19歳の私へ
なんだか最近、満腹な日々です。
お腹の中も、それ以外でも、なんだか満腹。
19歳の頃の私を振り返ると、食欲のない日がとっても多かった気がします。
暮らしやすかった宮崎の田舎から、鹿児島の都心部に移り住んで大学に通い始めて、それはもう毎日緊張していましたねー
昔から大の緊張しい。大学は楽しいけれど、慣れないことばかりで、毎日ドキドキ。
緊張すると食欲が薄れてしまう私は、朝と昼は緊張でお腹があまり空かなくて、夜に頑張って食べて1日に栄養を摂取しようとする日々。いろんな「最悪の事態」を想像してお腹が痛くなっていたのを思い出します。我ながら、繊細だ。
そうだよね、緊張するよねえ。
みんな頑張っているのだから、私もひとりで頑張らなきゃ。自立しなきゃ。
19歳の頃を思い出しただけで、がんばっていたなーと思います。
できないことやわからないことに遭遇した日には、もう大変。
どういう風に回避しようか、余計なことまで心配していた気がします。そして、またおなかが痛くなり、食欲も失せる(笑)
緊張しいなところは、23歳の今でもあまり変化がありません。あらら。
でも、今は、少しずつ「ほかの誰かに頼る」可能性と、「ほかの誰かと一緒にやる」楽しさを感じています。
根っこの部分が負けず嫌いなので、「できない」ことを認めるのが恥ずかしくて悔しくてもやもやしちゃう。
できることなら全部ひとりでやりたいし、ひとりでやった方が楽だし、失敗しても恥ずかしくないし…
そんなことを思いながら出来るだけほかの誰かに頼ることやほかの誰かと一緒にやることを遠ざけていますよね。ギクって感じだよね。きっと。
そうやって自分だけで何とかしようとする時期も必要だったのだと、今は思えます。
腹痛に耐えながら、自分だけで生きていく術を探っていた自分も嫌いではないし、よくやったと思えます。でもね、たぶん、そんなに無理しなくてよかったのではないかとも思うのです。今だから言えること。
きっと、見えていない(見ようとしていない)だけで、周りに頼ることのできる人はいるし、一緒に何かをつくることができそうな人もいるはず。
その人たちを頼り、その人たちのできることと私のできることをすり合わせて1つのものをつくろうとするのは、ただの甘えではないと思います。
世の中、そんなに私に期待している人もいないし、
世の中、そんなに私に敵意を持っている人もいない。
自分の「できない」を認めて周りを見渡した時に、初めて見える景色や出会える日常があると思います。
というか、あるよ。あったよ!やったー!
最近の私は、満腹なのです。
緊張する場面もたっくさんあるし、もう駄目だーと思うこともあるし、泣きたくなる日もしょっちゅうあるけれど、追い込まれても私の「できない」を埋めてくれる人たちが周りにいてくれるので、ぽっかりと空いた穴をひとりで埋めなくてもよくなった。
何かやりたい、でもできるか不安だと思いながら進む空腹の時間も楽しくなってきました。
そして、いろんな人がいろんな角度から、私を満腹にさせてくれています。
「私ひとりじゃできない」は「誰かと一緒にできる」に繋がる機会。
そう思えると、楽しくなるかもね。
自然とお腹もすいてくるし、誰かと一緒に満腹を感じられるかもね。
23歳の私は内野町で満腹な日々。
そんな自分が不思議でたまらない。こんな日が来るなんて!
周りの人たちを「ちゃんと」見ることのできる暮らしをつくっていきます。
19歳の私と一緒につくっていきたいなー。どうなるかわからないけれど、まあ、きっと不幸せにはならないんじゃないかな。
つながる米屋、楽しみにしててくださーい。