東京ロックダウンがささやかれ始めた3月、86歳の父には、一足早く広島にもある彼らの家に移動してもらいました。父が東京を離れた直後、母の病が発覚。帰京するという父には申し訳ないけれど、コロナの怖さがあるのでそのまま広島で過ごしてもらいました。
もともとジャーナリストで筆まめな父ですから、母の入院中、頻繁に手紙を送ってきます。毎朝の散歩に欠かさず、母の両親が眠るお墓に寄り、お参りしているとのこと。元気づけるエピソードを盛り込んだ手紙はあっという間に束になりました。
文字を追うのが疲れ気味だったので、手紙を読んであげるのは私の役目。
「7月予定の『淳与本』の発刊は待ち遠しいなあ。……愛する人と逢える日は、もっと待ち遠しい!」という文末を読み上げるのは、照れてしまいましたが、涙無くしては読めなかったです。母は笑っていましたが、目は潤んでいました。
常に母のやることを応援してきた父。80過ぎても、さらっとこんなことを言える昭和一桁生まれも珍しい。
母が救急車で搬送され、昏睡状態になっての再会となりました。
メメントモリ、死生観を常々話していた夫婦だからでしょう、離れていても繋がっている幸福感を感じさせる二人に、歳を重ねた人の境地をみたのでした。
(写真は2年前、広島の庭で一つの線香花火を楽しむ二人)