約20年前〜私も若かりし頃
バターフィールド 第1号店をオープンしたのは2001年5月のこと。。。
オープン初日のお客様は、、、10人にも満たなかった。。。
お店が満席・ウエイティングになるまでには時間がかかった。。。。苦労したなあ。。。
美味しい料理・親切でフレンドリーな接客サービスがあれば〜どんなお店も成功し長続きするか?は分からない。もちろん、その二つは切っても切り離せないもの。けれど、商品の価値をどう伝えるか?どう向上させるか?立地面の影響もある。。。。商売は難しい。。。
その時の最大の失敗は看板が『California Kichen BUTTER FIELD's』なんてカッコつけたから、、、
と反省し、のちに 『パスタ&カレーのお店 バターフィールド 』と 料理の写真付きの看板をつけたものです。
実はバターフィールド をオープンする一年前、その前に『Pasta Frolla (パスタフローラ)というカジュアルイタリアンレストランを古町7番町にオープンし、私はのちの主人となる社長の起業当時、店長として飲食業界に転職したのでした。
東京の生パスタ専門店へ、研修という修行へ行き、とにかく吸収できるものは全て吸収するつもりで、昼夜問わずひたすら練習に励みました。
27歳でこの世界に飛び込み、料理人と言われる人たちの、いわゆる男性社会の中で、女だから〜女のくせに〜と差別されたくないと、とにかく必死でした。
はじめはもちろんホールの清掃、接客応対から、キッチンでは約60種類のメニューを1週間ぐらいでマスターしなければいけなかったのです。あの時は本当に睡眠時間1〜2時間だったような。。。。それから他のお店のオープンの立ち上げを経験して、店舗運営のノウハウを学びました。(今考えると、,,,,そう、お店をオープンするために必要な物や手順やサービスなどは一通りわかっても、お店を続けていくことができるかどうか?はとても難しいと本当に思います)
新店・移転・リニューアル含めてオープン立ち上げは12回も経験しました。20年の間に12回のオープンですが、そのほとんどはスタートして10年間の間に9割。。。。走り続けた日々でした。
その中でも思い出深いのは、第1子出産予定日にレセプションで、大きなお腹のまま何とかオープンを終えて生まれてきてくれた長男。次男はオープン後2ヶ月目で切迫流産になり入院したものの、無事に生まれてきてくれました。2人の子を乳飲み子の状態でも2ヶ月目からは職場に連れてきての勤務をしてきました。いつの時代の話??と不思議になるくらい、背中に子供を背負いながら、できることを精一杯してきたつもりです。過去の苦労話として、自分を労いたいと思いますが、その分子供たちには随分寂しい想いもさせたことは確かです。
もう一つ、オープン前後に祖母や父とのお別れも経験しました。20年もの歳月では人との出逢いも別れもあるのは当然なのですが、私の人生の中でも非常に中身の濃い激動の20年でした。
さて、お店の歴史について、もう少しお話ししたいと思います。
平成12年4月 パスタフローラオープン 平成13年5月 バターフィールド青山店オープン
平成16年6月 バターフィールドビッグスワン前店オープン
平成17年7月 パスタフローラ閉店
バターフィールド古町店移転リニューアル
平成19年10月 バターフィールド青山店閉店
平成19年12月バターフィールド豊栄店オープン
平成21年7月 バターフィールド万代店オープン
平成23年1月バターフィールド万代店閉店
★平成22年3月バターフィールドCoCoLo長岡店オープン
平成23年3月バターフィールドCoCoLo新潟店オープン
平成24年10月八彩茶屋ユニゾンプラザ店オープン
★平成25年4月バターフィールドイオン新潟青山店オープン
平成27年11月バターフィールドCoCoLo新潟店閉店
平成28年 3月 Leffol レッフェル新潟駅店FCオープン
平成29年 5月 Leffol レッフェル新潟駅店閉店
平成30年5月バターフィールド豊栄店閉店
平成30年12月バターフィールドから
★やさい茶屋へ業態チェンジ
令和2年3月八彩茶屋ユニゾンプラザ新型コロナ影響が大きく閉店
オープンも閉店も多くのドラマのように出逢いと別れ
でも 時は流れていく。。。。
私たちは、負けずに頑張ります!!
無名だった20年前と同じに、一人一人のお客様に誠意をもって、想いを込めて
料理もサービスも提供し続けるという信念のもとに
ありがとうございました!!
料理長 真部江利子