永遠の嘘をついてくれ
打ち込む言葉との対峙につかれると、ネットサーフィンするという悪い習癖がついてしまった。これはまずいと反省しきりだが、しかしその魅力に抗せられない。その日もまたその悪癖にはまり込んでネットサーファーになっていると、まるでその日はそこに導かれるように、中島みゆきが「永遠の嘘をついてくれ」を歌っているサイトがあらわれた。つま恋で行われた吉田拓郎の野外コンサートに、彼女が飛び入りで出演して、その一曲を歌ってあざやかに去っていく。「二〇〇六年」とクレジットされているから十年も前のコンサートである。久しぶりに聞く彼女の歌がひりひりとしみ込んできて何度もリプレイし、その余韻のなかでさらに周辺のサイトをサーフィンしていくと、「永遠の嘘をついてくれ」の歌詞がさっぱりわからない、だれかこの歌詞を解説してくれませんかと打ち込まれたサイトがあらわれた。おそらく十代か二十代の若い女性なのだろう。しかしこの歌はさっぱりわからないと嘆かせるような歌詞なのだろうか。
遠の嘘をついてくれ 中島みゆき
ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便はまだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
なのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ
この国を見限ってやるのは俺のほうだと
追われながらほざいた友からの手紙には
上海の裏町で病んでいると
見知らぬ誰かの下手な代筆文字
なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか
傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
だれもが夢を抱いて生きていく。その夢を実現したいと生きていく。しかし現実は圧倒的だ。夢は次々に打ち砕かれる。しかし、「いつまでもたねあかしをしないでくれ」──打ち砕かれても、打ち砕かれても、敗北のハンカチを振らないでくれ。「君よ永遠の嘘をついてくれ」──君が掲げたその旗を、高く、より高く掲げて生きてくれ、君は理想のなかで倒れる人ではなかったのか。そんな人生の応援歌ではないのか。ところが中島みゆきが紡いだその歌詞にはもっと複雑な糸が縫い込められていた。私もまたこの若い女性と同じように「この歌詞の意味がさっぱりわからない」と告げるべき一人だった。
この歌詞を解説する人物があらわれたのだ。その人物は彼女の問いかけに長文をそのサイトに打ち込んでいて、それは出色の解説で、なにもかも私がはじめて知ることだった。吉田拓郎がそして中島みゆきが登場してきたのは七十年代だった。その時代の日本は政治の季節だった。安保闘争があり、日大闘争があり、安田講堂事件があり、学生運動がはげしく燃え上がった時代だった。青年たちは人民革命を成し遂げた中国にあこがれた。しかしその一方で、日本は所得倍増、経済大国の道を加速度的に進行させていった時代でもあった。その果てにアメリカがあった。青年たちはアメリカにあこがれた。
この歌詞に記された《ニューヨーク》とはアメリカを、そして《上海》とは人民革命を成し遂げた中国を象徴させているというのだ。そして《成田》という言葉もあらわれてくる。成田は革命を夢見た青年たちの最後の戦いの場所だった。急激に衰退していく学生運動。政治の季節は去っていく。共産主義など幻想であった。資本主義は依然として敵だ。いったいわれらの希望の旗はどこにかかげるべきなのか。
解説者はさらにこの歌詞が誕生した由来も打ち込んでくれていた。なんでも中島みゆきは吉田拓郎の追っかけをするほどの熱烈なファンだったらしく、その影響は多大で彼女がデビューしたとき「女拓郎」と呼ばれるほどだった。ところが彼女を導いたその拓郎が五十代に入る直前になって、歌がまったく書けなくなってしまった。それは深刻なスランプで、おれは所詮、嘘に嘘を重ねたメッセージソングを書いてきた嘘っぱちのシンガーソングライターで、もうこの仮面をはぎ取って廃業しなければならないと脅迫する。そんな精神の窮地に陥っていた拓郎は、なにか救いを求めるかのように、中島みゆきに歌を書いてくれと依頼するのだ。そこで生まれたのがこの曲だった。したがってこの曲は、中島みゆきが吉田拓郎に送った熱烈なるラブレターだったと解説されている。
そんな解説をされた私は、再びつま恋のライブのサイトに引き戻し、そのシーンを何度もリプレイすることになった。ご丁寧なことに二人の現在の年齢、吉田拓郎七十歳、中島みゆき六十五、とテロップされている。ああ、われらの歌姫ももう六十五歳になってしまったのか。