今回このプロジェクトにおいて重要な人物とその時私は出会います。その方は、鳴子まちづくり株式会社 吉田氏。後に私が尊敬して止まない人です。 アポイント当日、初めてお話しできる機会をいただきました。いや、というか一方的に話を聞いたと言っても良いかもしれません(^_^;)その時の印象は失礼ですが、この歳にしてよくこんなに話せるものだなと思いました。ところが、、、内容をよくよく聞くとその話にいつの間にか前のめりになって聞いている自分がいました。 こんなにも博識でセンスのある人がなぜ鳴子にいるのかとも思いました。吉田さんの生い立ちからここに書き記したい気持ちは山々ですが書ききる前に私の指がダメになるほど厚く内容の濃いものになりそうです(^_^;)ぜひ鳴子に来てこの方に会っていただきたい。本当に思います。そうそういないと思うのです。過疎が進んだ地方で外国車から降りる姿がビッと決めたスーツ、腕には最新のapple watch。只者ではないことが伺えます。
私とドライの出会いはさかのぼると3年ほど前になります。 当時、宮城県大崎市も例外なく東日本大震災後、内陸の大崎市も電柱が倒れたり道路が波のようにうねっていたりと被害は全域にわたっていました。設備、インフラの復旧もままならず、また風評被害も相まって鳴子温泉も従来の姿とは言えない寂しい様子でした。 そんな中、たまたま温泉地でこんなユニークな取り組みをやっているおじいさんがいる!と噂を聞き興味をそそられ人伝いにアポイントを取り実際に見学させてもらうことになりました。そこで出会うおじいさんこそが後に師匠(勝手に私が師匠にしてしまいました)となる吉田さんなのです。 当時の私は28歳、吉田さんは60代後半。大変失礼でしたがこんな高齢の方がなんて面白い発想でモノづくりをしているんだ!その時のインパクトと同時に香っていた乾燥されたしょうがの香りは今も香るとその時のことを思い出させてくれます。 つづく 【次回予告】1回裏 吉田さんとの対話





