“選挙”を街ぐるみで楽しいイベントに!行って得するセンキョ割プロジェクト

選挙ってなんだか難しくて参加しづらいという若い世代に向け行う企画。投票した人に地元の店舗でサービスをすることで、若い人こそ投票参加してほしいという雰囲気を町全体で作り、若い人が社会参加するきっかけをつくります。

現在の支援総額

546,000

109%

目標金額は500,000円

支援者数

39

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2014/09/01に募集を開始し、 39人の支援により 546,000円の資金を集め、 2014/10/30に募集を終了しました

“選挙”を街ぐるみで楽しいイベントに!行って得するセンキョ割プロジェクト

現在の支援総額

546,000

109%達成

終了

目標金額500,000

支援者数39

このプロジェクトは、2014/09/01に募集を開始し、 39人の支援により 546,000円の資金を集め、 2014/10/30に募集を終了しました

選挙ってなんだか難しくて参加しづらいという若い世代に向け行う企画。投票した人に地元の店舗でサービスをすることで、若い人こそ投票参加してほしいという雰囲気を町全体で作り、若い人が社会参加するきっかけをつくります。

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横浜市会が始まったのは1889年 (写真は開港当時の横浜)  開港当時は半農半漁で百戸足らずの小さな村でした。そこから約30年後に横浜市会は開かれました。物凄い急激な進歩ですよね。  当時は納税額によって等級が定められており、納税額が高い方から、1級12人、2級12人、3級12人と議員を選ぶというものでした。1級の議員は12人選ばなければいけないのに、1級の市民は13人ということもあったようです。よく選挙を行ったなと感心です。。   小学6年生の社会の教科書と横浜市のWEBページ参照 【当時の横浜はどうだったか?】 横浜市民なら知ってるこの施設  シルクセンターのあたりを中心に外資が進出してきており、貿易の拠点となっておりました。  現在でもシルクセンター内にある「英一番館」はこのころの名残で、日本で最初の外資系企業であったジャーディン・マセソン商会の日本支店の名前です。  明治維新を支援したグラバーはこのジャーディン・マセソン商会の代理店でした。  ちなみに、ジャーディンマセソンは現在はマンダリンホテルなどの経営で知られる会社です。  地方議会が日本中でできていったのは1880年前後だと思うのですが、あまり学校では習わない部分ですよね。ちょっとづつこういう情報も発信していければ良いかなと思っております。

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