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ギャルリーワッツ オーナー川崎淳与 出版記念 「元気におかえりなさい」

南青山ギャルリーワッツオーナー川崎淳与(82歳)が、自分のアート人生を綴った書籍「80の今が最高と言える」を出版しました。現在、病で大きな試練に立たされていますがまだまだ彼女には夢や使命があります。この一冊を少しでも多くの方に読んでいただき、彼女のこれからの夢を皆で共有したいと考えました。

現在の支援総額

2,100,776

700%

目標金額は300,000円

支援者数

294

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/07/07に募集を開始し、 294人の支援により 2,100,776円の資金を集め、 2020/08/08に募集を終了しました

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ギャルリーワッツ オーナー川崎淳与 出版記念 「元気におかえりなさい」

現在の支援総額

2,100,776

700%達成

終了

目標金額300,000

支援者数294

このプロジェクトは、2020/07/07に募集を開始し、 294人の支援により 2,100,776円の資金を集め、 2020/08/08に募集を終了しました

南青山ギャルリーワッツオーナー川崎淳与(82歳)が、自分のアート人生を綴った書籍「80の今が最高と言える」を出版しました。現在、病で大きな試練に立たされていますがまだまだ彼女には夢や使命があります。この一冊を少しでも多くの方に読んでいただき、彼女のこれからの夢を皆で共有したいと考えました。

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11の不思議
2020/08/08 23:48
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*最後のエピソード*7月も後半になったころ、体力がかなり落ちていました。外来の日、点滴を受けながらうとうとしていたとき、「なんだかすごい風景をみたので後で話すからね」、ぼそっと言いました。帰宅したら、「11っていう数字が見えたの」と。詳しく聞くと、人が円のように集まっているところの真ん中から大きく11と書かれたカードが現れたと。「私、11月までしか生きられないのかな……」、そういうあつよさんに、「1や11ってとてもパワフルな数字らしいよ」と以前チラッと聞いた話を言ったら「そうなのね」と少しホッとしたようでした。友人に伝えたら、やはり11はとてもパワフルな数字で、天使がすぐそばで守っているというメッセージだということを教えてくれました。あるサイトによると「11はあなたが人々に光をもたらし、インスピレーションを与えるガイドとなり、人々のスピリチュアルな意識を高める存在になるよう後押ししてくれます」その夜、あつよさんは救急搬送されました。そして、数日後、意識がまだかすかに残る中、病室で神父様に「病者の塗油の秘跡」をしていただき、その夜に神様のもとに旅立ったのでした。別れは辛いものの、私たち家族は、みごとなあつよさんに大きな拍手を送りました。不思議な話ですが、あつよさんらしいエピソードなので記します。


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あつよさんのもう一つのシンボルマークは大きなイヤリング。お休みでも朝起きたら必ず赤い口紅を塗り、イヤリングをつけていました。それはシャキッと一日を過ごすためのちょっとした儀式。そして、イヤリングが無いと顔がぼけると。笑そんなあつよさんですが、「ねえねえ、回復したらお祝いに何したい?」と尋ねたら、開口一番に「ピアスを開ける!」と。実は、耳に穴を開けるのが怖いという臆病な一面があったのです。なので、憧れのピアスを開けることができない。ならばと、娘が高校を卒業したらすぐに「ピアスを開けたら?」と勧めてきたのです。そして、今もまだあるかわかりませんが、竹下通りの裏あたり、ブラームスの小径沿いにあったジュエリー工房に連れていかれて、奥の部屋で私は耳に氷をあててピアスの穴を開けてもらったのでした。35年前の話。回復祝いがまさかの「ピアス穴開け」?!2人で大笑いした後、じゃあ、長さをどうする?大きいの?それともうんとシンプルに?使う石はやっぱりダイヤモンドかなあ?なんて乙女な会話が続いた病院の夜でした。


「THEあつよ」?
2020/08/08 04:47
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病が発覚した4月から、あつよさんは我が家に滞在していました。息子は似顔絵を1枚描くことをあつよさんを励ますための日課にし、ずいぶんいろんな角度やタッチで描いていました。付き添い入院の頃、1日私だけ自宅に帰宅した日があります。そのときに息子と山さんそれぞれが似顔絵を託してくれました。全く別の部屋で打合せなく描いていた二人が私に差し出したあつよさん!やっぱりこのスタイルは「THEあつよ」なのかな。笑


淳淳(あつあつ)
2020/08/08 04:21
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東京ロックダウンがささやかれ始めた3月、86歳の父には、一足早く広島にもある彼らの家に移動してもらいました。父が東京を離れた直後、母の病が発覚。帰京するという父には申し訳ないけれど、コロナの怖さがあるのでそのまま広島で過ごしてもらいました。もともとジャーナリストで筆まめな父ですから、母の入院中、頻繁に手紙を送ってきます。毎朝の散歩に欠かさず、母の両親が眠るお墓に寄り、お参りしているとのこと。元気づけるエピソードを盛り込んだ手紙はあっという間に束になりました。文字を追うのが疲れ気味だったので、手紙を読んであげるのは私の役目。「7月予定の『淳与本』の発刊は待ち遠しいなあ。……愛する人と逢える日は、もっと待ち遠しい!」という文末を読み上げるのは、照れてしまいましたが、涙無くしては読めなかったです。母は笑っていましたが、目は潤んでいました。常に母のやることを応援してきた父。80過ぎても、さらっとこんなことを言える昭和一桁生まれも珍しい。母が救急車で搬送され、昏睡状態になっての再会となりました。メメントモリ、死生観を常々話していた夫婦だからでしょう、離れていても繋がっている幸福感を感じさせる二人に、歳を重ねた人の境地をみたのでした。(写真は2年前、広島の庭で一つの線香花火を楽しむ二人)


2020/08/08 04:01
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*エピソード*真っ赤な唇と爪がトレードマークだったあつよさん。入院中もできるだけお洒落心を忘れないよう、せめてもと真っ赤なマニキュアを塗っていました。ただし、いつも血中酸素を図るため、右手の人差し指だけは塗らずに。それがまた、看護師さんたちの間でお茶目に映っていたようです。天にのぼったあつよさんが自宅に戻り、手を触っていましたら、マニキュアは落とされていました。検査でとらなければいけなかったのかもしれません。また綺麗に赤色を塗ってあげようと1本1本指を見てたら、右手の小指だけ、真っ赤な美しい爪でした。病院では、あつよイズムが伝染していたのですね。