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一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて大地に広がっていく。

誰でも本が作れる。誰でも本が発行できる。誰でも出版社が作れる。この小さな革命を生起させんとする「草の葉ライブラリー」が、高尾五郎作の「ゲルニカの旗」、「最後の授業」、「吉崎美里と絶交する手紙」、「南の海の島」の四編の中編小説を360ページに編んで、クラウドファンディングに投じる渾身の第一作。

現在の支援総額

287,600

110%

目標金額は260,000円

支援者数

20

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/07/23に募集を開始し、 20人の支援により 287,600円の資金を集め、 2020/09/07に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

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現在の支援総額

287,600

110%達成

終了

目標金額260,000

支援者数20

このプロジェクトは、2020/07/23に募集を開始し、 20人の支援により 287,600円の資金を集め、 2020/09/07に募集を終了しました

誰でも本が作れる。誰でも本が発行できる。誰でも出版社が作れる。この小さな革命を生起させんとする「草の葉ライブラリー」が、高尾五郎作の「ゲルニカの旗」、「最後の授業」、「吉崎美里と絶交する手紙」、「南の海の島」の四編の中編小説を360ページに編んで、クラウドファンディングに投じる渾身の第一作。

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 永遠の嘘をついてくれ 打ち込む言葉との対峙につかれると、ネットサーフィンするという悪い習癖がついてしまった。これはまずいと反省しきりだが、しかしその魅力に抗せられない。その日もまたその悪癖にはまり込んでネットサーファーになっていると、まるでその日はそこに導かれるように、中島みゆきが「永遠の嘘をついてくれ」を歌っているサイトがあらわれた。つま恋で行われた吉田拓郎の野外コンサートに、彼女が飛び入りで出演して、その一曲を歌ってあざやかに去っていく。「二〇〇六年」とクレジットされているから十年も前のコンサートである。久しぶりに聞く彼女の歌がひりひりとしみ込んできて何度もリプレイし、その余韻のなかでさらに周辺のサイトをサーフィンしていくと、「永遠の嘘をついてくれ」の歌詞がさっぱりわからない、だれかこの歌詞を解説してくれませんかと打ち込まれたサイトがあらわれた。おそらく十代か二十代の若い女性なのだろう。しかしこの歌はさっぱりわからないと嘆かせるような歌詞なのだろうか。遠の嘘をついてくれ  中島みゆきニューヨークは粉雪の中らしい成田からの便はまだまにあうだろうか片っぱしから友達に借りまくればけっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらいなのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれこの国を見限ってやるのは俺のほうだと追われながらほざいた友からの手紙には上海の裏町で病んでいると見知らぬ誰かの下手な代筆文字なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく放っておいてくれと最後の力で嘘をつく嘘をつけ永遠のさよならのかわりにやりきれない事実のかわりにたとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ だれもが夢を抱いて生きていく。その夢を実現したいと生きていく。しかし現実は圧倒的だ。夢は次々に打ち砕かれる。しかし、「いつまでもたねあかしをしないでくれ」──打ち砕かれても、打ち砕かれても、敗北のハンカチを振らないでくれ。「君よ永遠の嘘をついてくれ」──君が掲げたその旗を、高く、より高く掲げて生きてくれ、君は理想のなかで倒れる人ではなかったのか。そんな人生の応援歌ではないのか。ところが中島みゆきが紡いだその歌詞にはもっと複雑な糸が縫い込められていた。私もまたこの若い女性と同じように「この歌詞の意味がさっぱりわからない」と告げるべき一人だった。 この歌詞を解説する人物があらわれたのだ。その人物は彼女の問いかけに長文をそのサイトに打ち込んでいて、それは出色の解説で、なにもかも私がはじめて知ることだった。吉田拓郎がそして中島みゆきが登場してきたのは七十年代だった。その時代の日本は政治の季節だった。安保闘争があり、日大闘争があり、安田講堂事件があり、学生運動がはげしく燃え上がった時代だった。青年たちは人民革命を成し遂げた中国にあこがれた。しかしその一方で、日本は所得倍増、経済大国の道を加速度的に進行させていった時代でもあった。その果てにアメリカがあった。青年たちはアメリカにあこがれた。 この歌詞に記された《ニューヨーク》とはアメリカを、そして《上海》とは人民革命を成し遂げた中国を象徴させているというのだ。そして《成田》という言葉もあらわれてくる。成田は革命を夢見た青年たちの最後の戦いの場所だった。急激に衰退していく学生運動。政治の季節は去っていく。共産主義など幻想であった。資本主義は依然として敵だ。いったいわれらの希望の旗はどこにかかげるべきなのか。 解説者はさらにこの歌詞が誕生した由来も打ち込んでくれていた。なんでも中島みゆきは吉田拓郎の追っかけをするほどの熱烈なファンだったらしく、その影響は多大で彼女がデビューしたとき「女拓郎」と呼ばれるほどだった。ところが彼女を導いたその拓郎が五十代に入る直前になって、歌がまったく書けなくなってしまった。それは深刻なスランプで、おれは所詮、嘘に嘘を重ねたメッセージソングを書いてきた嘘っぱちのシンガーソングライターで、もうこの仮面をはぎ取って廃業しなければならないと脅迫する。そんな精神の窮地に陥っていた拓郎は、なにか救いを求めるかのように、中島みゆきに歌を書いてくれと依頼するのだ。そこで生まれたのがこの曲だった。したがってこの曲は、中島みゆきが吉田拓郎に送った熱烈なるラブレターだったと解説されている。 そんな解説をされた私は、再びつま恋のライブのサイトに引き戻し、そのシーンを何度もリプレイすることになった。ご丁寧なことに二人の現在の年齢、吉田拓郎七十歳、中島みゆき六十五、とテロップされている。ああ、われらの歌姫ももう六十五歳になってしまったのか。


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次なる挑戦は映画制作 高名なる映画製作のプロデューサーから映画制作をもちかけられ、次なる挑戦は映画づくりだということになった。これはすでに何年も前から私のなかで懐胎されていて、いくつかのシナリオができているのだ。映画が決定的に輝くのはシナリオであって、シナリオが低品質であったら、もうその映画はB級どころか、目の肥えた鑑賞者には五、六分で席をたたれることになる。最近の日本映画やTVドラマといったらC級映画、D級ドラマばかりで、三十七パーセントの視聴率をとったというTVドラマ・半沢シリーズなど、ワンパータンの最悪ドラマで、日本人の映画やドラマの鑑賞力は地に落ちたものだとあきれるばかりだ。 そんななか「草の葉クラブ」が取り組む第一作は「谷根千物語」である。七編のドラマを七人の映画監督が撮ってつなげていく。たんなるオムニバス映画ではなく、つなぎカットの撮影を行って、短編同士をシンクロさせ、群像劇に仕上げるという過去に例のない手法でつくられる。


完璧な挫折、完璧な敗北「誰でも本が作れる、誰でも本が発行できる、誰でも出版社が作れる」。この小さな革命を生起させんと「草の葉クラブ」は、「CAMPFIRE」に「ゲルニカの旗 南の海の島」と「鎌倉時代のかぐや姫」をクラウドファンディングしたが、完璧な挫折、完璧な敗北だった。この完璧なる敗北は、いよいよ「草の葉クラブ」が投じる「誰でも本が作れる。誰でも本が発行できる。誰でも出版社が作れる」プロジェクトが、時代を切り拓く最先端の仕事だということが証明されたことである。そして高尾五郎氏の「ゲルニカの旗 南の海の島」や「鎌倉時代のかぐや姫」が日本の文学の歴史に永遠に刻み込まれていく名作だということもまた証明されたのである。この完璧なる挫折、完璧なる敗北は、新たなる挑戦の意欲が湧きたってくる。新しい展開がはじまっていく。


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「草の葉クラブ」は、CAMPFIREに第二弾を投じました。「明科神宮に七百五十年眠っていた かぐや姫」です。この件の審査にあたられた高橋さんに次のようなメールを発信しました。高橋さん。再度のご審査、そして誠実親身にあふれたご対応、ありがとうございました。本が売れない時代、この分野のクラウドファンディング、なかなかきびしぃ状況にあるようです。だからこそ、くじけずに、小さな一歩、また一歩が。すでにCAMPFIRに挑戦する第三弾、第四弾を組み立てています。小さな一歩だが、必ずや新しい地平がひらけると確信しています。熱さも、コロナ禍もいまだ厳しく、お体を大切に。高橋さん、ありがとう。


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百部しか売れない本のほうが、百万部売れる本よりもはるかに力をもっている世界を転覆させるという意志をその底にひめたこの作品と出会った加登屋さんは、ただならぬ決意と情熱でこの作品に立ち向かってくれた。四部作を一挙に刊行させ、大宣伝によって世に投じた。この四部作を読書社会の投じるということは、世界を転覆させんとする戦いだったのだ。しかし世界は転覆などしなかった。世界は何も変わらなかった。出版人としての読みは外れてしまった。その情熱が熱く激しかっただけに挫折感は深い。しかしこれは敗北だったのだろうか。これはむしろ世界を転覆させるための予兆ではないのだろうか。例えば、英語にこういう表現がある。If a book has never been in fashion, then it can never go out fashion.時流に乗らなかった本は、時代に廃れることはない。流行に乗らなかった本は、流行の終焉とともに捨てられることはない。あるいはもっと強く訳するならば、すぐれた本は時流などに左右されずに永遠にその生命を保ち続けると。これは負け惜しみの言葉でもなければ、売れなかったことへの弁解の辞でもない。そうではないか。いまの日本の読書社会でベストセラーになる本とは、なにやら腐った本ばかりではないか。だからベストセラーにするには、腐臭をあたりに放つようにたっぷりと腐らせることが必要なのだ。これらの本は賞味期限がきたらことごとく捨てられる。あとにはなにも残らない。ただ世界を汚しただけ。世界を転覆し、世界を変革していくのはベストセラーではない。四部作は最初の戦いで、世界を汚す本ではなく、世界を変革していく本だと選別されたのである。一昨日のエッセイでとりあけだ「星の王子さま」のサン・テグジュペリはこのことを、戦時の記録の第二巻でこう書き記している。つまらぬ作品を六百万部売るくらいなら、顔を赤らめずにすむ作品を百部売ったほうがまだしもだ。これは納得のゆくエゴイズムだ。百部のほうが六百万部よりもはるかに力を持つだろうから。数への信仰はこの時代の悪ふざけの一つだ。もっとも光輝を放つ雑誌はもっとも読者数の限られた雑誌だし、『方法序説』が十七世紀を通じて二十五人の読者しか獲得しなかったとしても、やはりそれは世界を変えたにちがいない。『パリ・ソワール』紙は、年間の膨大な紙の使用量と、二百万の購読者をもってしても、いまだなに一つ変えたことはなかったのだ。(戦時の記録二「ある人質への手紙」山崎庸一郎訳 みすず書房)英雄的出版人とは、六百万部を売る人のことではなく、世界を変革していく百部の本に取り組む人のことである。四部作は敗北した。しかしこの四部作は英雄的出版人に出会ったのだ。なにを恐れることがあろうか。四部作は三百年かけて三百億部を売るというプロジェクトのもとでスタートしたのだった。三百年かけて世界を変革していくという雄大な規模をもった大事業なのだ。その初戦に敗北したからといってなにを嘆く必要があろうか。この惨敗こそこの大事業をより強く育てる鉄床であったのだ。