっちゃってごめんなさい。このビール、藤野で作られたビールで、すごく美味しいんで、ぜひ呑んでください。お待たせしちゃったお詫びです。」

都内に住んでいた頃はなかなか経験したことがなかったそんなおもてなしに、五十嵐の人としての温かみを感じると同時に、藤野の町の人と人との距離の近さを感じた。寅さんがいた世界で見たことがあるような懐かしい感じ。その後、年齢が近かったこともあり、話は尽きず、好きなバンドの話になり、五十嵐と小林の距離は一瞬で縮まった。

その日、同じ店に偶然にも集まっていた4人が、数ヶ月後、プロジェクトを立上げることを、その時はまだ誰もが夢にも思っていなかった。