堂内の聴衆全てを見渡す事の出来る高座での説教は真宗独自の形態で、ここから、浪花節、落語、講談が生まれました。 説教が、話芸の源流であるの間違いありませんが、芸能ではありません。説教は阿弥陀さまの御取り次ぎです。ですから、そこからこぼれ落ちるのは、南無阿弥陀仏のお念仏です。小沢昭一さんは、私の祖父を「最高にして、最後の説教使」と、呼んでくださいました。ですが、私の役目は、祖父を最後の説教使にしない事です。阿弥陀さまのみひかりのもと、精一杯の御取り次ぎ。どなた様も、ようこその、御参り。 うれしく たのしく おごそかに。





