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19歳に内野町の食と暮らしを伝える「つながる米屋」をつくりたい!

私たちは新潟市内野町の米屋「飯塚商店」と一緒に昨年4月から活動しています。1年の活動を通して、内野町の中にたくさんの「好き」が増えました。そこで、内野町の中にある私たちの「好き」を伝える『内野暮らし研究所』を開くための改装を行います!

現在の支援総額

1,295,000

129%

目標金額は1,000,000円

支援者数

132

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/06/08に募集を開始し、 132人の支援により 1,295,000円の資金を集め、 2016/07/31に募集を終了しました

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19歳に内野町の食と暮らしを伝える「つながる米屋」をつくりたい!

現在の支援総額

1,295,000

129%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数132

このプロジェクトは、2016/06/08に募集を開始し、 132人の支援により 1,295,000円の資金を集め、 2016/07/31に募集を終了しました

私たちは新潟市内野町の米屋「飯塚商店」と一緒に昨年4月から活動しています。1年の活動を通して、内野町の中にたくさんの「好き」が増えました。そこで、内野町の中にある私たちの「好き」を伝える『内野暮らし研究所』を開くための改装を行います!

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目が醒めると

目に映るものは何の変哲もない真っ白な壁と天井で
時計を見ると17時だった。
喪失感と嫌悪感に苛まれても、
それを伝える相手はどこにもおらず
しょうがなく携帯を覗いてみる。
 
SNSを見る。
友人は旅行に行ったみたいだ。
楽しそうな写真が目について、思わず閉じてしまう。
メールを見ると、大学の授業の課題がいくつか来ている。
自分だけ進んだ世界から取り残された気分になる。
 
空腹を感じても
この部屋の中一人で食べるごはんなど美味しくないことはもうわかっていて
だからといって友人に連絡を取るのも、コンビニに行くのさえもめんどくさくて
家にあった食材をとりあえず胃に流し込んで泣いてしまうことが何度もあった。
 
隣部屋の住人が、友達を連れてきたらしい
知らない人の声が壁伝いに伝わってくる。
 

こんなとき私はよくお母さんに電話をした。

寂しさと自分に対する嫌悪感を、
「全然自分は駄目なんだ」と溜まっていたものを吐き出すように。
 
母はそれでも
そんなことない、と庇ってくれたけれど。
 

19のときのわたしにとって

つかんだ自由はとてつもなく不自由だった。
 
「広がるのは自由と、無限の可能性だ!」
なんて思って進んだ大学も
いままで自由なんて知らない生活をしてきた私にとって

過ごし方なんてわからなかったのだ。

 
何を食べるのも

何時に寝るのかも

何時に起きるのかも
自由で
 
バイトで稼いだお金で
可愛いと思った服を買ったって
「そんなもの買って」と
責める人は誰もいない。
 

大学でどんな研究をするのかも

どんなサークルに入るのかも
どんな人たちと過ごすのかも
自由だ。
 
周りはずんずんと
ぐんぐんと前に行く。
自分で決めて進んでいく。
 
背伸びして入った大学だった。
合格したときは本当に嬉しくて
クリスマスも正月も勉強した甲斐があったなあって
自分が我武者羅だった分
それはすぐちっぽけな自信になった。
 
入学すると母国語のように外国語を喋る子や大きな夢を語る子たちに囲まれて
刺激的な毎日だった。
 
同期の子と自分とを比べては
自分は何が得意なんだろう?
何が勉強したいんだろう?
何がやりたくて大学に来たんだろう?
 
受験生のときは
合格することばかり考えていて見えなかった色々な疑問は
もやもやと心を圧迫してぼろぼろなった。
 
わからないまま
気になることにちょっとだけ首を突っ込み
しっくりこないなあとすぐ辞めた。
 
自由は不自由だと思った。
ちょっとぐらい制限があった方が過ごしやすいんだと思った。
こんなことなら進むべき道が決まっている方がよっぽど楽なのに、なんて思ったりもした。
 
結局4年間、そのモヤモヤは拭えなかった。
たぶん私のモヤモヤを綺麗さっぱり吹き飛ばす解決方法なんて、大学の中に転がってなかったんだよ。
 
大学とアパートとバイトの人間関係の中だけの
ヒントじゃ
解決しきれなかったんだよ。
 
今日、早朝から知り合いのおじさんの働く農家で
じゃがいもを掘る手伝いをしてきた。
慣れない作業で疲れたからか
午後は飯塚商店の改装のことを進めようと思ったのに
寝てしまったらしい。
 
文意おばあちゃんが小さな足音をたてて
床を歩く音で目がさめる。
台所で洗い物をしているらしい。
覗くと「起きたかい。今日は疲れたみたいだね〜」と言う。
夕飯の準備をしているようだ。
 
実家でも無い他人の家で昼寝をしたのだ。
別にこの家に住んでいるわけでもないのに、最近疲れると好んでこの家の居間で横になってしまう。
 
誰かの生活が自分の中に流れ込んでくるのが心地いい。
顔も知らないアパートの隣の部屋の人の足跡や、掃除機の音、食器がカチャカチャという音はどうしても好きになれなかったのに
知っている誰かの生活の音がここまで気持ちがいいのは何でだろう
 
いま、19の私に会えるなら
この不思議なまでにも心地のいいこの店に連れて行きたい。
一人でアパートの部屋で泣いた私と
ただ同じときを過ごすのだ。
 
アドバイスなんてしない。
 
でも
感じてもらいたい何かを
この店が
この町が
この町に暮らす人たちが
たくさん持っている気がして。

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