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飛騨高山に、コワーキングスペースをつくります!

co-ba hida takayamaは、様々な地方と地元の人材交流を生み、これからの飛騨高山を皆で考えるための新しい場です。この場所を「新しい飛騨高山」を発信する拠点にしていきたいと考えています!

現在の支援総額

896,000

112%

目標金額は800,000円

支援者数

106

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2014/10/18に募集を開始し、 106人の支援により 896,000円の資金を集め、 2014/12/09に募集を終了しました

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飛騨高山に、コワーキングスペースをつくります!

現在の支援総額

896,000

112%達成

終了

目標金額800,000

支援者数106

このプロジェクトは、2014/10/18に募集を開始し、 106人の支援により 896,000円の資金を集め、 2014/12/09に募集を終了しました

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さっそくご支援ありがとうございました。皆様からの応援のお言葉に感謝・感激です。ご支援をかたちにできるように全力で行動します。引き続き応援よろしくお願いします。 レポートの第1弾です。 <なんでこの場所でコワーキングなのか?この場所の歴史> 飛騨初のコワーキングスペースは高山印刷株式会社の1F部につくります。この会社はもともと味噌・醤油を家業としていました。 明治40年に「これからは印刷で文化のさきがけをつくる」と10名で出資し、合資会社からスタートし、創業108年になります。 当時の写真 当時は味噌・醤油屋だった蔵にモータ1台と印刷機3台を入れて仕事をしていました。また、活版印刷という技法で、文字のハンコのようなもの(活字)を1つずつ拾って組んで版画のように印刷していました。現在コワーキングスペースにしようとしているのはまさにその場所です。 活字をひろう社員 次代は流れ、新工場ができ、大型機械が移設され、スペースが今まで空いていました。その場所を活用し創業当時のように、コワーキングでこれからのムーブメントを創造・発信していきたいです。 そんな場にする・そんな歴史のプロジェクトです。 最後まで読んで頂きありがとうございました。引き続き応援よろしくお願いします。 現在の外観(市内を流れる宮川 鍛冶橋より)