
みなさん、こんにちは!
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長野の美容師の年に一度のビックフェスティバル!
よろしくお願いします
今回のレポートは・・・
ナガコレ執行部のTIiana代表の山本さんです!
ナガコレへの熱い思いをみなさん感じてください!
長野コレクションへの参加は、善光寺ご開帳が行われた2015年の第1回目でした。
後にナガコレの前身となるチーム(組織)の存在を知ることになるのですが
、参加するにあたっての説明会が行われ、
そこでナガコレを運営する実行委員会の方々と出会う。
現在発起人であり2015年の実行委員長でもあった
ALPHA代表杉山先生の言葉は今でも忘れません。
『今こそ長野の美容師、美容業会が一つになって、スーパーフラット上下関係や色んなしがらみ関係なく、手と手を取り合い、そして次世代に夢と希望を与えて行こうではないか!!』
『そして、世界にナガコレ(長野)を伝えて行こう!!!』

この杉山先生の思い言葉が説明会に参加した私の心にどこか火を灯してくれた事は言うまでもありません。
そして、その思いは後の2016年実行委員長hair make flare代表の高橋さんや、本年2017年実行委員長のsora.HAIR MAKE代表の伊藤さんへと脈々と繋がっていて、そこに微力ながらも惹かれて今があると思います。
今でも忘れ無いのは、やはり2015年初参加でプロモデルのステージに立たせて頂いた事。
私は、18年間専門学校から美容師へとその身を東京で過ごして来て、言わばUターン組として2013年の春に地元長野の地で美容室を開業し今に至るの訳ですが、もちろん自分なりの大きな在り方や目標はあったものの、上に紹介している御三方ほどの思いがあったのか?いやあるのか?と言われると今でも自問自答する事もあるのが本音で、でもせっかく長野に戻って来たのだから、そしてこの先もこの長野に美容師として骨を埋める覚悟で帰って来たのだから、長野の為、または美容業会の為、または地域の為に何か微力ながらもお役に立てないかと思った時に出会ったのが、正にこの長野コレクションであったと今後続いて行くであろうナガコレの行先で語って行きたいと思っています。
そんな出会いから、そしてステージに立つまでの間、実行委員会会議がいくどもあり、
1回目のナガコレは参加者、協力者延べ500人近い人数の組織が一つになった事、
そしてそれに関わる費用など、正直想像も出来ないご苦労があった事と思う。
それを感じたのは2015年は副実行委員長で2016年実行委員長、
そして2017年ではプロデューサーを務めるhair make flare代表の高橋さんの、
2015終わった後の反省会での一言。
『もう2度とやりたくない!』という一言でした。
反省会には参加者はほとんど集まっておらず、
実行委員会の皆さんと参加サロンオーナーが若干名いた事を今でも覚えている。
(その席には現在2017年副実行委員長で統括ディレクターのPiED DE POULE代表の松橋先生がいた)
そこで漏らした高橋さんの一言は自分の胸に大きく響いたし、その顔は今でも忘れない。
なぜなら、助成金などの資金に関わる事をほぼお一人で抱えながら、
ナガコレの総指揮を取っていたのんだから。
半年以上、いやその前からきっと大きな希望と思いをもってチャレンジし
誰よりもナガコレの為に尽力してきたからであろう。
(もちろんそこに関わる実行委員会の皆様の並々ならぬ努力と葛藤があった事も踏まえ)
そんな実行委員会の皆様のお陰で、私は2015年ご開帳時期に合わせたかのように行われたナガコレのAステージプロモデルさんのステージにTiana代表として関わる事が出来たのだが、自分がそこで何が出来るのか?
そして、ナガコレの意味やナガコレへの思い(実行委員会の皆様)に
どう応えようかと必死に考えた末に出てきたのは、
その後2016年、ナガコレの理念でもある『地産地消』でした。

そこで、何か髪飾りに出来るもので長野のものはないか??
そんな事を思い長野に戻って2年余りの自分も友人などに相談をし、飯山の内山和紙の存在を知りました。
善は急げではないのですが、コレは!!って思った私は、すぐ行動で木島平の『紙漉屋』の上埜さんのもとへ駆け込み色々相談したところ快く引き受けてくれただけではなく、
これも長野の伝統工芸品だよと差し出してくれたのが飯田市の水引でした。
そこで長野の水引は全国の70%近くを締めている事を知りました。
そして、それらを髪飾りにと統一テーマでもあった『花』を和紙で作って頂き、ステージでその花を、
『和を帯びて 髪彩なした君 華となる』
と題したナガコレステージで飾らせて頂いた事が記憶に新しくあります。
(自分の事は語りたい事はいっぱいありますがこの辺にして...)
そして、その後これも運命というか必然というか、
今のナガコレの影の立役者でもある長野放送小松さんとのナガコレ話にと転じて行くのではないでしょうか。
小松さんは私の現在も髪をカットさせて頂くお客様と美容師という中で、
その小松さんが2015年5月に行われたナガコレを見てい事を後散髪中に話はじめた所からが
必然の始まりだったと今も記憶しています。
小松さんはご開帳のためセントラルスクエアで行われるイベントの設営などで忙しくされていた所、
美容師がつくるイベントナガコレをみて、『なんてパワーなんだ!!』とコレは!!
って思った様で、私にあのイベントすごいですね!!
などなど、細かい事は覚えていませんが、お互い熱く語った事を思い出します。
美容師(実行委員会)の思いを僕なりに語った上で、小松さんも共感、また共有したいと言った話になり、
であればという事で2016年実行委員長に決まっていた
実行委員長hair make flare代表の高橋さんにお話を持ち掛けました。

あれだけ『もう2度とやりたくない!』って言ってた高橋さんが実行委員長ってとこがこれまた語り継ぎたいエピソードにもなりますが、ま、そこは言うまでもなくその思いがあっての今であったりするのですが、
正直、大して知恵の無い私ですが、単純に思ったのです。
長野放送の小松さんと高橋さん。
このお二人で軸がつくれれば、と言うか小松さんがいれば単純に
資金繰りに高橋さんが苦労なされなくて済むのではないか?
とってもいやらしい話ですが、そう思ったのは事実です(笑)
ただ、そこにはお客様と美容師といった関係だから分かると言いますか、、
『もう2度とやりたくない!』って漏らした高橋さんの
またナガコレが継続して行く上での思いに、小松さんのような思いのある方なら必ず応えてくれる!!
小松さんのお人柄を知る一人として、そう思って今に至っている事はとても自分でも嬉しい事の一つです。
そんな繋がりもあり、気づけば2016年長野コレクションから執行部の一員として参加させて頂く事になり、
右も左も分からぬ中、前広報のSpark HAIR&FACE代表の柳沢さんや諸先輩方にもお力添えを頂きながら、
そして多方面にご迷惑をお掛けしながら、2016年のナガコレの成功を見届ける事が出来ました。
広報はもっとも裏方と言っては失礼かもしれませんが、表立って見える事もあれば、見えない事もあって、
自分はたまたまSNSでの発信を自サロンでもやっているため、その辺りで少しお役に立てたかとは思いますが、
終わってみて次なる課題や、ナガコレをどのようにして広報していかないといけないのかなど今も問題といいますか、試行錯誤の連続で足を引っ張りぱなしです。。
今思えば、なぜ広報(執行部)なんて引き受けてしまったのか。。
正直、自分はステージに立ちたいという思いや、表舞台への憧れもありました
(もちろん今でもありますし、PiED DE POULE代表の松橋先生からも表舞台を勧めて頂きました)
ですが、なぜ自分が執行部をやらせて頂こうかと思ったのかと言うと、
やはり2015ナガコレでの実行委員会の皆様のご苦労と思いが知りたかったからです。
それは、美容への情熱と憧れ、ステージに立たせて頂いた恩返しでもありました。
正直、表舞台より陰ながらの執行部は脚光は浴びませんでした。
そして、正直今でも思いますが地味です(笑)
何事もそうですが思いが無くては出来ないことを肌で感じさせて頂きました。
もちろん思いがあったから出来たこと出来ている事だと裏を返せば思うし、そのお陰で多くの美容師さんや美容関係者の方々や、モデルさんやお客様と出会う事が出来、多くの繋がりと学びの共有が出来ました。
実際にその思いは、他県にまで渡り、昨年は茨城のサロンの美容師さんも参加して頂きました。
そして、気がつけば東京銀座の中央通りでナガコレがあったりと。。
(あっという間の2年でした)
気づけば沢山の方々に支えられているナガコレですが、美容師がヘアーメイクやファッション(着物)や地産地消などを通じて多くの方々に夢や希望を持ってもらい、次世代の若者(子供達)に美容の文化や美容の素晴らしさやナガコレという思いの文化を伝え繋いで行く事はもとより、美容師が美容師である前に人して、ナガコレを通じて人と人とが繋がり成長し、多くの仲間と共感共有しながら高め合い、地域や社会へと貢献出来るような、そんな長野コレクションをこれからも創って行きたいし、広報として発信して行きたいと思います。

Tiana Hair&Nail HP





