熊の毛皮を着ていた妹尾ちゃん
三上 寬 〜 不 惑
『七十年の頃は今と違って、音楽をやる人間はそれほど多くはなかった。大抵は政治運動に走り、僕らは少数派だったように思う。妹尾ちゃんとは色んなステージで頻繁に顔を合わせていた。彼の気分が乗った時には、打ち合わせなどせず、気がついたら、横に立って吹いていたというような事が何度もあった。ある日、これも大阪のポン友のアベちゃんが、「ライヴハウスつくったから、月に一度来てや」と誘われた。店は商店街の真ん中に、黒田征太郎さんの絵で覆われた、開放的な場所だった。いつだったか(注・アルバム収録の日時1990.8.26)、妹尾ちゃんが、フラりと現れ、「ちょっとヤるわ」言いながらステージに立ってくれた。ギャラを渡そうとすると、いらないわ」と言ってそのまま帰っていった。私としては、妹尾ちゃんからその昔、熊の毛皮を強引に譲ってもらい、その代金を払っていなかったので、その分の気持ちもあった。既に彼も他界して、その事をすっかり忘れていたのだが、その時の音源が見つかったという。支援企画の岸田が、「何で自分が持ってるのか分かりませんのや」と興奮していた。先日も最北青森県下北半島のライヴにいった時、招聘してくれた八谷さんの自宅で妹尾ちゃんのアルバムが置いてあるのに驚いた。デビュー以来、所属していたレコード会社が大阪にあったせいか、ミュージックのほとんどは関西の人間が多い。気がつくと大半が他界している。大塚まさじにの「街暮らし」ではないが「あれから何年たったのか、昔の仲間も少なくなった。俺ときたら相変わらずで、今も気ままな街暮らし」である。まだまだ歌おうとは思ってはいるが、あちこちガタがきてるのも事実(笑)。早く逝った仲間の想いを背負いつつ、これからも気ままにのんびりステージに立っていようと思っています。』