Living in Peaceの朴日豪です。
自らの意思とは無関係に祖国での生活を失い、異国で生活することになった難民や移民が、当該国で理解される言語を使えず、自らを説明できない苦しさは、私にとって他人事ではありません。
2年ほど前、パスポートを持たずに海外旅行をした時のこと、現地で新幹線に乗ろうとするたびに、パスポートの提示がない以上は乗せられない、と咎められ、毎回立ち往生する経験をしました。
その時は幸いにも旅行先の国出身の友人が毎回1時間近く交渉してくれたおかげで事なきを得ましたが、ただでさえ理解されづらい自分の生い立ちや、パスポート不所持の経緯を自らの言葉で説明する事ができない自分に大きな無力感を感じました。
当該国で一般に理解される言語でコミュニケーションが取れない場合、ましてや苦難から逃れた先の異国における生活のあらゆる場面で生じるそれは、そこに至った経緯と相まって、生きていくための気力を簡単に奪ってしまいます。
言語を学ぶことは、就職活動や試験対策の手段に留まりません。社会の中で自身を表現し、その存在を証明するための強力な手段です。
彼ら彼女らが言語の壁を超えてその経験を語ってくれるとしたら、日本社会にさらなる多様性と豊かさをもたらしてくれるような気がしています。
もし可能性を感じていただけたら、ご支援いただけると幸いです。
明日は、監事の鈴木瞳にバトンをつなげます!