2015/06/06 22:43
今日は僕が銭湯プロジェクトをやりたいと思ったきっかけとなった人たちについて書きたい。そのきっかけを与えてくれたのは僕が住んでいる江津市のK町の人たちだ。この人たちはK町で本当に熱く切っても切れない人間関係を形成していて、3年前東京からこの町にUターンでこの町に帰ってきて何もわからない僕をあったかく、そして暑苦しく迎えてくれた。その人たちに僕は年齢層を超えた熱い人間関係を教えてもらった。だから、そんな人間関係を、裸の付き合いができる銭湯で作り出し、この町に伝えていきたいと思い、この活動をスタートした。。
でもK町の人たちは僕がやっているこのプロジェクトのことを全く知らない。というか、僕はその人たちにこのプロジェクトのことを全く説明していない。というのも銭湯プロジェクトの一番の弱みである実現可能性の面を突っ込まれるのが一番怖かったから言うのに躊躇していたこともあるが、今まで人間関係に無頓着だった僕ががこんなプロジェクトやりたいっていきなり言うのも恥ずかしたったし、ましてやあなたたちのおかげなんですなんて恥ずかしすぎて言えなかった。ほんとにただ恥ずかしかっただけ。
だから、そのK町の人たちが銭湯プロジェクトの話題を振ってきても、僕は真正面から話さず、いつも話をはぶらかしていた。そうすると、恥ずかしさがどんどん逃げに変わっていった。自分の思っていることを伝えることがなぜか次第に怖くなった。そうなると気分が乗らないから、地域活動からも疎遠になり、その人たちと会う機会も少なくなった。その間、K町の人は地域のイベントに誘ってくれたりと何度も手を差し伸べてくれたのに、僕はその手を握らなかった。でも心の中ではこの人たちともっとかかわりを持ちたいという想いはすごくあったが、ホントに小さな恥ずかしさのせいで、うまく自分の考えを伝えられなかった。今思うと僕はなんとも情けなく、くだらない人間だ。
でもそんな情けない態度をとっている僕に、その人たちはまだ僕に手を差し伸べようとしてくれた。昨年の10月に銭湯居酒屋というイベントをやった時のこと。僕の住むK町の人の一人がそのイベントに来てくれた。もちろんイベントをやることは全く伝えていない。その間、僕とその人はたわいもない会話をし、焼酎のロックを2杯飲んで帰って行った。その帰る間際、「この後時間あるか?終わったらの店に来いよ」といい、帰って行った。
イベントの片づけを終え、急いでその店に行った。その人たちは町内の仲間数人と酒を飲んでいた。どうやらかなり怒っている様子だった。そして僕を見るなり開口一番に「なぜイベントをやることを言わなかった?声をかけてくれればもっといろんな人に声をかけてやったしチラシだって配ってやったのに、一言ぐらい声をかけろ!」と言われた。本当に自分が情けなくなった。その後もいろいろと言われたのだが、「俺たちはしっぽつかんだら逃げない、そんな人づきあいがしたいんだ」という言葉が一番印象に残った。多分相当酔ってたから本人は覚えてないだろうけど。。。かなりきつい口調で言われたのだが、なんだかすごくあったかい気持ちになった。厳しい言葉の中にも、心がこもっていた。やっぱりこの人たちと関わっていきたいと強く思った。その後もいろいろあってその人たちになかなか自分の考えを伝える機会がなかったのだが、このクラウドファンディングをやってみて、もう恥ずかしさなんか捨ててしまえと踏ん切りがついた。「筋を通さないと人の心は動かない」そう思った。
だから、思い切ってK町の人に想いを伝えることにした。今回はこのK町の核となる人に自分の考えを伝えに行った。一人でその人の家に行き、「僕が銭湯プロジェクトをやるきっかけを与えてくれたのはあなたたちなんです。僕は今まで逃げてきたけど、K町の人ともっと関わりたい。一生懸命頑張るから。もう一回仲間に入れてくれ」と自分の想いを伝えてきた。
結果、その人は受け入れてくれた。「言うだけでは誰でもできる。自分で動いて、みんなに理解してもらいなさい。今度町内のみんなで集まる機会があるから、みんなにその想いを話してみな」とチャンスをもらった。あんなに逃げていた僕をもう一度受け入れてくれたことが本当にうれしかった。これが腹を割った心と心の付き合いなんだなと実感した。この人間関係の中で自分は生きていきたいし、やっぱりその魅力をこの町の人にも伝えたいと強く思いました。そして、子供たちが小さなころからこのようなあったかい人付き合いに触れながら成長していったら、きっと大人になった時に人を思いやれる人間になれると思う。そして、そのまた下の世代にも伝えていってくれると思う。銭湯という密な人間関係が生まれる場で、そんな人間関係を作り出し、今後も伝えていきたいと思う。





