その後も、たくさんのご支援とあたたかいメッセージをありがとうございます。励まされています。
8月29日に予定していた「大島青松園コンサート」は、コロナウイルスの影響により、中止となりました。20回目はおあずけです。残念ですが、状況が落ち着いたら日を改め、ちがうかたちでも開催したいと願っています。おひとりでも多くの入所者がお元気なうちに。
ひきつづき、毎月最終日曜日の礼拝もできません。この間、わが家の家庭礼拝をそのまま録音して入所者の方にお送りしたら、喜んでくださいました。ああ、早く大好きな丘の上の教会でいっしょに賛美歌をうたいたい! 写真は2019年8月のコンサート翌日の礼拝の様子です。撮影は平賀正明さん。
6月22日は、厚生労働省が定める「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」です。これは2001年にハンセン病補償法が制定された日にちなんだもので、2009年に定められました。歴史をさかのぼると、この時期は1930年代前半から、貞明皇后の誕生日である6月25日を「癩予防デー」とし、その前後を「癩予防週間」としてキャンペーンが行われました。1964年に「ハンセン病を正しく理解する週間」に改称されました。
貞明皇后は、昭和天皇のお母さまにあたります。正確には皇太后ですが、多くの史料に皇后とあるのでそうします。全国の療養所には、1932年に貞明皇后が「癩患者を慰めて」詠んだ御歌の碑があります。
つれづれの友となりてもなぐさめよ ゆくことかたき我にかはりて
この御歌には曲がついていて、療養所では式典や集会のときにうたわれました。園歌はそれぞれちがいますが、このうたは「園歌の園歌」みたいな存在で、共通でした。君が代→御歌→園歌という構図です。
実は、曲は本居長世と山田耕筰の2バージョン存在します。ほとんどの療養所が山田バージョンですが、いくつかの療養所のみ本居バージョンです。はじめ本居だったのに、のちに山田になったところもあります。なぜそうなったのか、いま調べています。2つはまったくちがう曲です。山田のはドイツ歌曲のかおりが濃いのに対して、本居のは邦楽的色彩が強いです。二人の個性と作曲の特徴がバッチリ出ていて、うたい比べるとおもしろいです。この二人、東京音楽学校の同期でライバルでした。在学中もそのあとも、本居のほうが優等生だったのですが。でも、山田の活躍はご存知のとおり。軍歌、校歌、団体歌王として君臨し、戦後も活躍をつづけ、1956年には文化勲章を受章しました。本居は晩年は作曲をせず、1945年にひっそり死にました。
入所者のみなさんにうたってもらうとき、うっとりしているように見えます。何十年もうたっていなくても、はっきりおぼえていて、口を大きくあけて朗々とうたいます。からだにしみこんでいるという感じです。どんな思いでうたったのか、もっとお聞きしたいです。またフィールド調査に出かけられる日が待ち遠しいです。
暑くなってきましたが、どうかおからだに気をつけてお過ごしください。
沢知恵