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歌手ママ 沢 知恵「ハンセン病療養所の音楽文化研究」で大学院を修了したい

歌手活動と子育てをしながら、岡山大学大学院の教育学研究科で「ハンセン病療養所の音楽文化研究」をしています。新型コロナウィルスによりコンサート活動ができなくなり、主な収入源を断たれてしまいました。研究の成果を論文にまとめ、大学院を修了したいです。

現在の支援総額

1,877,000

268%

目標金額は700,000円

支援者数

143

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/05/16に募集を開始し、 143人の支援により 1,877,000円の資金を集め、 2020/06/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,877,000

268%達成

終了

目標金額700,000

支援者数143

このプロジェクトは、2020/05/16に募集を開始し、 143人の支援により 1,877,000円の資金を集め、 2020/06/30に募集を終了しました

歌手活動と子育てをしながら、岡山大学大学院の教育学研究科で「ハンセン病療養所の音楽文化研究」をしています。新型コロナウィルスによりコンサート活動ができなくなり、主な収入源を断たれてしまいました。研究の成果を論文にまとめ、大学院を修了したいです。

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コロナ禍で大学院での学びをつづけられなくなった私のためにご支援くださったみなさん、ありがとうございます。おかげさまで2021年の春、岡山大学大学院教育学研究科を修了し、このたび2022年11月、修士論文をもとに本を出版することができました。岩波ブックレット『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史-園歌はうたうー』です。みなさんのお力がなければできなかったことです。心よりお礼申し上げます。3年前を思うと、夢を見ているようです。せっかく書いた論文の内容を広くみなさまにお伝えしたいと思い、できるだけわかりやすく書き直しました。「高校生にもわかるように!」と編集者の上田麻里さんから叱咤激励されながら。楽譜や写真も大きくのせることができました。ほんとうはみなさまにお礼と報告として1冊ずつお送りしたいところですが、そういうわけにもいきません。おそれいりますが、ご興味のある方はお買い求めください。620円(税別)です。書店やアマゾンなど主要通販サイトで入手できます。コモエスタ通販をご利用の方でご希望の方には、私のサインをお入れしてお送りします。お申しつけください。本の巻末にあるQRコードから、1935年録音のSP盤の音源も聞くことができます。ハンセン病療養所で実際に園歌がどのようにうたわれていたかを知る貴重な手がかりです。岩波書店のユーチューブ公式チャンネルで公開中です。コロナ禍が長引き、いまだ音楽活動は先が見えない状況がつづいています。しかし、コロナ禍で私は知りました。孤独で不安なときこそ音楽は必要であることを。私たちはうたいたいのです。声あわせてともにうたいたいのです。ハンセン病療養所の人たちがうたった思いをほんの少し理解できたとしたら、コロナ禍のおかげもあったかもしれません。あきらめることなく、希望をもって歩んでまいります。島の外からのお客さんはなしという条件で行った「沢知恵 大島青松園コンサート2022」の動画を無料配信中です。約42分です。ぜひごらんください。91歳の東條高さんの歌声は必聴です! このコンサートと映像配信は「ともえ基金」によって支えられました。感謝申し上げます。そのコンサートをリポートしたRSK山陽放送テレビのイブニングニュースの特集も紹介します。約9分です。2022年現在、全国のハンセン病療養所はコロナで出入りできないところがほとんどです。そうしている間に、入所者のみなさんはどんどんいなくなっていきます。残された時間はわずかです。研究をつづけながら、うたをうたいながら、私はこれからも終わりゆく療養所から発信をつづけてまいります。ひきつづき応援をどうぞよろしくお願いします。


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2021年3月25日、岡山大学大学院教育学研究科を無事修了しました。たくさんのお祈りとお支えをありがとうございます。新型コロナウイルス感染症対策をとり、学生のみ参加で、午前と午後に分かれて行われた学位授与式では、こみあげてくるものがありました。いっしょに入学し、去年修了したほとんどの仲間は、式がありませんでした。私は仕事をしながらの長期履修だったため、式に出ることができました。学業を断念せざるをえないと思った去年の春を思うと、夢を見ているようです。中学高校の音楽の教職免許も取ることができました。教育実習も行きました。いい出会いと学びがたくさんありました。感謝の気持ちでいっぱいです。岡山大学のサイトに、私の論文について書かれた新聞記事やインタビューへのリンクがあります。よろしければ、ごらんください。看板娘ならぬ「看板おばさん」とか、教授にからかわれています。光栄です。岡山大学大学院教育学研究科のサイトクラウドファンディングで支えてくださったみなさまには、4月中にリターンをお送りする予定です。クラウドファンディングはしなかったけれど、私の修士論文「日本の公立ハンセン病療養所の園歌―抑圧と解放のはざまで生まれた音楽―」を読みたいという声も届いています。ありがとうございます。論文をもとに、読みやすく書き直して本にしたいと願っています。首を長くしてお待ちください。論文もいずれ公開するつもりです。今後はうたと研究の両輪で活動していきます。ハンセン病療養所の音楽文化は、知れば知るほど豊かで奥が深いです。みなさんが生きた証を記録にのこし、伝えていきたいです。コロナ禍がおさまったら、全国の療養所でコンサートをすることも考えています。そんな日が一日も早く来ますように。去年できなかった20回目の「大島青松園コンサート」は、無観客で配信することも視野に入れています。最新の情報は、私の公式サイトやSNSでご確認ください。それから、みなさまのお近くで、ハンセン病療養所の音楽について「レクチャー&コンサート」をご希望の方がいらっしゃいましたら、お声がけください。規模や予算など、相談に応じます。お問い合わせは沢知恵の公式サイトよりまだまだ不安と緊張の日々がつづきますが、どうかお元気でおすごしください。またコンサートでごいっしょできる日を心待ちにしています。春です!感謝して。2021年3月31日 沢知恵 


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おかげさまで、岡山大学大学院教育学研究科に、修士論文「日本の公立ハンセン病療養所の園歌―抑圧と解放のはざまで生まれた音楽―」を提出することができました。感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのお祈りと応援をありがとうございます。コロナ禍で、フィールド調査をはじめ、じゅうぶんにできなかった部分もありますが、コロナ禍においてこそ深められた思索もある気がしています。いちばん学んだことは、「知の海」の無限の広さと深さ、そして尊さです。漕ぎ出した小舟は、どこまで行けるでしょうか。ひとつの旅が終わり、もはや次なる旅が始まろうとしています。終わりゆくハンセン病療養所に生きた人たちの「声」をのこし、伝えるべく、歌手活動をしながら、これからも研究をつづけていきたいと願っています。論文書きの合間に、大島青松園の東條高さんのレコーディングが叶いました。2月上旬に、小さなアルバム〈この道〉が完成します。出会いは1971年。東條さんは40歳、私は0歳でした。2003年には、賛美歌アルバム〈生かされて〉をごいっしょにつくりました。今回も私が全編ピアノとコーラスをつとめています。90歳と49歳のハーモニーです。東條さんの美しい、力強いうた声に耳を傾けながら、うたうこと、生きることの意味を改めて思いめぐらす機会となりました。私自身、何度もくり返し聞きたくなる作品になりました。コモエスタ通販で取り扱う予定です。よろしければ、買い求めください。5曲入り1,000円(税別)です。コモエスタの公式サイトもうひとつ報告があります。長島愛生園の機関誌『愛生』開園90周年記念号に「長島愛生園の歌」を寄稿しました。園歌をはじめ、挽歌、青年団の歌、歓迎の歌、長島音頭、開拓の歌などの楽譜も改訂しました。これまでの楽譜を検証し、あきらかな誤記を改め、表記を統一し、実際に入所者の方にうたってもらった歌唱をもとに、できるだけ再現可能な楽譜にしました。たしかに存在するという記録がありながら、楽譜も歌詞もなかった《愛生園少年団歌》は、戦後まもなく少年時代に入所した中尾伸治さん、石田雅男さんの歌唱を採譜し、初めて楽譜化しました。これも研究の延長上にできたことで、光栄に思います。『愛生』については、長島愛生園にお問い合わせください。電話0869-25-0321クラウドファンディングで支援してくださったみなさんには、春になりましたら、リターンをお送りします。お待ちください。2月9日にオンラインで修士論文発表会があります。もうひとがんばりです。先が見えない状況がつづき、不安もありますが、希望を失わずに、一日一日をていねいに過ごしていきたいです。どうかお元気でおすごしください!2021年1月21日 沢知恵


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6月30日でクラウドファンディングが終了します。少し早いですが、みなさまに感謝の報告を申し上げます。ごらんのように目標金額を大きく上回るご支援をいただき、大学院を修了できる見通しがつきました。ありがとうございます。あたたかい応援を背に、日々論文の執筆にいそしんでいます。来年の春、よい報告ができますように、ひきつづきお祈りください。リターン(返礼品)は、CDが含まれる方のみ7月中にお送りします。レクチャー&ミニコンサートご希望の方は、私から連絡します。それ以外のリターンは、来年5月末までにお送りする予定です。首を長~くしてお待ちください。胸の泉に      塔 和子かかわらなければ   この愛しさを知るすべはなかった  この親しさは湧かなかった  この大らかな依存の安らいは得られなかった  この甘い思いや  さびしい思いも知らなかった人はかかわることからさまざまな思いを知る  子は親とかかわり  親は子とかかわることによって  恋も友情も  かかわることから始まってかかわったが故に起こる幸や不幸を積み重ねて大きくなりくり返すことで磨かれそして人は人の間で思いを削り思いをふくらませ生を綴るああ何億の人がいようともかかわらなければ路傍の人  私の胸の泉に枯れ葉いちまいも落してはくれない6月30日(火)朝4時台に、NHKラジオ深夜便「わが心の人」で、塔和子さんのことを語ります。2月に放送されたものの再放送です。塔和子さんは、大島青松園に13歳から亡くなる83歳までを生きた詩人です。「本質から湧く言葉」と評されて、詩の世界でもっとも権威あるといわれる高見順賞を受賞しています。塔さんの詩に私が曲をつけた《胸の泉に》と、宮澤賢治のことばにやはり私が曲をつけた《雨ニモマケズ》の2曲がオンエアされる予定です。NHKラジオ深夜便「わが心の人」※聞き逃しサービスで放送後1週間お聞きになれます。かかわれなくても、ほんとうにかかわりたい人とは、「枯れ葉いちまい」でもかかわる。気持ちを伝えられないなら、その人のことを心から祈る。うたえなくても、沈黙に耳を傾け、わき上がってくるうたを生ましめるときを、あきらめずに待つ。制約のなかで、せいいっぱいうたう。思いやりとユーモアを忘れずに。「そういうものになりたい」と思わせてくれたおおぜいの人の顔が思い浮かびます。最後に、新型コロナウィルスに感染した人やその家族、また医療関係者などに対する差別・誹謗中傷があることについて、私はそのようなニュースを聞くたび、また身近にそのような空気を感じるとき、落胆と強い憤りを感じます。日本のハンセン病の強制隔離は、「無らい県運動」によって徹底されました。これは法律ももちろんですが、一般の人たちによる「監視」を権力者がうまく利用してなしえたことです。誤った情報によって不安をあおられるとしたら、私たちはハンセン病から何ひとつ学んでいないことになります。コロナウイルスについて正しく理解し、人権の観点から行動することを忘れてはなりません。隔離の歴史を歩んだハンセン病療養所はいま、高齢の入所者たちをウイルスから守りつつ、このまま「隔離で終わらせない」ための模索をしています。かかわった者として、なんとかしてかかわりつづけたいです。おあずけになった20回目の「大島青松園コンサート」ができる日を待ちわびながら。もう一度、みなさん、ありがとうございます!写真は2つとも桃山龍太さん撮影です。2013年、大島青松園での塔和子さんを偲ぶ会と、2012年、大島青松園コンサートにて。大~好きな二人。沢知恵


その後も、たくさんのご支援とあたたかいメッセージをありがとうございます。励まされています。8月29日に予定していた「大島青松園コンサート」は、コロナウイルスの影響により、中止となりました。20回目はおあずけです。残念ですが、状況が落ち着いたら日を改め、ちがうかたちでも開催したいと願っています。おひとりでも多くの入所者がお元気なうちに。ひきつづき、毎月最終日曜日の礼拝もできません。この間、わが家の家庭礼拝をそのまま録音して入所者の方にお送りしたら、喜んでくださいました。ああ、早く大好きな丘の上の教会でいっしょに賛美歌をうたいたい! 写真は2019年8月のコンサート翌日の礼拝の様子です。撮影は平賀正明さん。6月22日は、厚生労働省が定める「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」です。これは2001年にハンセン病補償法が制定された日にちなんだもので、2009年に定められました。歴史をさかのぼると、この時期は1930年代前半から、貞明皇后の誕生日である6月25日を「癩予防デー」とし、その前後を「癩予防週間」としてキャンペーンが行われました。1964年に「ハンセン病を正しく理解する週間」に改称されました。貞明皇后は、昭和天皇のお母さまにあたります。正確には皇太后ですが、多くの史料に皇后とあるのでそうします。全国の療養所には、1932年に貞明皇后が「癩患者を慰めて」詠んだ御歌の碑があります。つれづれの友となりてもなぐさめよ ゆくことかたき我にかはりてこの御歌には曲がついていて、療養所では式典や集会のときにうたわれました。園歌はそれぞれちがいますが、このうたは「園歌の園歌」みたいな存在で、共通でした。君が代→御歌→園歌という構図です。実は、曲は本居長世と山田耕筰の2バージョン存在します。ほとんどの療養所が山田バージョンですが、いくつかの療養所のみ本居バージョンです。はじめ本居だったのに、のちに山田になったところもあります。なぜそうなったのか、いま調べています。2つはまったくちがう曲です。山田のはドイツ歌曲のかおりが濃いのに対して、本居のは邦楽的色彩が強いです。二人の個性と作曲の特徴がバッチリ出ていて、うたい比べるとおもしろいです。この二人、東京音楽学校の同期でライバルでした。在学中もそのあとも、本居のほうが優等生だったのですが。でも、山田の活躍はご存知のとおり。軍歌、校歌、団体歌王として君臨し、戦後も活躍をつづけ、1956年には文化勲章を受章しました。本居は晩年は作曲をせず、1945年にひっそり死にました。入所者のみなさんにうたってもらうとき、うっとりしているように見えます。何十年もうたっていなくても、はっきりおぼえていて、口を大きくあけて朗々とうたいます。からだにしみこんでいるという感じです。どんな思いでうたったのか、もっとお聞きしたいです。またフィールド調査に出かけられる日が待ち遠しいです。暑くなってきましたが、どうかおからだに気をつけてお過ごしください。沢知恵