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胎内スキー場を100年先も続いているスキー場に!

新潟県胎内スキー場存続のためにご協力ください!

現在の支援総額

5,309,500

17%

目標金額は30,000,000円

支援者数

502

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/07/14に募集を開始し、 502人の支援により 5,309,500円の資金を集め、 2020/09/29に募集を終了しました

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現在の支援総額

5,309,500

17%達成

終了

目標金額30,000,000

支援者数502

このプロジェクトは、2020/07/14に募集を開始し、 502人の支援により 5,309,500円の資金を集め、 2020/09/29に募集を終了しました

新潟県胎内スキー場存続のためにご協力ください!

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みなさまこんにちは。胎内スキー場クラウドファンディングのプロジェクトオーナーの胎内市商工観光課です。「私の好きな胎内スキー場」第2回目は、リフト係員の坂井徹さんです。****************冬はスキー、夏は釣り坂井さんが胎内スキー場で働きはじめたのは今から約5年前。長年勤めた会社を退職されてからのこと。夏は胎内リゾートエリアの人気施設「胎内フィッシングパーク」、冬はスキー場で働いています。坂井さんの様に、農業等の閑散期となる冬場にスキー場で働く方々はとても多く、胎内スキー場では50人以上の方が働いています。安全・安心・楽しくがモットー坂井さんにリフト係として大切にしていることをお聞きしたところ、「お客様の安全・安心がとにかく第一」との答えが。胎内スキー場では、お客様がリフトに腰掛ける際、リフトを手で押さえ、体に当たるときの衝撃を和らげているのだとか。実はこうした取組を実践しているスキー場はとても珍しいことなのだそう。加えて坂井さんは、お客様の歩き方、ストックの位置などを見ながら個々にリフトに手を添える強さを調整しているそうです。優しいスキー場でありたい!「リフトに乗るって最初はみんなドキドキ。特に小さなお子さんは、初めてで怖い思いをしたら、スキー場から遠ざかっちゃう。せっかくならいい思い出を作ってもらいたい。」とは坂井さんの談。コースバリエーションが豊富で、エキスパートでも満足できるコースも充実。加えて、新潟市から近いこともあり、利用者の多くが新潟県民です。ここ胎内スキー場でスキー・スノーボードを覚えた方も非常に多いのではないかと思いますが、そうした背景にはリフト係の皆さんのこのような想いがあってこそなのだと思います。楽しそうに乗り場に帰ってくると嬉しい。「リフト係をしていると、ひと滑りごとに上達を感じる」と坂井さん。「特に毎年のように通うようになった子どもたちは、技術だけじゃなく、人としても成長していく姿を目の当たりにでき、何よりもやりがいを感じる」とのこと。「リフト係員はお客様をゲレンデに送り出す仕事。滑り終わってまたリフト乗り場に楽しそうに帰ってくる姿を見られるのは、仕事だけどやっぱりいいよね。次の冬も多くのお客様を送り出したい。」と締めくくってくださいました。


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みなさまこんにちは。胎内スキー場クラウドファンディングのプロジェクトオーナーである胎内市の商工観光課の浮須と申します。このプロジェクトも、残すところあと1か月を切りました。現在、窓口での直接支援などと合わせて約1,200万円に達しました。たくさんのご支援をありがとうございます。とは言え、目標金額のまだ4割。さらなる支援のお願いのため、今回から全3回、胎内スキー場を愛する皆さんのスキー場に対する想いのインタビュー記事を掲載して参りたいと思います。最初にご紹介するのは、胎内スキースクールの指導者である大坂知恵子(おおさか ちえこ)さんです。それではどうぞ。**********出会いは高校三年生大坂さんがスキーと出会った昭和60年代の胎内スキー場そもそもスキーを始めたのは高校三年生の時。始めたきかっけは、仲の良い友人達とスキーに訪ずれたことでした。出会ってすぐ、スキーの魅力にすっかりはまってしまい、スキーがもっと上手くなりたい!そうした思いから、スキー場に通うように。なかでも、豊富なコースバリエーションや美しい景色から、自然と胎内スキー場がホームゲレンデに。そして、ホームゲレンデとなった胎内スキー場では、スキーだけでなく、現在でもともに指導者を務める多くの仲間たちにも出会いました。スキーの楽しさを広めたい!一番左が大坂さんいつの間にか、「この楽しさを多くの人に知ってもらいたい!」と思うようになった大坂さんは、高校卒業後、家業である農業に従事しながら、インストラクターの取得を目指しました。毎日のようにゲレンデに行き、先輩たちからスキー技術を教えてもらい、ついに念願の資格を取得することに。以後、結婚、出産を経た今でも、胎内スキースクールに所属し、スキーの技術指導をしています。胎内スキー場は若者の拠り所「胎内スキー場で一緒に育った仲間たちは、大人になっても、なんだかんだ胎内スキー場に戻ってくる(笑)」とは大坂さんの談。人口の減少が進行する新潟県ですが、胎内スキー場があるから、この地域で暮らすことにした、そんな若者は少なくないのかもしれません。子ども達の指導にあたることも多い大坂さんは「指導していてたのしかった~」と子ども達に言ってもらえることが、何よりのやりがいとのこと。胎内スキー場が続いていくことで、胎内スキー場で育った若者が、次の若者を育てる、という循環も続いていくのだと思います。胎内スキー場は私にとっての宝物写真中央が大坂さん。スキースクールと仲間と。最後に「大坂さんにとっての胎内スキー場は?」との問いには、「冬の楽しさ、仲間たちに出会わせてくれた『宝物』です。なんとか多くの皆様に支援いただき、このスキー場が存続していって欲しい。」と語ってくれました。