福島を出た後は、私たち一行は南相馬を経由して浪江に向かいました

現在の支援総額
156,000円
目標金額は150,000円
支援者数
24人
募集終了まで残り
終了
このプロジェクトは、2017/03/03に募集を開始し、 24人の支援により 156,000円の資金を集め、 2017/04/30に募集を終了しました
福島を出た後は、私たち一行は南相馬を経由して浪江に向かいました
唐桑の九九鳴浜清掃活動の後、私たちは宮城県石巻市へ訪れました。 石巻では石巻出身で防災について学んでいる若者、永沼さんと一緒に津波の被害に遭った地域を見て回りました。 私は千葉県出身で、東北へいく事も無かったので、被災地の状況を見る手段はテレビだけでした。震災後時間が経つにつれて、復興し始めた地域の映像ばかり見ていたため、順調に回復しているのかなと思っていました。 実際のところ瓦礫の数は少なく、キレイになっていました。しかし津波によって家が失われた場所には何も建っておらず、そんな場所が一面に広がっていました。 回った中で1番衝撃的だったのは大川小学校を見た時です。大川小は河口から4キロも離れた位置にあり、津波の被害はないだろうと考えられていた場所でしたが、津波が届いてしまったこと、避難誘導のミスで多くの犠牲者が出てしまったことで話題になりました。大川小は津波で襲われた時のままの状態で保存されており、悠斗さんに"教師たちがどの様に行動したのか、何を考えたのか"を聞きながら実際にその道を歩きました。 防災の知識がもう少しあれば全員逃げ切る事もできたと思います。いつ何が起こるかわからない、なので何事にも準備をしておく事が必要だと実感させられました。 私自身も地元で地震が起きた時どうするのか、津波は届く可能性があるのか詳しく知りません。そういった意味でも1度自分の住んでいる地域について知る必要があると思うとともに、防災の重要性にも改めて気づかされました。 次は福島県です!!! 長島
ユーススタディツアー2日目は唐桑にお邪魔しました!
宮古市に引き続き、13日の午後は大槌町へ訪れました! 大槌町では一般社団法人おらが大槌夢広場の東梅さんに語り部ツアーを行っていただき、町方地区(旧役場周辺の町の中心地となる地区)について主に紹介していただきました。 お話の内容としては、町方地区の特徴や、被災状況、復興計画などについてジオラマを見ながら説明していただいた後に、実際に旧役場など町へ出て震災当時の様子や今の状態等見て回りました。世間話も織り交ぜながら、大槌について語る姿からは地域への愛を感じることができました! 私は明治学院大学の活動で何回か東梅さんからお話いただいていたのですが、6年経って改めてお話を聞くことで町の復興の進み具合などの違いを感じることができました。また、私自身もお話を聞いて感じることや考えることが変化していることに気付き、改めて6年という月日の大きさを感じたり、自分が行ってきた活動を振り返えり、成長を感じることができる時間でした。 他のメンバーも宮古で聞いたお話や自分の経験と比較したりしながら、とても熱心にお話を伺っていました。同年代の人から聞くお話は、自分と重ねたり、とても現実味のあることとして、すっと心に入ってきます。こういうところに、ユースとしての活動の意味があるんだと思います。 実は、町方へ行く前に私が5年間通い続けている大槌町の吉里吉里に少しだけ寄りました!3月11日に開眼されたばかりの抜苦地蔵にお参りさせていただきました。東日本大地震によって大切な人を亡くされたご遺族の方々によって建てられたお地蔵様です。文字通り、苦しみを抜く、安楽を与えるという意味があるそうです。少しでも苦しみが減り、楽しく過ごせるよう、私たちにもできることは全力で応援したいなあと思いました。 吉里吉里ではたまたま、活動で一緒に遊んだり、郷土芸能をした小学生とすれ違ったり、お地蔵様の前でお世話になっているおじいちゃんにお会いしたりと、予定していなかった人とお会いすることができたのもとても嬉しかったです(^ν^) 次は、いよいよ宮城県に突入です!!!
みやっこベースで高校生たちと出会ってら、そのまま市内の田老という地域に行き、学ぶ防災というものに参加しました。 まず、田老についてちょっとだけ説明します。東日本大震災で、田老は津波によって町が壊滅的な被害を受けました。過去何度も甚大な津波被害を受けているために、万里の長城と呼ばれていた防潮堤、山に伸びる多くの避難路、角でぶつからないようにする隅切りなど、たくさんの対策をしているエリアでした。 そんな中ですごく目立つ建物があります。それが、田老観光ホテルです。このプログラムでは、その観光ホテルの中に入り、その場所で撮られたあの日の津波の映像を見ます。 それは本当に信じられないものでした。いつ来るかわからない、どんなスピードかもわからない。だからこそ、まず高いところに逃げること、そして、戻らないことが大切だと改めて実感させられました。 ちなみに、私の祖父母たちは田老に住んでいましたが、すぐに高いところに逃げたと聞きました。曽祖母のいたので、70歳を過ぎた祖父が曽祖母をおぶって急な山道を駆け上がりました。その後、祖父母の家は津波に飲み込まれて跡形もなくなりました。逃げることがまず大事。じぶんのいのちはまず自分で守る。まずはこれだと祖父母もいっていました。 難しいけれど、一生向き合っていかなければならないものだと再認識しました。 まこと