今日までに多くの会場を練り歩いてきた。
ご協力頂いたお寺の方々や施設の方々にはこんな時勢でも僕たちを招き入れてくれたことに感謝のしようもないが、こんな時勢だからこそ多くの人々を呼べないジレンマもあって、ご支援お願い先で触れ合える絶対数は少ない。
僕たちの感情としては、みんなで造る大仏という言葉を掲げているからには色々な人とコミュニケーションをとって少しでも大仏に対して関心を寄せてもらいたいと思う。
わかっていたこととはいえ、それが出来ないのは悩みどころでもある。
僕たちのように、大して有名でも著名でもない人間において、ご支援をお願いするという形は、SNS等の発信では知人以外の協力を得るのは難しい。
やはり、できるだけ会って普通に会話をこなし、お願いする形が最も興味を抱いて頂く方法だと思っている。
そこで今後キャラバンを行う際に僕たちの中で方針転換した物事がある。大仏を作る前提として、お寺を周ることに関しては可能な限りやっていくが、それ以外にもっと色々な人に「令和の大仏造立」について話せるように、安全に人が集まったり行き来している場所や施設にお願いして、法要や会話ができる場面を増やしていこうというものだ。
アーティストが中心となって考えた大仏の造立方法と使用方法だけに、それ自体はとても楽しい造形物として出来上がる予定だし、面と向かって話せばその楽しさをより理解できると思っている。
何より、そんな楽しげなものをこの時代の人々と一緒に造り残せることが、どれほど面白いことかを一緒に感じて欲しいと思う。今だからできる事だし、今しかできない。
大仏が出来上がった頃に、大仏を見つめながらみんなでどんちゃん騒ぎをするような光景が自然に生まれたとしたら、純粋に人間としての幸福感を顕在化させたシーンだと思う。それを見たい。
現状、こぞって寄り合い、同じ目的に向かって取り組む行為がなくなった。
漠然とした社会改善に向かって取り組むような物事はあるかもしれないが、
<これを造ります!>という単縦な目的に対しては見かけない。
目的を単純化すればそれなりに方法が見えてくるもので、極端に専門性や法的正しさを意識するがあまり、普段の行為の範疇から抜け出したものは触らないといった風潮があるようにも思う。
僕自身、そのような風潮に抗って面白いことをやろうとしてきたが、失敗も沢山あるし、色々な人に迷惑もかけた。
だから、分からないことには触らないのが一番いいという理屈もわかる。
けれど、事細かく色々な情報と擦り合わせてようやく見つけた抜け道は、あなたがやりたいことから大きく外れているんじゃないだろうか?やりたいことをやることがリスクだらけでは、どうやって新しさを発見していけばいいんだろうか?いつも思うし、大方戦っても負ける。
ただ、僕はバカである。嘴平伊之助のごとく猪突猛進で、相手がやりたいことをどうすれば叶えることができるかだけ考えてしまう。
僕と同じようなバカがまだこの日本には多くいると思う。
せめて、そんな方達とキャラバンの中で多く出会えたら、きっと令和の大仏は成功すると確信している。
GermanSuplexAirlines/前田真治