この度は、清水エスパルスのクラブ創設25周年企画『ファン・サポーターとともにつくる、清水エスパルス25周年記念誌』プロジェクトにご協力いただき、誠にありがとうございます。
本日、村田和哉選手からメッセージが届きました!
村田和哉選手
「エスパルス」というクラブ名が決まった1991年当時、自分は3歳ですね。
さすがにJリーグが誕生するというニュースは記憶にないですが、その後の記憶としては、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)が強くて、自分も友達もヴェルディのキャップをかぶっていたのを覚えています(笑)。
小学3年生でサッカーを始めて、カズさん(三浦知良選手/静岡市出身)にとても憧れていました。
自分は出身が滋賀県で、同じ関西のチームの京都サンガF.C.の試合が確かJリーグ最初の観戦だったと思います。
そして、その対戦相手が清水エスパルスだったような気がします。その時は京都側で応援していましたが、エスパルス側から聞こえる「オーレ、オーレ、オレオレ…」という応援歌が今でも耳に残っています。
エスパルスといえば、やはりノボリさん(澤登正朗氏)のFK。
1999年のJリーグチャンピオンシップのシーンは記憶にあります。
エスパルスには、“レジェンド”と言えるような選手がたくさんいらっしゃるイメージです。
静岡は「サッカー王国」として日本サッカー界を引っ張ってきた存在ですし、サッカーが根付いたこの地域にある清水エスパルスで今プレーできることは、選手として大きな喜びです。
私ごとですが、最近清水区に引っ越してきました。
同じ静岡市内でも清水に引っ越してきて、より耳にするようになったのが、エスパルスについて「昔はよかった」とか。
もちろん、たくさんの先輩方が作ってこられたクラブの歴史や意志を受け継ぎながらも、清水の方々が口にする“あの頃”みたいな興奮した時代を自分たちでも作りたいですね。
また違う歴史というか、自分たちの時代を作って、次に繋げていきたいです。
そして、今回の清水エスパルス25周年記念企画として、みんなで最高の記念誌も作りたいですね。
プロジェクトへのご協力、よろしくお願いします!
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このプロジェクトが、「単にクラブが記念誌を発行するのではなく、ファン・サポーターの方々などとコミュニケーションをとりながら、エスパルスに関わる方みんなで形にしていきたい」という想いに対して、村田和哉選手も賛同いただき、参加してくれました!
選手も含めて、引き続き、ファン・サポーター、スポンサーなど、皆様の力を合わせて、一緒に『クラブ創設25周年記念誌プロジェクト』を実現しましょう!
そして、本日のアウェイ浦和戦、勝利を目指しましょう!